第8話 このままではアリスが退場する前にセシルが退場しそう
その後も大型の魔獣に何度か遭遇したが、主にヴァルトラウトの聖剣がそれらをどんどん倒していった。
魔術師のローレンツと騎士のマテオも思いのほか、と言っては失礼だが本当に予想外の活躍をした。ローレンツの遠距離攻撃魔法とマテオの近接戦闘能力の連携で、魔獣討伐はかなり進んだ。
セシルとエルンストはアリスのおもりで、ほぼ何もしていない。
もちろんアリスも何もしていない。魔獣にはうさぎやりすに似た小型で無害なものもいるが、そんなようなのにもびびってピイだのギャアだの言っていて、足手まといもこの上なかった。
ローレンツとマテオは実力がある。モブのようでいてモブではない。対魔物戦ではなくてはならない存在だ。
一方エルンストとセシルは対人間の政治的駆け引きや心理戦の担当なので、相手が人間でないと途端にポンコツである。
それにエルンストの信頼度は地に落ちているし、セシルはアリスとエルンストのカップルの間を引き裂く当て馬でしかなくなっているので、もはや無能と言ってもいい。
一応二人も剣術や馬術ができる設定にはなっている。けれど、ここまでくると二人は顔がいいだけのアリスの取り巻きであり、がっちりざまぁ対象だ。
しかも展開的に今後重要になってくるのはパルカール王国の王太子とオルファリア王国の第二王子なので、ざまぁ対象たちは一巻で消えてもなんら問題ない。
このままではアリスが退場する前にセシルが退場してしまう。
ヴァルトラウトの屋敷に帰ってきて、一同は解散した。
それぞれに個室があてがわれているので、ばらばらに部屋に戻るところだった。
しかし、セシルは部屋に戻らなかった。
「アリス」
アリスの腕をがっちりつかんで、むりやり玄関ホールのロビーに連れてきた。
どうしても、どうしても、考え直させなければならない。
万が一セシルが退場した時、彼女は一人で生きていかなければならないのだ。
「座りなさい」
アリスをソファに座らせ、目の前に膝をついた。いつぞやと同じスタイルだ。
「僕が言いたいこと、わかってるよね?」
アリスはしょんぼりしていた。さすがにここまで露骨に足手まとい扱いされると思うところがあるのだろう。
「なんだか、最近のお兄様、意地悪」
それでもセシルを責めるところに、こ、この女! 感はなくもないが、実際にセシルは前世の記憶を取り戻した瞬間からかなりキャラブレしている。
「自分を奮い立たせて森に入ったのに……アリスは邪魔だったって言うの……?」
そうだよ、と言ってやりたいのをこらえる。結局彼女が浄化魔法を使う機会はなく、ヴァルトラウトとマテオが物理の剣術で、ローレンツが遠距離攻撃魔法でなんとかしたのである。
「アリスだって……アリスだって……なんとかしたくてがんばったのに……」
大きな赤紫色の瞳が潤んでくる。どこまで本気の涙でどこから嘘泣きかはわからない。彼女は結構自分を悲劇のヒロインに見立ててガチ泣きする。自分が可愛くてアンド可哀想でならないのだ。
泣き出した彼女が切なくて、セシルも言葉に詰まった。
やはり、彼女が養女に来てからの三年間甘やかし続けたセシルの罪が一番重い気がしてくる。ここでびしりと言って導いてやれる兄だったら、彼女がここまで落ちることはなかったのではないか。
「……ごめん……」
「セシル、アリス」
優しい声が聞こえてきたので、振り向いた。アリスも顔を上げた。
そこに立っていたのは、エルンストだった。微苦笑を浮かべている。
「足手まといは私も一緒だ。セシルはアリスを守るために立ち回っていたけれど、私はマテオに守ってもらっていた」
セシルは「それがマテオの存在意義です」と言った。このセシルの台詞はどちらかといえば今世のセシルの記憶から出たものである。
なんだかんだ言ってセシルもエルンストの政治的な側近になるために育てられたので、普段から本気でエルンストとばちばちやりたいわけではない。アリスが間に挟まったからこそ忠誠心や友情がこじれたのであって、アリスが現れるまで、三年前までは兄弟のようだと言われるほど親しかったのだ。
というか、前世の記憶を取り戻した今のセシルは、エルンストと仲直りをしたい。アリスは本気でエルンストを慕っている。もしエルンストがアリスを叱ってくれたら、セシルが言うよりは効果があるはずだ。
エルンストが、ソファの、アリスの隣に腰をおろした。長い足を組み、膝を両手で支える。彼ほどの美青年だとそれだけでもなんとなくかっこいい。あーあ、僕もイケメンに生まれたかったな。いや、今世のセシルは顔がいいけどさ。
「私は無力だな。学園にいる間はいろいろな権力があるから君を守ってあげられるけれど、もし本当に追放されたら、君のために何をしてあげられるのか、ずっと考えているよ。すまないね」
正直な発言だ。ほんとだよ、僕の妹をどうしてくれるんだよ、というアリスの兄としての気持ちと、ひとりの青年にこんなことを言わせてしまうなんて、きっとプライドはずたずただろうな、という同じ男としての気持ちがせめぎ合う。
たぶんこういうところからアリス、エルンスト、そしてセシルのざまぁ対象トリオがつるむ結果となってしまうのだろう。
読者として読んでいた時はこいつらが無能だからしょうがないと思っていたが、当事者になって本文に書かれていない生活をしてみると、なかなか厳しい。
「ヴァルトラウトに謝罪してみてはどうですか」
セシルはそう提案した。
「結局、今の状況って、殿下がヴァルトラウトとの婚約を破棄したことから始まった話じゃないですか。ヴァルトラウトに、国王陛下にこれはこれでいいですというようなことを言ってもらえれば、状況は変わるんじゃないでしょうか」
エルンストが苦笑する。
「変わったね、セシル。お前は絶対にアリスをいじめたヴァルトラウトに譲歩なんかしないと息巻いていたのに」
ヴァルトラウトの心理描写を読んだ今だから言える台詞なので仕方がない。今世のセシルはアリスの言うことをすべて鵜呑みにしていたから、ヴァルトラウトの言動のすべてに理由があるのを察することができなかった。
「ただ――」
エルンストが自分のこめかみに触れる。
「もし私とヴァルトラウトが和解しても、父はもうナタニエルの擁立に動いている。擁立も何も、父が最高権力者だから何と言っても家臣たちは追随するしかないのだけれど。つまり――手遅れなんだ」
ナタニエルは第二王子でエルンストの弟の名前だ。
「それに、私が一番恐れているのはね」
エルンストの声は落ち着いている。
「王太子の地位剥奪の撤回のための条件としてヴァルトラウトとの婚約話が復活することだ。私は――」
アリスのほうを見て、優しく微笑む。
「アリスへの愛を偽りたくない。王子の身分を捨ててでも、アリスとの将来を選びたい」
どうしてこのだめ女がそんなに好きなんだ!
「だからね、私はこれから農作業か工芸品作りの技術を学ぼうかな、と思っているよ。私はそんなに器用な男ではないから……あ、指先ではなくて性格の話ね、生前の母の見様見真似で刺繍をした経験ならある」
アリスが「ふふふ」と笑った。
「お裁縫なら、わたしもできます。もしも本当に追放されたら、殿下のお洋服を仕立ててさしあげますね」
セシルは二人を抱き締めてあげたくなった。特にエルンストはなんだか可哀想だ。第一王子でなかったら彼にも幸福な未来があったかもしれない。でも第一王子でなかったら聖女のアリスと出会って会話する機会もなかっただろうから、複雑なところだ。
ヴァルトラウト、知っているか、あなたの知らないところでこの二人はこういうやり取りをしているんだよ。
ふくすべの世界で、キャラが、生きている。
「――セシル、やっぱりちょっと変わったね、以前のお前ならばここで私に次期国王としてしっかりしろという説教だぞ」
「あっはい……」
しまった、今世の設定からどんどんずれていく。
「お兄様、どうしちゃったの?」
アリスの大きな瞳が、セシルの顔を覗き込んでくる。
「アリスが馬鹿だから、落ち込んじゃったの……?」
そうです。
「ぐううう……」
その時だった。
「あら、皆様お揃いで」
出た、悪役令嬢、現時点で僕にとって本物の悪役!
声のほうを見たら案の定、ヴァルトラウトが美しい笑みを浮かべて近づいてきていたところだった。
アリスがヴァルトラウトを警戒してエルンストに身を寄せる。エルンストがアリスの肩を抱く。セシルは二人をかばうように立ち上がった。
ヴァルトラウトはまっすぐセシルだけを見ていた。
「セシル」
他の二人は眼中にないようだった。
「話があるの。ちょっとわたくしの部屋に来ていただけないかしら」
願ったり叶ったりだ。まさかこのタイミングになるとは思っていなかったが、ずっと望んでいたところだった。
「喜んで」
緊張で震えそうになる自分を心の中で叱咤しながら、セシルは了承した。
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