第6章 隠岐島

第十六話 伯耆国

―天皇救出作戦計画―


 「未来記」の会話の後、雷蔵は、急ぎ、時親に書状を届け、その数日後に、時親が、下赤坂の居宅を訪れた。


 正成は、下赤坂の居宅に迎え入れた時親を前に、静かに語りかけた。

「時親殿、あなたの知恵と力がなければ、この大業は成し遂げられない」


 時親はしばし沈黙し、目を閉じて思案した後、口を開いた。

「我が力が必要であれば、惜しむことなく捧げよう。

 今こそ、後醍醐天皇を救出し、日本を立て直す時が来た。幕府の圧政に苦しむ民のためにも、この機会を逃してはならない」

 

 正成はその言葉に力強い意志を感じ、頷いた。毛利時親が後醍醐天皇救出のために全力を尽くす覚悟を持っていることを確認し、心の中で一筋の希望が灯った。

 二人は深い絆と共鳴を感じながら、さらに詳細な戦略を練り始めた。

 隠岐島から後醍醐天皇を救出するためには、慎重な計画が必要であり、時親の知恵が作戦の要となることは明白であった。

 

 楠木正成は、毛利時親の冷静な判断力に深い信頼を寄せながら、迫り来る決戦に備えて心を引き締めていた。

 幕府を打ち倒し、後醍醐天皇を再び京の地へと戻すため二人は、戦略を練り、意見を交わし続けた。


 夜が明け東の空に光が差し込む頃、戦いの幕が再び上がる新たな章を迎えた。


「このままでは、朝廷が再び権威と力を取り戻すのは難しい。何としても、隠岐島から天皇を救い出さねばならない。時親殿、何か良い策はありますか?」

と、正成が焦りを隠しながら口を開いた。


 時親は一瞬考え込み、眉を寄せながら静かに答えた。

「確かに隠岐島への道のりは遠く、幕府の監視も厳重だ。我々の力だけでは難しい。天皇救出には、外部からの支援が不可欠だ」


 正成は深く頷き、さらに問いを重ねた。

「外部からの支援。誰か心当たりでもあるのですか?」


 時親は静かに目を細め、ある人物の顔を思い浮かべた。

「伯耆の国に名門豪族がいる。名和長年なわながとしだ」



―孤独と屈辱の隠岐島―



 隠岐島の冷たい風が、後醍醐天皇の頬を刺すように吹き付けていた。

 辺りは荒涼とした風景が広がり、遠くの波の音がかすかに聞こえる。

 都を追われ、僻地に幽閉された帝は、孤独と屈辱に包まれていた。

 かつて帝の座にあった彼が、この荒れ果てた地に追いやられたことが彼の心に深い悔しさを刻みつけていた。


「これが……我が国の姿か……」

 後醍醐天皇は寂しげな声で呟いた。


 荒れた海を見つめながら、その瞳にはかつて栄華を誇った京の姿が浮かんでいた。

 しかし、その美しさも今は遠い過去のものだ。鎌倉幕府の圧政によって、自らの力を奪われ、無力な存在としてこの孤島に囚われた現実が、帝の胸を苛んでいた。


 しかし、帝の内心は決して折れていなかった。

 失われた権威を取り戻し、祖国を再び輝かせるという決意が、彼の心を燃やし続けていた。

「いつか、必ず……」

 帝は再び外を見つめた。


 その言葉は風に消され、誰の耳にも届かぬものとなったが、その瞳には一瞬の揺るぎもない光が宿っていた。

 失われた力を取り戻すために、彼はただ待つのではなく、自らの手で運命を切り開こうとしていた。

 鎌倉幕府によって縛られた今も、心の中ではすでに次の行動を見据えていたのだ。


「幕府がどれだけ強大であろうとも、幕府だけのものではない。武家の支配に任せておくわけにはいかぬ。民は、我が国を導くべき者を待っている」

 後醍醐天皇は、静かに心の中で誓いを立てた。


 未来の日本を思い描く彼の胸には、かつての栄光を取り戻し、民が平和に暮らせる新たな国を築くという強い信念があった。

 これは単なる権力闘争ではない。

 後醍醐天皇にとって、この戦いは祖国の未来を取り戻すための闘いであり、次世代の日本を築くための大いなる使命だった。


「この荒涼たる地で屈してなるものか……」

 天皇はその場に立ち上がり、差し込む冷たい光を浴びながら前を見つめた。


 帝の心には、決して折れることのない不屈の意志があった。

 たとえ今は幽閉されようとも、彼の魂は自由だった。

 そして、いつか必ず祖国を取り戻すために再び立ち上がる日が来ると信じていた。


「この手で新たな国を築く。その時、我が民は自由と繁栄を享受するであろう。未来ある祖国のために、私は戦い抜く」

 その決意は、波の音に包まれながらも静かに確固たるものとして胸に刻まれた。


 後醍醐天皇の目は、遠い未来を見据え、決して揺らぐことはなかった。

 彼がこの隠岐島から再び都へ戻る日を信じて、その意志はますます強固なものとなっていた。

 その瞬間、後醍醐天皇の心はもう孤島の荒野に縛られることなく祖国の未来を切り開く準備を進めていたのであった。



―伯耆の海賊と播磨の武将―



「名門豪族 名和長年なわながとし……」

 正成は、静かに呟いた。


「天皇救出のためには、伯耆の名門、名和長年が最適だ。彼の一族は海の戦術に長けており、隠岐島への道中での護衛や、幕府を欺く作戦にも彼らの力は絶大だ」

 時親は、ゆっくりと正成に説いた。


「名和長年か。彼はどのような人物でしょうか?」

 正成は興味を示し、さらに詳しく尋ねた。


 ――名和一族は、かつて海を支配した大海賊の血筋を持つ者たちであり、その名は畏怖と共に広く知られていた。

 現在の当主、名和長年は、その祖先から受け継いだ海上の知識と力を駆使し、伯耆の国で強大な勢力を保っていた。

 現在の彼の統治は極めて公正であり、地域住民からも厚い信頼を寄せられていたが、その影には昔日の海賊としての冷徹な判断力が隠れていた――


「名和長年は、義理と誠を重んじる人物だ。私とは旧知の仲でもある。彼に天皇救出の大義を説けば、必ず協力してくれるだろう」

 毛利時親は、過去の思い出を振り返りながら、名和長年の顔を思い浮かべた。


 その言葉を聞いた楠木正成は、すぐに立ち上がり、力強く応えた。

「名和長年。それでは、すぐに接触を図りましょう」


 二人の間には、これから始まる大きな戦いの重さが漂っていた。

 後醍醐天皇を救い出すための新たな希望が見えたことで、正成の胸には再び闘志が燃え上がっていた。


 その時、時親は鋭い目を正成に向け、声を低くして話を続けた。

「今後の軍略上、京の六波羅を攻めるには、まず播磨を抑えなくてはならない。しかし今、この地域を支配しているのが赤松円心あかまつえんしんであるが、彼は、今、幕府と朝廷の両睨みをしている」


「しかし、諜報の結果、天皇の綸旨さえあれば、朝廷側に加担する可能性が高いことが分かってきている。この際、彼を口説いて、こちらに引き入れる。円心は、かつて六波羅探題の評定衆にも名を連ねた人物。私が直接説得に赴く」


 時親は、さらに続けた。

「まずは天野山金剛寺あまのさんこんごうじに向かい、大塔宮護良親王の令旨をいただく。それを手に円心のもとへ赴き、彼に朝廷への忠誠を誓わせる。彼が我々に協力してくれれば、西国の玄関口をこちらが抑えることとなり、幕府にとって大きな脅威となるだろう」


 時親の計画を聞き、正成は深く頷いた。

「ぜひ名和長年と赤松円心の協力を取り付けてください」


 時親も同意し、さらに付け加えた。

「もちろん、そのつもりだ。それと東国の動向についても気にかけている。天幻丸が諜報活動を行っているので、まもなく情報を持ち帰るだろう」


「東国の件は、任せてください。私、正成が引き受けましょう」

 二人の間に静かな決意が満ち、正成は戦局の全体を見据えた。


「この戦いの鍵は、天皇を救出できるかどうかにかかっている。幕府が力を強める前に、我々は動かねばならない。私は名和長年のもとへ急ぐ」

 そう言い、時親は名和長年、そして赤松円心を説得するために席を立った。


 天皇の再起に向けて、新たな戦いが始まった。

 名和一族の協力、赤松円心への説得、天幻丸の潜入、これらの全てが後醍醐天皇を再び都に迎え入れる大きな一歩となることを、彼らは確信していたのであった。



―忍 あやめの護衛―



 隠岐島までの道のりには、多くの危険が待ち受けている。

 幕府の監視が厳重であり、どこに罠が仕掛けられているか分からない状況だった。

 そこで正成は時親の護衛として、優れた忍の技を持つ「あやめ」を選んだ。


 あやめは、服部一族に属する忍のなかでも、特に優れた技術を持ち、数々の危険な任務を成功させてきた者だった。

 

 時親があやめに声をかけた時、彼女は静かに一礼し、その任務を受けた。

「あやめ、我々が伯耆の国に向かう道中、幕府の追っ手が現れるかもしれない。その際には、君の力を借りることになるだろう」

「あやめ、私は天皇救出のために命を懸ける。よろしく頼む」

「承知いたしました。毛利様。私は影の者として、常に命令を遂行するのみです」


 河内の国を出発し、伯耆の国へと旅立つ時親の胸には、天皇救出という大義が燃えていた。

 その夜、時親とあやめは出発し、まず最初に大塔宮護良親王の令旨を賜るため天野山金剛寺に向かい、その後、先に播磨へ向かった。

 円心への説得を先行した理由は、彼は幕府と朝廷の両睨みであり、説得には複数回の訪問が必要とみてのことであった。



――播磨の国 赤松円心――



 乾いた風が田畑を撫で、冬の名残を感じさせる空気の中、毛利時親とあやめは播磨の国に入った。

 二人が目指すのは、この地の雄である赤松円心の居城である。

 円心は、天皇方と幕府の狭間に立つ中立的な立場を維持しながらも、兵力と知略において一目置かれる存在だった。


 居城の門前に到着した時親は、堂々とした声で門衛に名乗りを上げた。

「私は、河内の国の毛利時親、赤松殿との謁見を願うものである」

 門衛は一瞬、険しい表情を見せたが、時親の風格を前に言葉を飲み込んだ。

 

 そして、控えの者に伝令を命じた。

「毛利時親殿が参られたと申すか」

 邸内の広間にて、報告を受けた赤松円心は眉を寄せた。

 その横には、嫡男で慎重な性格で知られる赤松範資あかまつのりすけが控えていた。

 範資はすぐさま進み出た。


「毛利時親は、かつて頼朝公時代の幕府とも近しい関係にあった大江一族の末裔です。近年は幕府との関係を絶っているようですが、目的は不明です。即座に会われるのは危険かと存じます。まず、意図を探るべきかと」


 円心は静かに頷き、目を細めた。

「良かろう。時親を別邸に案内せよ。その間に、奴の腹を探るのだ」


 範資は門衛に伝令を出し、時親には「円心は所用のため外出中」と伝えられた。

 そして、来客用の別邸へと案内される。


 時親とあやめは、豪奢ではないものの風雅な造りの別邸に通された。

 だがその裏で、円心の家臣たちは時親の動向を鋭く監視していた。

 一方、時親も彼らとの会話を通じて、円心の心中を探っていた。

 時親は杯を手に取り、あえて無邪気に笑みを浮かべながら、円心の意向をそれとなく家臣たちに尋ねた。


「円心殿は、領内の民にとても慕われているようですな。幕府との関係も良好と聞き及ぶが、やはり朝廷への思いも強いのでしょうか。」


 家臣たちは表情を変えず、巧みに言葉をかわした。

「殿は慎重な御方ゆえ、どちらにも軽々しく肩入れはいたしません。」

 

 翌朝、冷たい霧が晴れる頃、ついに円心が帰還したとの知らせが届いた。

 邸内に案内された時親は、堂々たる風格を持つ円心と対峙することとなる。


「お久しぶりでござる。毛利殿、昨夜はご無礼を致した」

 円心は穏やかな声で語りかけた。

 その眼光は鋭く相手を値踏みするようでもあった。


 時親は頭を下げ、令旨を取り出した。

「早速ですが、こちらは大塔宮護良親王殿よりの令旨です。今のこの国難にあたり、後醍醐天皇の討幕の大義を掲げ、円心殿の助力を乞うものです」


 円心は令旨をじっと見つめた。その顔に浮かぶのは、長年の葛藤の色だった。

 朝廷への忠誠か、幕府との関係維持か――彼の内心は揺れ動いていた。


「そういうことでございますな。私も旧態依然たる幕府の振る舞いには、内心辟易している。しかし、朝廷が本当に私の努力に報いてくれるのか、それがわからぬ限り、軽々に動くことはできぬ、いまだ鎌倉幕府の統治はつづいておりますゆえ」


「円心殿、天皇の大義をお信じください。恩賞の約束は確かなもの。円心殿の知略と兵力が加われば、新たな時代の礎となりましょう」


 時親の言葉に耳を傾けながらも、円心は即答せず、さらなる熟考の時間を求めた。


「毛利殿、我々としてはまずは一族、家臣をまとめる必要がある。出陣を整え、またお会いできる日を楽しみにしていただきたい」

 こうして時親は、一旦円心の元を後にすることとなったが、再び訪れることを固く約束した。


 次にめざす伯耆の国には名和長年が待ち受けており、彼との協力関係を築くことが 次の課題であった。

「後醍醐天皇救出が成功すれば、確実に円心は朝廷側に加担する。何としても天皇の救出と綸旨が必要だ」

 時親は、そう確信し、次なる目的地として伯耆の国へ向かうことを決意した。


 あやめと共に、新たな道のりに向けて歩みを進める時親の胸には、天皇救出という大義が燃えていた。

 幾多の困難が待ち受けているだろうが、彼は一歩一歩確実にその目的地へと近づいていく決意を新たにした。

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