第10話 読者はざまぁが見たいのよ

「え……小説家なんですか?」

「どうして急に敬語なのよ」

「だって……作家先生とお会いするのが初めてで……どう振る舞ったらいいのか……」

「やめてちょうだい! たかが一冊書籍化しただけで作家だとか先生だとか思い上がりもはなはだしい!」

「でも、由良先生……」

「今までどおりヴァルトラウトと呼んでくださらないかしら!?」


 セシルはプロ作家という超スーパーウルトラ雲の上人間と会ったことでかなり緊張してしまったが、どうやら一冊書籍化しただけでは『作家』も『先生』も名乗れないらしい。何冊ぐらい出したら作家を名乗れるのだろうか? 一方的に読むだけのセシルからしたら分厚い単行本を一冊刊行できるだけで十分『先生』だ。


 ヴァルトラウトが紅茶を飲もうとする。その手が細かく震えている。


「展開的に原作の展開を知っていそうだから、まさかと思ってかまをかけてみたけれど……本当に読んでいたなんて……しかも紙で……まあポイントは書籍化できるくらいそこそこあるからWebでなら読んだ人もいるかしら? とは思っていたけれど……」


 小声でぶつぶつ独り言を言っている。頬を赤く染め、眉間にしわを寄せ、感情的に物を言っている。


 なぜか形勢が逆転した気がする。


「聞きたいことがあったら何でも聞いてくれていいよ! 僕で答えられることならなんなりと! 三回読んだから!」

「やっ、やめてーっ!! 急に羞恥心が込み上げてきたわ!! 対面で感想を言われた経験は一度もないのよ!! 担当編集者だって褒めてくれたのはメールでだけだったんだから!!」


 ヴァルトラウトはぶるぶる震えながら紅茶を飲んだ。温かいものを胃に入れて落ち着いたのか、少し落ち着く。


「とにかく。わたくしは作者なので、今までの展開もこの先の展開もすべて把握しているわ。なのにあなたがイレギュラーな動きをするものだから、ずっと疑っていたの。セシルがアリスの動きをコントロールしようとしている? もしかしてアリスがこの先どうなるか知っているからかしら、と」

「そうだよ、一巻の結末までは読んだのでおぼえている」


 セシルは頷いた。


「僕は兄としてアリスがこのまま予定どおりに追放されて破滅するところを黙って見ていることはできない。今のセシルはアリスの兄でアリスのことをとても深く愛しているし、前世でも妹がいて、アリスを見ているとなんとなく思い出してしまうんだ」

「高校生の妹さんがいらっしゃるんだったわね」

「だからアリスが空気の読めない言動をするようだったら止めないといけないと思った。アリスの好感度が少しでも上がるように、アリスをちゃんと指導しないといけない、と。でもだめなんだ。記憶を取り戻すまでの僕の行動がまずすぎる。アリスも完全に僕のことをナメている。唯一影響力がありそうな殿下はアリスにべた惚れで否定的なことは言ってくれない。こうなったら――」


 上半身を前のめりにした。


「アリスをざまぁする張本人であり、転生者としてこの世界観を俯瞰的に見られるヴァルトラウトに助けてもらうしかない。あなたに手心を加えてもらって追放を回避し、世間一般のアリスの印象の改善を手伝ってもらって、なんとかアリスが普通に生きていけるように助けてほしいんだ」


 やっと言いたかったことを全部言えた。


 テーブルに両手をついて、頭を下げる。


「お願いだ! ヴァルトラウト。アリスを許してやってくれないか」


 ヴァルトラウトはセシルの頭を見ているようだった。セシルは頭を下げているので彼女がどんな表情をしているのかはわからなかったが、沈黙が長くてどんどん不安になっていった。


 ややあって、彼女ははっきりと言った。


「お断りするわ」


 顔を上げると、彼女は今まで同様の冷徹な顔をしていた。表紙絵の美しくて落ち着いたあの表情だ。


「どうして……」

「わたくしはアリスが破滅するところを見たいの」

「なぜ……? あなたから王子を奪ったから?」

「それはヴァルトラウトの設定よ。わたくしが書いたユウカが見ていたヴァルトラウト。わたくしどころかユウカもそんなことは考えていなかったはずだわ」


 ヴァルトラウトが穏やかな声で「ちゃんと座って」と促す。セシルは乗り出していた体を元に戻した。


「そうね……、アリスが憎いとか、恨んでいるとか、そういうのではないわ。アリスはわたくしが作ったキャラだから、対等な関係ではないの。同じ目線で物事を見ているわけではない。だからそんな感情は湧かないのよ。むしろ愛着もあるわ。アリスが可愛くないキャラだから破滅させたいわけではないのよ」

「じゃあ、どうして……。愛着があるキャラが悲惨な目に遭ったらショックじゃないの?」

「だからこそ、ちゃんと展開に沿って、きちんと落とし前をつけさせてあげたいのよ。フェードアウトのなあなあではなくて、破滅することで有終の美を飾らせてあげたいの」

「……わからない……」


 セシルはゆっくり首を横に振った。


 ヴァルトラウトは冷静そのものの表情だった。やはり感情的な様子は見られない。彼女は作者として状況をすべて把握しているのだ。つまり神である。一人一人のキャラの命運などどうにでもできるということか。


「他に手段はないの? たとえば、仲直りするとか。大団円ハッピーエンドじゃないか」

「アリスはさんざん悪行を働いてきた悪役だもの。悪役令嬢より悪役なのよ。救われていいはずがない」

「そうかなあ。改心するかもしれないじゃないか」


 ヴァルトラウトの言葉が、一瞬、詰まった。そこに表情には表れない動揺が滲み出た気がして、セシルはさらに責めるように続けた。


「アリスは人殺しをしたわけじゃないんだよ。そりゃあ確かにヴァルトラウトの持ち物にいたずらをしたり嘘の噂を流してヴァルトラウトの立場を悪くしたりはしたけど――」

「最悪では」

「悪気があったわけでは……」

「悪気がないのは悪気があるよりもっとたちが悪いの」

「まあ……そうかもしれないけど……」


 そのままの体勢で、もう一度頭を下げる。


「兄の僕の監督不届きだ。責めるなら僕にしてほしい」


 ヴァルトラウトが小さく笑う。


「原作のセシルはそんなことは言わないわ」

「そうかもね……でも、前世の記憶を取り戻した以上は。兄としての正しいあり方というものを考えてしまって、止まらない」


 話を元に戻すことを試みる。


「とにかく、アリスにやり直すチャンスを与えてほしい」


 ヴァルトラウトは首を横に振った。


 そして、唇をゆがめ、眉を吊り上げ、怒りの感情を滲ませながらこう答えた。


「アリスは原作どおり破滅させるわ」

「どうしてそこまで意固地に」

「だって読者は過激なざまぁが見たいのよ」


 背筋が震えた。


「みんな悪役がざまぁされるところを読みたいのよ。悪役は、愚かであれば愚かであるほど、序盤は悪ければ悪いほど、終盤は哀れであれば哀れであるほど、いいわ。読者はわかりやすいざまぁを求めている。やり返して、悪役が破滅するところを見て、スカッとしたいのよ」

「……そんな……」

「私はプロ作家だから、悪役を破滅させてみせる。みんなが望むとおりに、ざまぁしてみせるわ」


 おぞましいほどの執念、おぞましいほどの怨念だ。


「みんな、現実世界ではありえない復讐劇が見たいの。スカッとしたいのよ……!」


 言葉を失ってしまった。


 不意にドアの向こうから声がした。


「ヴァルトラウト様」


 先ほど紅茶を淹れてくれたメイドの声だ。


 セシルとヴァルトラウトは我に返って、ドアのほうを見た。


「パーティのお時間が迫っております。そろそろご衣装を替えてお支度をなさったほうがよろしいのでは?」

「そ……そうね」


 ヴァルトラウトが立ち上がった。ドアに向かって歩き出し、ドアの把手とってに手を掛ける。


「話の続きはまた明日以降ね。わたくしも確認したいこと、忠告しておきたいことがいくつかあるわ。プロットどおりに進めば、この旅行の期間中にゆっくり時間を取ることはできないシナリオのはずだから、王都に戻ってからわたくしの家を訪ねてきてくださると助かるのだけれど」

「プロットってなに?」

「あらすじみたいなものかしら。小説を書く時に使う下書きみたいなもの。あなたが今めちゃくちゃにしようとしているものよ」

「ご、ごめん……いやプロットどおりに話が進むとアリスが破滅するから困るんだけど……」

「黙って作者の言うことを聞きなさい」


 そこでセシルは観念して「わかった」と答えた。


「また話をしよう。もう少し、僕らの認識の違いをすり合わせないといけないみたいだ」



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