第2話 乙女ゲームの世界をメタ的に見たWeb発小説の世界をメタ的に見た異世界ファンタジーという二重構造

 前世のセシルは享年二十三歳である。

 物語世界のセシルは十七歳で高等魔法学園の五年生、日本で言うところの高校二年生だが、セシルの中の人は三浪して大学二年生をやっている。

 三浪して二十三歳で大学二年生というところから察するものがあると思うが、前世のセシルは大学受験に失敗している。


 前世のセシル、日本でのセシルには妹がいた。


 彼女の名もありすである。


 両親が苦労して不妊治療をした結果生まれた六歳年下の妹で、両親も前世のセシルも彼女を溺愛して育てた。


 ありすは良い子だった。

 素直で明るく優しい子で、少し繊細なところもあり、家族や学校の友達に心を砕く、天使のような少女だった。


 ところが、天は無情である。


 ありすは小児がんを患った。


 彼女が十歳の時、前世のセシルが十六歳の時に診断がくだる。

 それからというもの、ありすは壮絶な闘病生活を送ることになる。


 高校生の前世のセシルは決意した。

 自分は医者になる。

 そして、ありすの病気を治してみせる。


 あまりにもありきたりな、わかりやすい目標だったが、前世のセシルは本気だった。


 そして、猛勉強を始めた。


 だが、どれだけ勉強をしても、模試ではどの医大もC以上の判定が出ない。

 悔しいことに、数学と化学ができなかったのだ。

 典型的な文系脳だったのである。


 ありすやありすと同じ病の子供のために、前世のセシルは死に物狂いで勉強した。

 でも、どれだけ勉強しても、成績は良くならない。精神的にも身体的にも限界が来ていた。


 ある時、ありすが、お兄ちゃん無理しないで、と言って泣いた。


 両親も善良な人たちだったので、息子が根を詰めて勉強をしているのが心配だったらしい。同級生たちが青春をしているのに、息子は彼女も作らず机にかじりついているのが悲しかったそうなのだ。


 家族を苦しめてまで勉強するのは本末転倒だ。


 前世のセシルは、二回目の共通テストのあと、三回目は文系の学部を受験することにした。すでに二十歳になっていた。


 そういうわけで、笑ってしまうほど簡単に有名私大の文学部に入った前世のセシルは、死んだように生きることになる。


 そして、運命の時が来る。


 ありすが十七歳で旅立った。


 前世のセシルは、無力だった。


 ありすが死んだというのに、自分が生きている価値はない。


 そう思って身を投げたのが、前世の最後の記憶である。


 ありすは小説を読むのが好きだった。


 ずっと入院していてほとんどベッドの上だったので、スマホでWeb小説を読み漁っていた。それで、気に入った小説が書籍化されると、両親や兄にねだって紙の本を買ってもらっていた。


 前世のセシルが悪役令嬢ものの小説に詳しくなったのも、この影響である。


 ありすが夢中で読んでいる物語がどんなものか知りたくて、ありすのために自分が買った小説を、ありすに渡す前に読むようにしていた。


 物語の中の悪役令嬢たちは強く美しい女性ばかりだった。悪役とついているだけあってあくどい女性もいなくもなかったが、そのひねくれたところでさえ魅力的だった。精神的にタフで、素晴らしい女性ばかりだった。ベッドの上で小説を読んでいるだけのありすが、自分の知恵と勇気で未来を切り開く悪役令嬢たちにあこがれるのも、わかる気がした。


 中でも『悪役令嬢は華麗なる復讐者にして世界を統べる女王』、略してふくすべはインパクトの強い作品だった。


 タイトルのとおり、悪役令嬢は前世の知識で内政チートをしてオルファリア王国を転覆させ、女王になるのである。


 物語の本番はパルカール王子、つまり隣国の王太子に溺愛されたあと、パルカール王子はパルカール王に、悪役令嬢ヴァルトラウトは新生オルファリア女王になり、ロミオとジュリエット的な展開になってからだと思うが、そのへんはありすからまた聞きした第二部の話だ。紙の本への書籍化はまだされていなかったから、セシルはよく知らない。早く紙になれ、と念じているうちにありすが亡くなって前世のセシルは生きる気力を失った。


 こんなことならWebで読んでしまうべきだった。悠長に紙になるのを待っている場合ではなかった。

 一巻が出てからすでに一年くらいになる。

 もう本文はWebにあるのに、二巻を出すのに一年もかかるのだろうか? 小説を書いたことのないセシルは、Webの原稿をまとめるだけなのだから二、三ヵ月くらいで次を出せばいいのに、と考えていた。世の中には三ヵ月連続刊行とうたって連続で出る小説もあるのに。


 可哀想なありす。ふくすべの二巻を読まずに死んでしまった。

 展開は知っていたと思うが、表紙絵や挿絵を見たかっただろうな。なにせヴァルトラウトは絶世の美女だったし、ありすの推しの第二王子も絶世の美少年だった。

 なんでメインヒーローのパルカール王太子を推さないのかよくわからなかったけど。オルファリアキャラ、だいたい破滅するのに、主人公補正でハッピーエンド確定のパルカール王太子を推さなくてよかったのか? ふくすべは結構シビアな世界観である。


 ちなみにセシルはアリスをかばって死ぬ。


 まあ……前世の僕もそういう系だったけど……転生してまで若くして死ぬんだ……。


 せっかく生まれ変わったのに、なんだか惜しくなってきた。


 ここにいる妹のアリスは健康そのものだし。


 ふくすべのメインヒロイン――ややこしいが、ふくすべは乙女ゲームの世界を舞台にした小説なので、ここでいうメインヒロインとは物語のヒロインのヴァルトラウトではなくゲームのヒロインのアリスのことである――のアリスは基本的に悪役である。


 甘えん坊で、努力が嫌い。勉強は投げ出して、周りの男たちに頼ってどうにかしようとする。昭和的な古い言い方をすれば、ぶりっこでおべっか使いである。自立した女性を目指す令和の少女たちにとっては感情移入しにくいキャラだろう。しかしアリスは聖女として魔法が使えるので、男は次々と彼女に魅せられていく。アリスはなんとかサークルの姫なのだ。


 そして、本当は優秀なのに素直でない性格のためにアリスに服従しないヴァルトラウトを貶め、陥れる。


 いじめっ子なのである。


 それを溺愛する義兄の僕……。


 うわー、きっつい。


 前世のセシルもZ世代男子なので、女性は共働きしてくれるような強くて賢くてかっこいいタイプがいい。


 ありすは可愛かったが、恋愛感情ではなかった。


 かといって、『妹』を見捨てるわけにはいかない。


 前世の記憶が戻っても、今世の記憶を失ったわけではない。


 アリスがこの家に養女に来てからの三年間は豊かだった。可愛くて甘えん坊の妹に振り回される日々は充実していた。もちろん男に媚びる傾向にある彼女への違和感はあったが、それを上回るいとおしさだった。それこそ、彼女がエルンストにかっさらわれた時はショックを受け、監禁しようとするほどには。


 監禁?


 馬鹿じゃないの?


 アリスとありすが同じ名前なのもきつい。それは前世でも今世でもセシルに妹を守ることを義務付けるようなさだめを意味していた。


 ていうかふくすべ、アリスが悪役として破滅していくのに、ありすは自分の同名のキャラがそういう目にあってもなんとも思わなかったのか? まあ、いいけど……。


 とにかく、アリスを破滅させるわけにはいかない。


 ふくすべのセシルは前世の記憶がないただの攻略対象で当て馬の一人だったのでなすすべもなく落ちていくが、今のセシルにはふくすべの知識がある。


 なんとかしよう。アリスを、まあ彼女に非がありまくるので百パーセントざまぁを阻止するというのも難しいと思うが、せめてもっと穏当なエンディングを迎えられるようセシルが動き回るのだ。


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