第4話 はい終わり! 終わりです!

 セシルとアリスの兄妹が暮らす邸宅は、王城のすぐ近くにある。

 セシルの父である伯爵とフレデリク王が義兄弟の契りを交わしたことを理由に、王が王都の一等地に土地を与えてくれたためだ。

 王城にも大聖堂にも中央市場にも近い場所であるのに、イギリスのいわゆるカントリーハウスみたいな、広大な屋敷が建っている。ほぼ城館である。


 セシルとアリスが揃って帰宅すると、玄関ホールに使用人たちがずらりと並んで、声を揃えて「おかえりなさいませ」と頭を下げてくれた。

 だが、顔を上げた彼ら彼女らの目は冷たい。


 アリスは王太子エルンストをたぶらかした悪女、セシルはその悪女をかばい続けるねじがはずれた男だ。


 伯爵家の将来が不安で辞表を出す者もあるという。


 まあ、セシルが同じ立場だったらそれも考える。前世の記憶を取り戻すまでのセシルはそんな使用人たちにいらいらして怒りをぶちまけたこともあったのだ。今思えば恐ろしいことだ。


「アリス、僕の部屋に来なさい」


 セシルはそう言ってアリスの手首をひっつかんだ。アリスがきょとんとした目をする。


「着替えたら行くわ」

「今すぐ来なさい」

「お兄様も制服を脱がないと」

「いいからお兄ちゃんの言うことを聞きなさい」


 いつもの癖でそう言ってしまったが、アリスが「お兄ちゃん?」と首を傾げたのではっとした。ありすは前世のセシルを『お兄ちゃん』と呼んでいたが、アリスはセシルを『お兄様』と呼んでいる。いけない、うっかり間違えないようにしなければ。


 アリスを引っ張りながら自分の部屋に向かう。アリスが「どうしてしまったの」と困惑の声を出す。


「今日のお兄様、なんだかおかしいわ。何かあったの?」

「ないわけないでしょう、目の前で未来の主君で幼馴染のエルンスト殿下が廃太子されかけたのに」

「それもそうかあ」


 あっけらかんとして言う妹にびっくりする。この子、ちょっと危機感が足りなすぎるのではないか。


 セシルの部屋に入る。言うなれば子供部屋だが、長男で跡取り息子のセシルの部屋は応接室、寝室、書斎、ウォークインクローゼットと四つもある。


 応接室に入ってすぐ、ドアを閉めた。


 アリスを強引にソファに座らせ、自分はその前に膝をつく。


「いい? アリス」


 アリスはなおもきょとんとしている。


「アリスに言いたいことがいくつかあるんだけど、聞いてくれる?」

「なんなりと」


 彼女はへにゃりと笑った。


「大好きなお兄様のお話ですもの。おしゃべりしてくれて、アリス、嬉しい!」


 ま、まぶしい!! 可愛い!! もうすべてどうでもよくなりそう、ハグしてちゅーして終わりにしたい!!


 いや、だめだ。僕がそんなことをしていたらオルファリア王国が滅ぶかもしれない。


 だいたいこいつのこれは半分嘘だ。ふくすべの原作のアリスはセシルを利用することしか考えていないはず。本命のエルンスト以外の男はみんな自分に尽くす都合のいい男だと思っている。彼女はそういう悪女なのである。


 でも騙されたいなー、こんなに可愛いんだもんな。


 落ち着け僕、ありすのほうが一億倍可愛い。


「まず、誰彼構わず魅了魔法をかけるのをやめなさい」


 アリスはすぐに本性を出した。セシルのその言葉を聞いた途端、彼女は眉間にしわを寄せ、露骨に不愉快そうな顔をした。


「どうしてそんなことを言うの? わたし、そんなことなんてしたことないわ」

「嘘をつくな。さっきだってお茶に何か混ぜたでしょう」

「混ざっていたかも。だってわたし、魔力が強すぎて、コントロールできなくて。聖女って不便ね。ね、お兄様も知っているでしょう?」


 表情を改め、今度は唇をつんととがらせてかわい子ぶった顔をする。恐ろしい女だ。


「魔法の訓練をしよう。前々から魔力をコントロールする訓練をすべきだって、ローレンツに言われていたでしょう? 僕がもう一回ローレンツに頼んできてあげるから、ローレンツに教わりなさい」


 アリスがいやいやと首を横に振る。そして、「ふふ」と悪い顔で笑う。


「またまたそんなこと言って。前に話をした時、お兄様は僕が教えてあげるからローレンツと付き合うのはやめなさいって言っていたじゃない」


 迂闊だった。確かにそんなこともあった。セシルはとにかく独占欲の強い男で、アリスが他の攻略対象と仲良くするたびに機嫌を悪くしていた。


 だが、魔法を学ぶならローレンツが、武術を学ぶならマテオが最適だ。受験勉強のストレスでRPGをやり込んだセシルには二人のカンストしたステータス画面が見えるようである。ちなみに残念ながらWeb小説の題材になりがちな乙女ゲームはやったことがないので好感度うんぬんをモニター画面で見たことはないのだが、小説は結構読んだのでなんとなく想像はできる。


「それで、えーっと、僕はどうしたんだっけ?」

「アリスが根を詰めて勉強をするのは可哀想だからって言ってやめたんじゃないの」

「Oh」


 セシルとかいう男、どこまでも最悪。


「それをいまさら蒸し返すなんて」

「でもアリス、今から三ヵ月で最低限それくらいはマスターしないと。魔法の力じゃなくて、アリス自身の人間的な魅力で周りの人間をオトせるようにならないとね」

「まあ! お兄様ったら、わたしの周りの人間がわたしのことを好きなのはみんな魔法のせいだって言うの!?」


 やってしまった。


「ひどい。あんまりよ」


 しくしく泣き出したアリスを前に、セシルはしばし呆然とした。確かにこれはちょっと可哀想だったかもしれない。でも、事実だし。アリス本人が愛される理由は、まあ学園のアイドルなのでちょろい男たちがどんどんオトされるのはわからなくもないが、少なくとも生徒会役員のようなモテる男たちが身を焦がすにはちょっと足りない。


「ご……ごめんよアリス」

「悪いと思ってるならぎゅってして」


 一秒前まで泣いていたのを忘れたかのような笑顔で、両腕を伸ばしてくる。


 セシルは負けた。膝立ちをしてアリスを抱き締めた。もうだめだ、何もかも。セシルは弱い、アリスには勝てない。


「ぎゅう……」

「お兄様、だーいすき!」


 う……っ、つら……。


「いや、ね、アリス」


 アリスを抱き締め、彼女のピンク色の髪に覆われた後頭部を撫でながら、ささやくように言う。


「せめて、エルンスト殿下とは少し距離を置こう」

「やだー、お兄様ったらまたやきもちー?」

「違うんだって、エルンスト殿下が目を覚ます時間が必要なんだって。べたべたしていたら二人とも勉強どころじゃないでしょう?」


 アリスが張りつけば張りつくほどアリスやエルンストに対する他の女生徒の好感度が下がっていくしな、というのはどこまで話したらいいのかわからない。


 セシルを抱き締める腕の力が、強くなる。


「だいじょうぶよ、心配しないで、お兄様。アリスは、お兄様のことも、ずっとずっと好きだからね?」

「はい、終わった! 終わりです! 僕の負けです! もう今日はやめましょうこれ以上は!」


 セシルは観念してアリスを解放した。


 一人になったセシルは、壁に背を預けて、しょんぼりして溜息をついた。


 アリスを諭すのは無理だ。今世のセシルは病気かと思うほどアリスを溺愛していたし、前世のセシルも妹が死んだことをきっかけに自死するくらいの重度のシスコンであった。妹という存在そのものが弱点なのだ。


 仕方がない。作戦を考え直そう。


 アリスの魅了魔法が絶対に通じないキャラを味方につけるのだ。


 そして、そのキャラはこの世界でただ一人だけ。


 前世は乙女ゲームの攻略者であった、最強の女ヴァルトラウト。


 彼女も、転生者であるはずだ。



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