第8章 決戦
第十九話 千早城
―千早城構想―
元弘三年(1333年)の初め、河内国の山々は厳しい冬の寒さに包まれていた。
東国で裏工作を終え、河内の国に戻ってきた楠木正成は、深く考え込んだ表情で山の景色を見つめていた。
下赤坂城はすでに幕府の大軍に対抗するための重要な拠点となっていたが、それだけでは足りない。彼はさらなる策を講じなければならないことを悟っていた。
「下赤坂城だけでは心もとない……。新たに城を築かねば」
正成は自分に言い聞かせるように呟いた。
その瞬間、彼の頭に浮かんだのは、金剛山を後ろ盾に築く千早城の構想だった。
この自然の要塞を利用し、徹底抗戦に備えるための最後の砦とするべきだと正成は決意した。
正成はすぐに千早城の建設を開始した。
彼は山の急峻な地形を最大限に活かし、敵が容易には攻め寄せられない天然の防御線を築こうとした。
「まずは、物見やぐらを建てよ」
正成は周囲の者たちに指示を出しながら、鋭い目で山の地形を見回した。
「敵の動きを一早く察知することが、勝利への第一歩だ」
その言葉に応じ、地元の農民や木こりたちが協力し、石を積み、木材を運び、日夜働いた。数週間で城の骨格が出来上がり始めた。
「この城は…まるで山そのものが城壁になっているようだ」
と木こりの一人が感嘆の声を漏らした。
「正成様の知略に感服だ」
隣にいた仲間も共感していた。
正成は彼らの言葉を聞きながらも、目の前の仕事に集中していた。
彼の頭には、これから訪れるであろう幕府の大軍が明確に浮かんでいた。
金剛山の険しい地形は、楠木軍とって強固な要塞であり、徐々に、防衛線を築き上げつつあった。
下赤坂城、そして千早城、これら二つ城は幕府の圧倒的な大軍勢に対して、最後の防壁として機能する予定であったが、しかし、千早城の完成には、いまだ至っていない状態であった。
楠木正成は高台に立ち、城下を見下ろした。
幕府軍が迫るとの報告が届き、彼の鋭い眼差しが遠方の山々を見据えた。
城内では兵士たちが緊張の面持ちで準備を整えていた。
彼らの動きは迅速だが、寒さが骨に染みる中、吐く息は白く、甲冑がかすかに鳴る音だけが響く。
空気は張り詰め、戦の幕開けを予感しているかのようだった。
―下赤坂城指揮官
正成は、決戦の前衛基地となる下赤坂城の指揮を家臣の平野重吉に任せるため、下赤坂城を訪れた。
「千早城の完成には、今しばらく時間が必要だ。下赤坂城で、籠城戦を展開して、しばらく時間を稼いでほしい。しかし決して無理はするな」
その後、正成は、急ぎ千早城に戻り、城の完成に向けて、専心していた。
日が中天に差し掛かる頃、冬空に轟く太鼓の音が遠く山間を震わせ、幕府軍の大軍勢が三方から押し寄せはじめた。
その足音が大地を踏みしめ、下赤坂の谷を埋め尽くしていた。
雪に残された無数の足跡は、まるで彼らの圧倒的な数を物語るかのようだ。
見渡す限りの兵が、冷たい冬風の中、進軍を続けている。
その先に立ちはだかるのは、わずか三百名の兵を率いる平野重吉の部隊だった。
「弓を構えよ! 矢を放て!」
平野重吉の力強い号令が響く。
部下たちは矢筒から最後の一本までを惜しむことなく取り出し、天に放った。
空を切り裂く音が、冷え切った空気を裂き、幕府軍の前列に突き刺さる。
しかし、それでも彼らの進軍は止まらない。
敵は押し寄せる波のように次々と現れ、彼らの矢は尽きかけていた。
平野重吉は、敵をただ迎え撃つだけではなく、戦略を練り、時間を稼ぐことに全力を注いでいた。
その背後では、千早城の工事が急ピッチで進められている。
「我らが命を賭しても、この地を渡すわけにはいかない!」
彼の言葉に、兵たちは再び士気を奮い立たせた。
だが、幕府軍も策を講じていた。正面からの強攻を避け、下赤坂城の山間に隠された水源を断つという狡猾な作戦だった。
水の供給が絶たれると、城内の状況は瞬く間に悪化した。
「水がもう尽きそうです……」
「この渇きは、私たちの使命に比べれば何でもない」
平野重吉は部下たちに力強く言い聞かせた。
「ここで一刻でも耐えることで、千早城は完成し、楠木正成様の計略は実を結ぶ。我らが命懸けで戦うことには、天下泰平に大きな意義がある!」
その言葉に兵士たちは剣を握り直し、疲れた体を再び動かした。
敵の圧倒的な数と力の前に、平野重吉の部隊は徐々に押されていった。
それでも彼らは奮戦し続け、幾度も城門で敵の侵入を阻止した。
剣と槍がぶつかり合う音が続き、凍りついた大地に倒れる仲間の声が次第に少なくなっていく。
彼らは限界を超えて戦った。
ついに、敵が城内へと雪崩れ込んだ。
平野重吉は最後の力を振り絞り、己の剣を握り直した。
「ここが我が終焉の地であろうとも、我が命は未来への礎となる」
その瞬間、彼は敵兵に囲まれ、次々と剣を振るった。
しかし、ついにその身は倒れ、城は陥落した。
だが、その犠牲は無駄ではなかった。
平野重吉とその兵たちが命を賭して稼いだ時間により、千早城は無事に完成を迎えたのである。
―生きた要塞「千早城」の完成―
千早城の天守から、楠木正成は静かに下赤坂城の方向を見つめていた。
その瞳には、決意の炎が宿っている。
「平野重吉よ……汝の犠牲、確かに受け取った。ここに千早城は完成した。我ら楠木軍は、汝の想いに応え、必ずや幕府を倒す!」
その声は冬空に響き渡り、山々に反響した。
命を懸けた戦いの灯火が、新たな未来への道を照らしていた。
正成は城の隅々を歩き、すべての準備が整っていることを確認した。
城の上から見下ろすと、遠くに広がる山並みと、それを覆う冷たい冬の風景が目に映る。
その時、雷蔵が近づいてきた。
「正成様、すべての準備が整いました。これで、いつ敵が来ても持ちこたえることができます」
「そうだな、雷蔵」
正成は頷きながら、雷蔵を見つめた。
「しかしこれからが本番だ。幕府は大軍を送り込んでくる。我らの知略と城の防御力
を最大限に生かして戦わねばならない」
「お任せください。我々は必ずや持ちこたえます」
雷蔵は力強く応じた。
正成は再び視線を遠くに向け、
「この千早城での一戦が、日本の未来を決める戦いとなるだろう」
と静かに語った。
――その頃、遠く離れた鎌倉では、執権、北条高時が怒りを爆発させていた。
「楠木正成の仕業か!幕府の御所に火をつけ、将軍を脅すとは、許せん!」
北条高時は怒り狂い、周囲の者たちに命令を飛ばしていた。
「河内の反乱を鎮めるため50万余騎を送る! 正成を討ち取るのだ!」――
幕府の大軍が迫っていることを知りながらも、正成は動じなかった。
「敵は必ずや、この千早城に攻め込んでくる。だが、この城の防御力と我々の知略をもってすれば、彼らの大軍を打ち破ることができる」
正成は確信していた。
山々に吹く風は冷たさを増し、戦いの気配が漂っていた。
正成はその風を感じながら、千早城の頂で静かに戦いの準備を進めていた。
河内の国、千早城――それはただの城ではなく、正成の知恵と忍たちの技術が結集した「生きた要塞」として完成していた。
千早城の真の凄みは、その緻密な設計と地形を最大限に活かした防御力にあった。
まず千早城の立地が際立っていた。
城は金剛山の中腹に位置し、自然の急峻な地形をそのまま利用して築かれていた。
周囲は険しい崖に囲まれ、侵入者にとって一歩踏み出すたびに足をすくむような恐怖を感じさせた。
また深い森が城を取り囲んでおり、外部からの視認を遮り奇襲を仕掛けるための隠れ場所を提供していた。
この地形だけでも敵の大軍を容易に寄せ付けない天然の防壁となっていた。
この城に攻め込む者は、まるで山そのものと戦うことになる。
城へ向かう道が、迷路のようになっており、容易に城に到達することができない。
さらに、城内の構造も工夫されていた。
千早城の内部にも、迷路のように複雑に張り巡らされた通路があり、侵入者はすぐに方向感覚を失ってしまう。
進めば進むほど、敵は自分がどこにいるのかわからなくなり、侵入者は迷路の中で翻弄され、城内の至る所に仕掛けられた、隠し扉や落とし穴、毒矢が敵を襲う。
これらの罠は、正成と忍たちが長い時間をかけて設計し、何度も試験を重ねた末に完成させたものだ。
敵がどこから来ようとも、我々は常に先手を打つことができる。
この罠があれば、幕府の大軍も恐れるに足らない。
そして、忍たちが、敵に気づかれずに城内外を自在に行き来できるよう設計された「
この「忍の道」は、千早城に食料や人材を補給するための秘密のルートでもある。
その道は、城を取り囲む金剛山を越え、大和の国を抜け、伊賀まで繋がる隠された補給路であった。
このルートを使えば、たとえ城が包囲されても、伊賀からの支援を受け続けることができた。
正成は、既に伊賀と綿密な連携を取っていた。
今回、千早城に配備する兵の数は表向きは、700名。
しかし伊賀には、別の700名の部隊が既に用意されていた。
戦がはじまれば7日ごとに金剛山に隠されている「忍の道」を経由して、伊賀から350名が送られ、城の兵の半分は入れ替えられる。
このように千早城に配備される兵は、長くても14日間耐えれば、休息が与えられるという斬新なシステムがとられていた。
千早城は、ただの要塞ではなく、戦略的な知恵と忍の技術が結集した「生きた城」であった。
正成はこの千早城を拠点に、幕府に対する反撃の機会を伺いながら、決して動じることなく準備を進めていた。
やがて、幕府の大軍が河内の国に迫っているという知らせが届いたが、彼の言葉は不思議なほどに冷静であり、家臣たちはその冷静さに勇気を得た。
正成の元に集まった者たちは、彼の信念と知略を信じ、この決戦に挑む覚悟を固めていた。
―決戦最初の攻撃―
凍てつく風は依然として吹き荒れていたが、その冷たさの中で、彼らの心は一層燃え上がっていった。
次の戦いに向けて、彼らの士気はすでに天を衝く勢いであった。
彼の眼差しは千早の山々に向けられ、次に訪れる決戦に備えて静かに歩み出した。
下赤坂城は失われたが、正成の心には燃え盛る復讐の火が灯っていた。
下赤坂城の陥落後、幕府軍は勢いそのままに千早城を目指した。
幕府軍は援軍を含め、総勢50万と称するほどの大軍である。
数日後、幕府の軍勢がついに千早城を取り囲んだ。数え切れぬほどの兵士たちが、山を越え、城を取り囲む様子は圧巻だった。
彼らは、下赤坂城で得た勝利の余韻に浸りながら、同じく、この城も容易に陥落させられると信じて疑わなかった。
やがて、幕府軍は一斉に城攻めの準備を開始した。彼らの指揮官たちは、数で押し切るつもりだった。
広大な兵力を信じ、次々と兵士たちを前線に送り込む。その日の夜、幕府軍は松明の光で山中を照らし、千早城へと続く狭い山道を登り始めた。
正成は冷静にこの動きを見守り、家臣たちに静かに命じた。
「まずは落石攻撃を仕掛けよ」
家臣たちはすでに準備していた巨石を押し出し、山道に進軍してくる敵兵たちに向けて次々と転がし始めた。
山道は急で狭く、一度転がり始めた岩は、止める術もなく兵士たちを襲いかかる。
幕府の兵たちは、前方から迫る巨石に対して逃げ場を失い、次々と崖下へと転落していった。
「なんだ、この罠は!」
幕府軍の兵士たちは混乱に陥り、指揮官たちも想定外の攻撃に慌てふためいた。
彼らはこれまでの戦いで経験したことのない山岳地帯特有の戦術に直面していた。
平地での大軍同士の正面衝突に慣れた幕府軍にとって、このような戦いは予想外であり、さらに敵が見えない中での攻撃は彼らの士気を削ぎ始めていた。
しかし、正成の攻撃はこれだけではなかった。
落石が一段落した後、次に命じられたのは火計である。
次々と、忍が放たれ、山の中腹にある茂みや木々を利用して、敵軍が集結している場所に火が点火されていった。
風が吹き、燃え広がる炎はあっという間に幕府軍の陣営を包み込んだ。
火の手は高く上がり、敵軍の中は大混乱に陥った。
彼らは松明の光を頼りにしていたが、それが災いとなり、炎が彼らの周囲を焼き尽くしていった。
「退け。火を防げ」
幕府軍の指揮官たちは必死に命令を下すが、火の勢いは強く、兵士たちは、混乱して統制を失っていった。
その光景を見ながら、正成は再び冷静に次の命令を下した。
「今だ、弓矢を放て」
千早城の兵士たちはすでに待機していた弓兵を動かし、一斉に矢を放った。
燃え盛る炎の中で、逃げ惑う敵兵たちに向けて正確に矢が飛び交う。
敵は次々と矢に倒れ、さらに混乱は増していった。
幕府軍はその夜、何度も城を攻めようと試みたが、すべて失敗に終わった。
―幕府軍の水源地占拠―
冷たい朝霧が幕府軍の陣地を覆い尽くしていた。
夜通し焚かれた
昨夜の戦闘の余韻がまだ兵たちの顔に濃く残り、その虚ろな目は心の疲弊を物語っていた。
指揮官たちは、陣幕の中で焦燥感を隠せずに策を巡らせていた。
その中に立つ指揮官、金沢貞冬の声が響く。
「下赤坂城を陥落させた戦術だ。城の水源を断てば、いずれ奴らも屈服せざるを得なくなる」
彼の提案に一同は頷き、総勢三千の兵が水源を抑えるため動き出した。
しかし、楠木正成はその先を読んでいた。
千早城にはいくつもの秘密の補給ルートがあり物資やは十分に確保されていた。
さらに彼は木をくり抜いて作った特別な樽を三百も用意しており、既にそれを使って水を運び込んでいた。
水源を封鎖されても、楠木軍は苦しむどころか、逆に反撃の機をうかがっていた。
包囲された千早城を見上げる幕府軍の兵たちは、山中の厳しい寒さと過酷な環境に苦しめられていた。
焚き火に手をかざし、冷たい握り飯をかじる彼らの目には、次第に疲れと苛立ちが漂い始めていた。
連日の攻撃にもかかわらず、城の守りは崩れない。
それどころか、敵の気配すらほとんど感じられない不気味さが、兵たちの心に恐れを生んでいた。
そして月が雲間に隠れ、山の闇が深まった頃。
正成は静かに立ち上がると、忍に命じた。
「もうそろそろ疲れと油断が現れる頃だ。敵に夜襲をかける」
山に潜む霧がさらに濃くなり、正成が選び抜いた精鋭の忍たちは、音もなく幕府軍が陣取る水源地へ向かった。
夜闇に溶け込むように動く彼らの姿は、まるで山の精霊そのものだった。
―幕府兵の捕縛―
水源地に到着した忍たちは、手際よく動き始めた。
敵兵に音もなく近づき、一瞬のうちに攻撃を加える。
見張りの兵士が倒れる音を耳にする間もなく、別の忍が現れ、次々と敵兵を捕縛していった。
夜が明けると、正成は捕縛した敵兵を城の正面に晒した。
山肌に響き渡る彼の冷徹な声は、幕府軍の陣営に届いた。
「返してほしければ、力ずくで奪い返してみよ」
捕縛された仲間を見た兵士たちは激怒し、陣地がざわめき立った。
しかし、指揮官たちは正成の狙いを看破していた。
「罠だ。焦るな。本陣に報告し、策を練り直す」
その言葉に、兵たちは動きを止めた。
罠の可能性を恐れ、彼らは城に近づくことなく、慎重に陣地へと戻って行った。
しかしその退却する姿は、すでに士気の低下を如実に示していた。
「なに、楠木軍が、なめた真似を」
苛立ちを抑えきれなくなった幕府の指揮官たちは、ついに大規模な攻撃を命じた。
五千の兵が一斉に千早城に向けて進軍を開始した。
しかし、それは楠木正成が用意した罠にはまる始まりだった。
千早城の周囲には、雷蔵が考案した複雑な迷路のような道が張り巡らされていた。
その道は狭く曲がりくねり、偽の標識や木々に隠された落とし穴が巧妙に仕掛けられていた。
突撃を命じられた幕府軍の兵士たちは、山道を進むうちに方向感覚を失い、次第に混乱していった。
「どっちだ? 道が分からんぞ!」
「敵がどこにいるかもわからん!」
兵たちが困惑する中、暗がりから突然、忍たちが姿を現し、襲いかかった。
彼らは高所や茂みを巧みに利用し、素早い動きで敵兵を一人一人と倒していった。
さらに、混乱の極みに達した頃、正成の命で訓練された百頭を超える猟犬たちが、吠え声を上げ、噛みつかんばかりに敵陣に突進した。
「退却だ」
幕府軍の隊列は崩壊し、統制を失った兵たちは四散した。
その後、周辺に笛の音が響いた。
猟犬はすぐにその笛の指示に従い城に戻っていった。
この屈辱的な敗北を受け、幕府軍は力攻めを断念し、次の戦略に移行せざるを得なかった。
指揮官たちは顔を見合わせ、重苦しい沈黙の中で兵糧攻めに切り替える命令が下された。
しかし幕府軍の勝機はますます遠のいていくだけであった。
千早城の高台から、楠木正成は冷ややかな眼差しで、その様子を見下ろしていた。
彼の頭の中では既に次の手が練られており、勝利の道筋が鮮明に描かれていた。
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