第2章 悪役令嬢、隙がなさすぎる……

第5話 魔獣の地の浄化に、聖女はもう必要ない

 それからというもの、セシルはヴァルトラウトと二人きりになれる機会をずっと窺っていた。


 現地人キャラの前で、あなた転生者ですよね、と聞けるほどセシルは愚かではない。

 原作のセシルはこの時点でももうすでにだいぶ挙動のおかしいキャラだというのに、さらにおかしくなったと思われるのはしんどい。

 ヴァルトラウトも警戒するだろう。アリスの破滅を防ぐためには彼女に考え直してもらうしかないのだから、彼女の立場を、ひいては機嫌を悪くするようなことをしてはいけない。


 したがって、セシルがヴァルトラウトに話し掛けるためには、二人きりになる時間と空間を作るしかなかった。


 ヴァルトラウトは確実に転生者だ。だって原作にそう書いてあった。彼女は乙女ゲームの悪役令嬢に転生した主人公なのである。今セシルがいるこの世界が本当にふくすべの世界であれば、彼女の中の人は現代日本人で間違いない。


 早くセシルも転生者であることを明かしたい。そしてメタ的な会話をしたい。物語を苛烈なざまぁで終わらせないためにできることはないか、話を聞かせてほしい。


 ところが、この機会がなかなか巡ってこない。


 ヴァルトラウトは隙がないのである。


 学園で姿を見掛るたびに接近を試みたが、うまくまかれている気がする。


 エルンストに嫌われている彼女が用事なしに生徒会室に来ることもない。


 また、彼女は王の信頼を得て時々王城に出入りしているようだったが、セシルはエルンスト派の人間であると思われているため、ついていくことができなかった。


 彼女が住む屋敷に行くわけにはいかない。

 彼女は一度父親である公爵に縁を切られているので、公爵邸ではなく街中の高層住宅の一室で少数の使用人とともに暮らしているとのことだが、訪ねていくにはどうしたらいいのか、わからなかった。

 実質一人暮らしの公爵令嬢に一人で会いに行くなんて、勇気が足りない。

 うまい口実も思いつかない。彼女に怪しまれて面会を拒否されたらそこで試合は終了だ。


 うんうんと唸っているうちに数日が過ぎた。


 アリスとセシルを含む生徒会メンバーは、フレデリク王の命令で辺境のヴァルトラウトの領地に旅行をすることになった。


 一時的に王都を離れて、ヴァルトラウトを支持する辺境貴族や現地住民と交流しながら、自分の身の程をわきまえ、反省しろ、ということらしかった。


 というのは建前で、王はこの間に王城に第二王子派の人間を集めてパーティをしたいのだ。彼はちゃくちゃくと愚かな長男を追い落として次男を後釜に据える準備をしている。


 物語が進むとこの第二王子もかなりの問題児であることがわかってきてヴァルトラウトがどうにかしなければならなくなるのだが、それはまだ当分先の話だ。セシルの立ち回り次第では変わるかもしれない展開だし、今考える必要はない。


 この旅行の二週間、セシルとヴァルトラウトは同じ屋敷で生活することになる。

 広大なカントリーハウスで他の生徒会メンバーや大勢の使用人も一緒に暮らすためそう簡単にチャンスが巡ってくるとは思えないが、王城にいる時よりは距離が縮まるはずだ。

 なんとかして、時間を作らなければならない。




 王都から馬で三日ほど移動すると、辺境の村につく。


 辺境、といっても王都自体が領土の拡大や縮小に合わせて何度か移転している上、二、三十年前にパルカール王国に戦争で負けて領土を割譲させられた分パルカール王国寄りで、それほど遠くない。


 辺境が辺境たるゆえんは、距離というより、魔獣が多いせいらしい。魔獣の出現率が高いので、その地域だけ開拓が進んでいないのである。

 ここを開拓するためには魔獣を追い払うための聖女の浄化魔法が必要なわけだが、アリスは魔獣を怖がって――というよりは面倒臭がって、都会を離れるのが嫌で――訪れたことがなかった。

 王には、今こそ聖女ががんばるべき、と説教されていたが、セシルも心からそう思う。


 辺境の村について城壁の門をくぐり、その中に広がる村の様子を見て、セシルは感嘆の息を漏らした。


 辺境と田舎はイコールではない。


 村はすでに村という規模を超え、現代日本の市町村区分で言うと町、中心市街地の発展ぶりからすると地方都市の駅前の繁華街くらいの規模になるのではないかと思われた。


 整備された道路はタイル状のカラフルな石畳で覆われて見る者の目を楽しませ、建物の壁は白で統一されている。すみずみまで掃除が行き届き、暮らしやすそうだった。教会はまだ建設中だが、この街はまだヴァルトラウトが追放されてからの一年半くらいの歴史しかないのでこれからなのだろう。


 十六歳で追放されたヴァルトラウトは、十八歳になって王都に戻ってくるまでのたった一年半で、この街を生み出したのだ。


 うーん、勝てない。


 東西に伸びる大通りを街の中心の市場公園まで行くと、まっすぐ東に向かう道の他に南北に伸びる大通りが現れた。


「この道をまっすぐ行くとパルカール王国よ」


 ヴァルトラウトがそう説明した。


「国境沿いはあちらも魔獣が出るので辺境扱いしているみたいなんだけど、道路を整備して聖なる泉から引いた水路を道路の両脇に流すようにしたから、行き来することが可能になったわ」


 泉から聖水を引く大工事をしなくても聖女が祈れば済む話なのだが、悪役令嬢ヴァルトラウトは聖女なしで開拓しなければならなかった。そして見事成し遂げた。この物語の辺境は本当に聖女がいらないのだった。


「わたくしの屋敷は北にあるの。案内するわよ」


 乗馬服のヴァルトラウトが、北の方角に馬の鼻を向ける。その後を、生徒会メンバーや従者たちがついていく。


 セシルは、その中にいるアリスの姿を見て、はあ、と大きな溜息をついた。


 アリスはというと、一人で乗馬ができないので、エルンストと共乗りしている。エルンストの前に横座りになって、エルンストにぴったりくっついて移動してきたのである。


 もちろん周りには白眼視されている。


 アリスはまだ気づいていない。

 一人で大きなお馬さんに乗れないアリスを女の子らしくて可愛いと思っている人間はもう一人もいない。彼女がかける魅了魔法は、ヴァルトラウトが従者たちに配ったポプリの魔除けの薬草が解いている。


 原作のセシルはここで「危ないからお兄様と一緒に乗ろう」「殿下にばかり甘えていないでお兄様とも一緒に乗ってほしい」と言っていたと思うが、原作を思い出したセシルは馬車を提案した。

 わざわざ仲がいいことをアピールして顰蹙ひんしゅくを買うくらいだったら、時間がかかって迷惑をかけたほうがまだマシだと思ったからだ。

 しかしそれもまたセシルがエルンストとアリスを引き離したいからだと誤解され、むしろ笑われる始末である。


 実際に見世物になっているのはアリスとエルンストなのだが、セシルがさらし者になったような気分で大通りを進む。


 この街の人々は、村を発展させたヴァルトラウトを慕っている。そのヴァルトラウトと敵対しているアリスに好印象を抱くはずもない。沿道に詰めかけた人々が笑顔で出迎えたのはヴァルトラウトであり、ろくに働きもせず自分たちに何の恩恵ももたらさなかった聖女様ではない。


 えーん、帰りたい。


 逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ……僕がアリスを見張っていなければ他の誰がアリスを止められるというんだ。


 セシルは胃痛を感じながら、北のほうに見える、半分建設途中だがもう半分は白亜の城として出来上がりつつあるヴァルトラウトの屋敷を目指すのだった。



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