第3章 悪役令嬢ヴァルトラウトの正体

第9話 (身内以外での)初めてをゲットした男セシル

 ヴァルトラウトはセシルを連れて応接室に向かった。


 南向きの部屋で、西からレースのカーテン越しに差し入る日光が細く長く伸びていた。もうすでに夕方の時間帯だが、この季節は昼が長い。


「お掛けになって」


 彼女はそう言ってベルベットのソファを指した。


 セシルはなんとなく警戒心を抱いてしまった。深い理由はない。ただ、彼女が堂々としているのが怖いだけだ。


 あんなに二人きりになりたかったのに、いざこうして対面で話せる機会が回ってくると、委縮してしまう。


 僕は弱い男だな、とセシルは苦笑した。華奢な女性を前にして、彼女を得体の知れない化け物のように思っておびえている。


 彼女は悪役令嬢であり、アリスの破滅を回避したいセシルにとっては、本物の悪役だ。


 緊張しているセシルを見て、ヴァルトラウトが目を細める。


「リラックスしてちょうだい。どう転んでもあなたの選択肢なんてないのだから、どうせならもっと厚かましく振る舞ったら?」


 あ、悪役の台詞だ!


 しかし彼女の言うとおりだ。セシルには逃げ場がない。アリスを救うため、彼女と対峙しなければならない。そして味方になってもらいたい。がんばれ僕。


 セシルがソファに腰掛けると、ヴァルトラウトがその正面に座った。


 メイドが静かに現れて、二人の間にあるローテーブルに紅茶を置いていった。

 女主人のヴァルトラウトに「二人きりにしてちょうだい」と言われて、そそくさと出ていく。

 メイドが出ていったあと、ヴァルトラウトはすぐティーカップに口をつけた。ゆっくり飲む。それから、セシルに向かって微笑みかける。


「ほら、毒などは入っていないわよ」


 彼女は自ら毒見をしてくれたのだ。セシルが警戒しているからだろう。細やかな気遣いがある。

 それもこれもセシルを陥れるための罠かもしれない。

 だが、緊張で喉が渇いているのも事実だ。


 そもそも、完璧令嬢でふくすべの主人公であるヴァルトラウトが、役立たずのサブキャラのセシルを陥れて、何の得があるだろうか。


 セシルもティーカップから紅茶をひと口飲んだ。

 ストレートのシンプルな紅茶だった。

 今世のセシルは洒落た男なのでなんとなく生産地のイメージもできる。貴族の間では一般的な、少し高価だがさほど希少でもない茶葉である。特に魔法などが使われている形跡もない。


 セシルがティーカップをソーサーに置いたところを見計らって、ヴァルトラウトが口を開いた。


「あなたに聞きたいことがあるの。嘘をついてもあなたは何の得もしないことだから、正直に答えてくれないかしら」


 心臓が爆発しそうになるのを抑えつつ、表面だけ取り繕って冷静な男を演じながら答えた。


「僕が答えられることならなんなりと」

「答えてくださるわね」

「しつこいな、僕が過去にあなたに嘘をついたことなんてないはずだ」

「都合の悪いことを黙っていたことはあるけれどね」


 とげとげしい。本当に味方にできるのだろうか。


「――というより、あなたのほうがわたくしに言いたいことがあるのではないかと思っていたのだけれど――」


 ふたたびティーカップをつまもうとしていたセシルの指が、震えた。


「あなた」


 セシルは、目を、大きく見開いた。


「転生者でしょう」


 ティーカップが、かちゃん、と音を立てた。


 セシルは紅茶を飲むのを諦めた。ソファの背もたれにもたれて、指と指とを組んだ。


「どうして……そう思う?」

「予定外の行動をするからよ」


 彼女の赤い唇が、今ばかりは笑っていない。


「あなたが前世の記憶を取り戻したのは、エルンスト王子が廃太子を宣告された頃。そうよね?」


 知られている。そのタイミングまで、ばれている。


「そのあたりから、セシルの挙動がおかしい。まるで、まっとうな兄をやろうとしているかのようになったわ。少し大人っぽくもなったわね」


 それもそのはず、前世のセシルは二十三歳の大学生だった。十七歳の今のセシルより六つも上だ。


「答えて。あなた、何者なの」


 指に力を込める。


 どこまで、答えても、いいのだろう。


「……あの」


 まさかヴァルトラウトのほうから切り出されるとは思っていなかったので、脳内で何度もシミュレーションしたことが全部台無しになってしまった。


 深く息を吸う。そして、吐く。


 必要以上におびえる必要はない。

 彼女も、転生者だからだ。


「あなたは……、乙女ゲームの攻略者なんだよね? ゲームのタイトルは、何だったかな……ちょっと思い出せないけど、あなたは攻略者で現代日本から転生してきたユウカさんという女性だ。違う?」


 そう問い掛けると、ヴァルトラウトは笑った。唇の端を持ち上げ、目を細めて、セシルを舐めるように見た。セシルを馬鹿にしたような、邪悪な笑みだった。見定められている、と思った。


「残念ながら、少し違うわ」


 心臓が、彼女にわしづかみにされる。


「あなたは『悪役令嬢は華麗なる復讐者にして世界を統べる女王』というタイトルに見覚えはある?」


 おかしい。

 彼女はその作品の登場キャラクターで、その作品の中で生きている存在なので、自分がその世界観の中で生かされていることを知らないはずだ。


 動揺が顔や態度から滲み出てしまったらしい。ヴァルトラウトはセシルを嘲笑った。


「もう一度聞くわね。あなたは、『悪役令嬢は華麗なる復讐者にして世界を統べる女王』というWeb小説を、読んだことがあるのね」


 それは問い掛けではなく、確認だ。


 怖い。


 目の前のヴァルトラウトが、怪物に思えてくる。


 ここは、セシルが知っている作品の世界では、ないのか?


 だが、どうしようもない。それこそヴァルトラウトの言うとおり、嘘をついても何の得もない。


「……ああ」


 ぎこちなく、頷く。


「僕は書籍化されたその作品を読んだ。妹に買ってほしいと頼まれて――」


 ところが。


「えっ」


 セシルのその台詞を聞いて、彼女は普通の女性が驚いた時のように、すっとんきょうな声と真ん丸な目を見せた。


「買ったの?」

「えっ? 買ったけど。駅ビルの本屋で」

「四六判単行本で1430円もするのに?」

「そうだよ、1430円出して買ったよ。文庫の倍の値段するのかと思いながら、でもどうしても欲しかったからなけなしのバイト代を使って買ったよ」

「ええ……!」


 ヴァルトラウトが、その白い手で自分の口元を覆った。


「うそ……! 身内以外で買ってくれた人に買ったって対面で言ってもらえたの初めて……!」


 セシルは眉間にしわを寄せた。


「ちょ……っと、待って。なに? どういうこと? 僕何か変なこと言った?」

「で、紙で読んだの?」


 ヴァルトラウトが前のめりになる。


「Webでタダで読めるのに? 紙で読んでくれたの?」

「読んだけど……妹に渡す前に全部目を通したけど……」

「あっ、妹さんが欲しいって言ってくれたの……?」

「そう、僕、めちゃめちゃWeb小説を読む妹がいて……その子が、好きな作品が書籍化したからどうしても買ってほしいって……高校生なんだけど病気でバイトができなくてお金がないから、僕に代理購入をさせて……」

「ええ……! 好きな作品……! めちゃめちゃWeb小説を読む高校生に好きと言っていただけるなんて……!」


 彼女の声が泣きそうに震えた。セシルはびびった。自分は彼女を感動させるようなことを言っただろうか。


「あの……」


 おそるおそる問い掛ける。


「あなたも、転生者だけど、ユウカさんではないってことなんだね?」


 ヴァルトラウトが目元を押さえながら「そうよ」と答える。


「Web小説である『悪役令嬢は華麗なる復讐者にして世界を統べる女王』を読んだ現代日本人である、と」

「いいえ」

「あっ、日本語が堪能な外国の方?」

「そうじゃなくて」


 彼女は、大きく深呼吸をしてから、重々しい態度で、言った。


「作者です」

「ん?」

「わたくしは、『悪役令嬢は華麗なる復讐者にして世界を統べる女王』の作者、書籍化作家の由良ゆらみかんです」


 青天の霹靂へきれきだった。



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