第9章 海戦

第二十話 日本海

―名和一族による天皇救出―


 正成が幕府軍を相手に善戦を続けているその頃、伯耆の国、名和長年と毛利時親は、いよいよ後醍醐天皇の救出にむけて、その動きを活発化させていた。


 鎌倉幕府との戦いの形勢は、「千早城」と「伯耆の国」の双方で正成に有利な状況に傾きつつあった。


 名和長年は、静かな波音に耳を傾けながら立ち上がった。

 灯篭の明かりがわずかに揺れ、集まった家臣たちの顔を照らしている。

 彼の鋭い眼差しが一人一人を見渡し、低く、しかし確固たる声が静寂を破った。


 名和長年は甲板の中央に立ち、静かに荒れ狂う波を見つめていた。

 海上に響く波音は耳に刺さり、冷たい風が彼の外套を揺らしている。

 だが、その顔には決意が浮かんでいた。

 全員の命を懸けたこの航海が、後醍醐天皇を救い出し、新しい世を切り拓く鍵になると信じているからだ。


「この航海は、我々の未来を決める重大な試練だ」

 と名和は静かに言葉を紡いだ。

 その声は、風にかき消されることなく甲板に集まる家臣たちの心に染み渡った。

「日本海の荒波と幕府の厳しい監視が立ちはだかる。我々の船が沈み、命を散らすこともあるだろう。だがそれでも帝をお救いし、正しい世を取り戻すためには、この道を行かねばならぬ!」


 家臣たちは名和の言葉に静かにうなずいた。

 顔には緊張の色が浮かぶが、その目は確かな決意で燃え上がっていた。


 その時、名和の隣にいた毛利時親が、拳を固く握りしめた。

「名和殿、必ずや帝を! この命を懸けてでも!」

 その言葉には熱がこもり、彼の背筋はまっすぐに伸びていた。


 準備が整うと、名和長年率いる船団は月明かりを頼りに夜の闇に乗じて出航した。

 船団を導くのは代々名和家に伝わる海賊の知識と幾多の航海で培った経験だった。

 冬の日本海は冷たく、波は高かったが、名和の指示は的確で、船員たちは一糸乱れず動いた。


 空は曇り空のままだったが、風は次第に強さを増し荒波が船体を激しく叩いた。


 名和長年は甲板に立ちながら、水平線の彼方をじっと見つめていた。

 その目には、一歩も退かない覚悟が宿っている。

 雲間から顔を覗かせた月が、時折波間に輝きを投げかけた。


「これからが本当の試練だ…」

「だが、この海を越えねば、新しい時代は見えてこない」

 名和は心の中で呟いていた。


 彼の隣では、毛利時親もまた波をじっと見つめていた。

 その眉間には不安の影が見えたが、瞳には、燃えるような意志が浮かんでいた。

「名和殿…たとえ嵐が来ようと、我々は進まねばならない」

 と彼はぽつりと口にした。


 名和は時親の言葉に頷いた。

 両者の間に交わされる言葉は少なかったが、思いは一つだった。


 一方、船団の後方には、あやめの姿があった。

 彼女もまた天皇救出の使命を胸に刻んでいた。


 あやめは甲板の端に立ちながら、静かに海を見つめていた。

 波の音が彼女の耳に響き渡り、冷たい風が髪を舞い上がらせた。

「必ず帝を救い出す」

 彼女の胸の内に秘められたその覚悟は、荒れ狂う波にも揺るぐことはなかった。


 夜は深まり、風はさらに強くなった。

 船は何度も波に飲まれかけたが、名和の冷静な指揮のもと船団は嵐に耐えた。

 甲板では、船員たちが互いに声を掛け合い、帆を調整しながら前進を続けていた。

 隠岐島まではまだ遠いが、彼らの決意は揺るがない。


 冷たい海風にさらされながらも、彼らの心には一つの願いがあった。

 後醍醐天皇を救い、この国を新しい光へと導くという使命。

 それが、彼ら全員の支えだった。


 日本海の夜は冷たく、荒々しい波が船体を打つたびに、船は揺れた。

 しかし、名和長年、毛利時親、そしてあやめを含む船団の者たちは、ひるむことなく航海を続けていた。


 冷たく鋭い夜風が日本海を吹き抜ける中、船室には油灯の微かな明かりだけが揺らめいていた。

 名和長年、毛利時親、そしてあやめの三人が集い、海図を囲んでいる。

 彼らの顔には緊張と決意が宿り、静けさの中に戦場を目前に控えた者たちの覚悟が感じられた。


 名和長年は海図を指し、確信に満ちた声で語り始めた。


「我々はこの日のために全てを準備してきた。幕府は我々を見つけ次第、必ず水軍を差し向け、天皇救出を阻むだろう。しかしこの海域の地形を熟知し、隠密の航海術を磨き続けた我ら名和一族をそう簡単には止めることはできない」


 彼の言葉には、幾多の試練を乗り越えてきた船長としての自信があった。

 しかし、毛利時親はなおも冷静さを保ちながら口を開いた。


「名和殿、我々の戦力は確かに優れている。しかし、敵水軍が現れ、その規模が我々を凌駕している場合も十分に想定できる。その対応だが」

 その問いに、名和は短く頷き、冷静な瞳で海図に目を落とした。


 その視線は、海の彼方まで見通すかのようだった。

「既に想定済みだ。敵船団の追手が来れば、帝を乗せた我々の小船団は、あえて敵の目に触れる形で、我々の大船団が密かに待機する入り江へと逃走を開始する」

「幕府が油断をして追跡してくる状況をつくりだし、誘い込んだ入り江で挟み撃ちにし、一網打尽にする。それが我々の策だ」

 名和の言葉は明瞭で、確固たる計画に基づいていた。


 あやめは海図の端を押さえながら、その戦略を確認するように頷いた。

「入り江に敵を引き込み、地形を利用して包囲するという策ですか。この海域を完全に熟知している名和殿だからこそ、為せる業です」


「その通りだ、あやめ殿」名和は静かに答えた。

「既に我々の大船団は、出航し、別ルートから隠岐島の入り江に向かっている。いかなる状況でも、大船団は、出撃準備を整えている。幕府が帝の小船団を追えば、その瞬間、我々の大船団は、全力で敵を包囲する」


 毛利時親は名和の言葉に深く頷いた。。

「名和殿、私も全力でお支えします。この戦い必ず勝利を掴み取らねばなりません」


 名和もまたその手を握り返し、視線を海図から遠く見えざる敵の彼方へ向けた。

「この戦いこそ、我々の真価を示す時だ。幕府は民を苦しめてきた。しかし、ここで我ら名和一族の力を存分に発揮し、奴らを叩き潰す!」

 

 その言葉に、あやめも力強く頷いた。

 彼女はもう一度海図に目を落とし、敵の動きを予測しながら、胸に秘めた覚悟をさらに強めた。


 その夜、名和の大船団は、別ルートで静かに波間を進んでいた。

 空には雲が広がり、星明かりも月の光も遮られていた。

 海は荒れ始め、冷たい風が吹きつけ、甲板を揺るがす波が絶え間なく押し寄せた。

 それでも、船団は名和の指揮のもと、嵐の合間を縫うように隠岐島への道を慎重に進んでいった。


 甲板に立つ名和は、荒れ狂う波をじっと見つめながら、夜の静寂の中に呟いた。


「この海を越えれば、新たな歴史が始まる。我々は帝をお救いし、この国に正しき光を取り戻す」

 冷たい風が彼の言葉を吹き去る中、その背中には揺るぎない信念が感じられた。

 彼の周囲には同じ志を抱く船員たちが、黙々と作業を続けていた。


 帝救出に向かう小船団は夜の闇の中、静かに進んでいく。

 その姿は、まるで嵐の中で光を探し求める希望そのものだった。

 彼らは確信していた。

 この航海が、ただの救出作戦ではなく、未来への大きな一歩であることを。

 そしてその一歩が、歴史を変える始まりになることを。


 そして、嵐を乗り越え、三名を乗せた小船団は隠岐島の近くの島にたどり着いた。

 その後、幕府の監視の目が緩む深夜を待ち、無事、帝が幽閉されている島に上陸を果たした三人は、帝の居場所を探すため出発したが。しかし、幕府の監視は、厳しく居場所を突き止めるのは困難を極めると思われた。


「名和殿、この島のどこかに帝がおられるはずだが、幕府の手先が島全体を見張っている。どうやって帝の居場所を突き止めるべきか」

 と、時親は不安の表情を見せた。


「時親殿、心配には及びません。私ども名和一族は、長年にわたり、島の住民たちと海の安全な航行、治安維持、商いを通じて深い絆を築いています。既に手筈は整えております。只今から島の長に会い、情報が得てまいります」

 と、名和長年は自信を持って答えた。


 間もなく、名和は島民たちに接し天皇が幽閉されている場所に関する情報を得た。

 港の東、湾に突き出た丘の上に、静かに佇む古びた建物であった。


「帝はあの古びた建物におられるのか。なんと慎ましい生活をされているのか」

 帝の宮は、時親の想像を超え、その瞳からは一筋の涙がこぼれていた。

 

 しかし、時親は決意を新たにした。

「我々の使命はここからが本番だ」


 夜の帳が下りた頃、名和たちは丘の上の建物へと向かい、周囲の警備を確認した。

 建物の外には、幕府の兵士たちが見張りをしていたが、あやめがその兵士の背後にまわり一人一人と捕縛し、縄で縛り上げ動きを完全に止めた。


 その隙に他の者たちが建物内に潜入した。

「あやめ、よくやってくれた。これで帝を救い出せる」

 と時親は感謝の意を伝えた。

「あやめは、ただ任務を遂行したまでです、どうか急いで帝をお連れください」


 帝は、建物の奥深くに幽閉されていたが、時親と名和は、無事に帝を見つけ出し、救い出すことに成功した。

「帝、お待たせいたしました。私は、先の六波羅探題評定衆の毛利時親と申します。こちらは、伯耆の国、豪族、名和長年と申します。我々がここまで参りました」

 と、時親は深々と頭を下げた。


「公家大江一門、毛利時親。正成の軍師であるな。そなたの活躍も聞いているぞ」

「時親……。よくぞここまで来てくれた。私はもう一度、この国を正しい道へと導くために、必ず生き延びねばならぬ」

 と、帝は感動しつつ答えた。

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