燃えるペガサス

咲野ひさと

第1話 ご神託

「神はおっしゃられた!村は数日のうち、水に恵まれるじゃろう」


 大きく腕を広げた大司祭が告げる言葉を受け、陳情人がむせび泣く。

それもそのはず。男の村では一週間、雨が降ってないらしい。このままでは作物は枯れ、村人は飢える。


 だけど、もう大丈夫。ご神託が下された。


 大司祭だけが対話できるっていう神の言葉は絶対だ。将来は十中八九、ご神託の通りになる。

まさに信仰のなせる業、またの名を奇跡。おかげで国民は信心深く、ここ神託の間に列をなす。


 と、大司祭がウィンクする。

 

 それは涙を流す陳情人に向けてではなく、その背後――――祭壇袖の死角に控える俺に向けられた物だ。俺も了承の意を込め、小さくうなずき返す。意思疎通はこれで十分。


 その通り。奇跡と称えられるご神託にはカラクリがある。俺たちみたいな神官が人知れず、その実現に腕を振るっているのだ。もちろん俺たちは非公式な存在で、祭事を行うちゃんとした神官は別にいるから安心してくれ。


 なにはともあれ男の村には水を運んで、ため池を潤すことになるだろう。池の保水性を高める土壌改良も見込むってなると……適任者は土木担当、水質管理に衛生担当も外せないな。まあ人材は豊富だから、そんなに苦労しなくても実現できるはず。

 日々下されるご神託は本当に様々。実行するには様々な専門技能が要る。だから実働部隊の俺たちは、神に仕える者ってより技術者集団の性格が強い。


 ――――イカサマとは思わない。


 人はビビってるくらいがちょうどいい。何かを敬い畏れる心があるからこそ、訪れる平和がある。経験上これは間違いない。

 教会ってのは結局、拝みやすい象徴でしかない。だが、あらゆる人への道標。だから俺は、神官っていう職業にやりがいを感じてる。


 正直かなりハードなんだが、それでも大司祭の忙しさには敵わない。

大司祭は毎日欠かさず神託の間に立ち、たった一人で百人近くの声を聞く。そして事態の深刻さと優先順位を一瞬で判断する。

 俺たちへの気遣いだって忘れない。ご神託の内容を実現可能な範囲に留めてくれてる。さっきも雨が降るとは言わず、水に恵まれると表現したのも一例だ。

 そんな四方に気を配る生活を続けて……何年目だ?驚くしかない。

 俺が神官になった時すでに大ベテランだった大司祭は、上司というより尊敬すべきお爺ちゃん。

 ――――ん?


 お爺ちゃんの鼻の下。明らかに伸びてる。

 気になった俺は誰にも見つかられないように注意しつつ、新たな陳情人を覗き見た。


 ほう。

 

 控えめに言っても俺の人生指折りの美女、そしてグラマー。

 人を外見で判断したら教義ってヤツに反しちまうが、客観的な事実を述べただけだ。

 ま、違反したってバチなんか当たらない。お爺ちゃん言ってたけど、神さんって寛大らしいぜ?


 彼女のふっくらとした唇が開く。

 

「私、もてあましてるの。ド派手なミラクルって、ステキよね」

「神はおっしゃられた!!満月の夜、大聖堂にペガサスが舞い降りるじゃろう!」

 間髪入れずのご神託。関節をフルに使って腕を広げ、恍惚の笑みまで浮かべる始末。


 ――――壊れた。お爺ちゃんが壊れた。

 

 とうとう激務に耐え切れなくなったか、陳情人の色香に惑ったか。

 頭を抱える俺の視界の端で、グラマーの後ろ姿が蠱惑的に去っていく。


 彼女の陳情に切羽詰まった要素はまったくない。普段であれば一瞬で棄却されるような、身勝手な願い事。にもかかわらず、お爺ちゃんはご神託を下しちまった。

 となると……実現するしかない。


 しっかし、よくもまあ大それたご神託をブチ上げてくれたもんだ。

 こんな形で女にカッコつけるくらいなら清貧になんか生きず、もうちょっと若い時にヤンチャしといてくれよ……とさえ思っちまう。


 大司祭が投げてきたウィンクを、俺は全力で無視した。


◆◇◆


 俺たちの控室。しかめっ面や呆れ顔、おまけに惚け顔……多種多様な困惑の表情が浮かんでる。 仲間たちにお爺ちゃんの妄言――――もとい、ご神託を伝えたせいだ。

 

 さっきまで夜勤に備えて寝てたはずの土木担当が、疲れ果てた声を上げる。

 

「ペガサスって羽が生えた馬スよね?どこに居んスか、そんなの」

「ペットショップ見てくるー」

「売ってるかよ!調達担当まで壊れるな。頼むぜ」

「やってらんないよー。リーダーだってペガサスの住んでるトコ、ホントは知ってるクセにー」

「ん、あ……どうだっけ」

「神学のせんせー、しゃべってたよねー。寝てた?」

「起きてた。あんま覚えてないけど……天界とか言ってたな」


 調達担当は俺の答えに対し、人差し指をピンと立てた。

「要するにー、おとぎ話ってコトでしょ?」

「それは言わないお約束だぞ」

「でも絶対ムリってコトじゃんかー」


 頬を膨らませる調達担当の横で、色白の少女が手を挙げる。迷いなく精緻な刺繍を縫い上げる指先が、今はブルブル震えてる。あがり症だもんな、昔から。


「どうした縫製担当?」

「あ、あのご神託……なかったことにしませんか?いっ、今までだって、全部を実現できたわけではないですし」

「そうしたいよな。でも今回その手は使えない」


 微笑みつつもキッパリ却下すると、全員がこっちを向いた。

 おい。俺だって納得してるわけじゃないんだから、そんな目で見ないでくれ。


「大勢に聞かれちまった。場所もここ大聖堂になってる。観客が押し寄せてくるぞ」

 満月の夜のスペクタクル。提供は神、主演ペガサス。噂にならないはずがない。

 この国では神の威光が強いとはいえ、その奇跡を目撃する者は限られてる。余程のっぴきならない苦境に陥らない限り、ご神託が下されることはないからだ。でなきゃ俺たちが過労死する。

 だから今回は例外中の例外。誰もが一目見ようと殺到するだろう。


「いい感じに解釈して、うやむやに――――」

「ダメだ。教会の信用が崩れたらどうする」

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