第2話 はじまり
妻のリディアが死んだ。
いや、正確には私が殺した。
村が盗賊たちの襲撃にあったその時、彼女は言った。
「お願いガリウス。私を愛しているなら私を殺して。盗賊に犯されるならあなたに殺されたほうがましよ」
それを聞いた私は
「では君が死んだ後に私も死のう」
そう言って彼女にナイフを突き立てた。
しかし彼女は死に際にこういった。
「あなたは、生きて」
それは、まさしく愛だ。
先ほどの私の決意を大きく揺さぶってしまうほどの。
結局のところ私は死にたくなかっただけなのかもしれない。
その後、無力な私は盗賊たちに捕らえられて奴隷市場に並ばされることになった。
そして私は逃げて、走った。
無我夢中で走り続けた。
農業で鍛えた足腰のお陰か、はたまた神のご加護か。
私は一日中あてもなく走り続けた。
今その当時の事を振り返ってみてもすさまじい集中力だったと思う。
走り続けた後、気づけば清らかな小川にたどり着いた。
私は両手で水を掬い必死に水を飲んだ。
この後にも先にもこれよりうまい水を飲むことはなかった。
すると次第に雨が降ってきた。
私は大きな木の下で雨宿りをしていると偶然、真っ暗な洞窟を見つけることができた。
天然のものなのか自然のものなのか区別しづらいほどの大きさで穴の大きさが丁度私くらいの人間がまっすぐ入っていけそうなほどの洞窟だった。
私は好奇心を抑えきれずに洞窟へ入っていった。
しかし1分もしないうちに洞窟の最奥にたどり着いてしまった。
そこで疲れをいやすために地面にねそべった。
外からは自然の光がほんの少し入ってくる。
上空を見ると白い雨雲が空を覆っていて雨は次第に強さを増していった。
ここはいったいどこなのだろうか?
船に乗せられて随分と遠くのほうまで来てしまった。
奴隷市場から逃げおおせたのは良いがこのままでは餓死してしまいそうだ。
死んではいけないと思う。
妻に生きろと言われたのだ。
今頃リディアは天国で悠々自適な暮らしをしているだろう。
彼女はとても敬虔な女性だった。
そんな彼女と結婚できた私はとても幸せだった。
ただ不幸にして子供が出来なかったが、そんなものは今まで神からいただいてきた幸せに比べれば些細な不幸せにすぎない。
だから生きなければならない。
この状況を覆さなければならない。
雨が上がったら森の中の木の実やキノコを探そう。
そうして私は目をつむった。
翌日、洞窟の中に差し込む鋭い朝日で私は目を覚ました。
灰色の雨の世界から一転して森は健やかな緑色を取り戻していた。
幸い、おとなしい人間の振りをしていたため奴隷商人に手錠をかけられることなどはなかったから自由はある。
リディアよ、見ていてくれ、私は生き延びてみせる。
そう心に誓って私は森を歩き回った。
私はほんの少しだが薬草や毒キノコに対する知識もある。
だから生き延びられると思ったのだが現実はそう簡単ではない。
そもそも食べられそうな草もキノコも生えていなければ知識が役に立たないではないか。
確かにここはとても清潔そうな森だがキノコもなければ果実もないのでは私は飢えてしまう。
私は歩き疲れて洞窟まで戻ってきた。
収穫は食べられそうなキノコ2つと木の実が3つ。
一応食べられるものは探すことができたが丸一日探し回ってこれでは割に合わないではないか。
それでも私は意を決してキノコを口にした。
味は、まさしくキノコで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
木の実のほうは頑張れば歯で砕けてくれるくらいの硬さだったがとても味気ない。
私は背が高いほうでもないが小食ではない。
だとしたら明日はここを離れてどこか遠くへ行かなければならない。
雨風をしのげるというのはとてもいいことだ。
風邪をひかずに済むし、何より服が濡れるのは不快だ。
何とかこの周辺で食料を確保することはできないものか?
「うーん」と、唸ってみても答えは導き出せなかった。
翌日。
土砂降りの大雨だった。
こういう日はどこにも出る気がしない。
農夫をやっていた時もよほどのことがなければ雨の中を歩くなんてことはしなかった。
雨の日には妻と一緒に暖炉で牛のミルクを飲んでいた記憶が走馬灯のように流れてくる。
神よ、何故私からリディアを奪ったのです?
何故村は盗賊どもに襲われなければならなかったのですか?
正義とはいったいどこにあるのでしょうか?
「神よ、もし許されるのならば、私に復讐の機会をお与えください。正義をお与えください」
そう言って私は心労で気絶するように眠りについた。
「起きてください、生きてますか!」
そう言って、どのくらい寝たかわからない時に体を揺さぶられた。
声は若い男の声だ。
なかなかの美声で、きっと私は美青年だろうと思って目を覚ました。
「あぁ、生きてましたか、よかった」
そう言ったのはやたらと顔の薄い人間だった。
なんというかまるで彫がない顔をしている。
それでもまぁ、なんだ、美青年であることには変わりがなかった。
短髪の黒髪で瞳も黒、切れ長の目が特徴的な異国の、しかし服は完全に高級神父が着るそれだった。
「神父様、私は、妻を殺しました」
「・・・はい?」
突然の私のカミングアウトに神父はまったくついていけなさそうな顔をしていた。
それでも私はなんだか喋りたくなってしまって盗賊が村にやってきて何もかも奪ったことから今に至るまでを喋った。
それを神父は黙って聞いていた。
私が話し終えると彼は「それはお辛かったでしょう。でもご安心ください。この近くに私の別荘がありますのでまずはそこまで行って英気を養いましょう。まぁ、別荘と言ってもただの私が建てた山小屋なんですが…」と言って彼は私が付いてくるのを確認しながらその山小屋までゆっくりと歩いて行った。
「そういえば名前を聞いていませんでしたね。私はマーサ。あなたは?」
「ガリウスです。つかぬことを聞きますが、マーサさんは女性ですか?」
そういうと神父マーサは首を振った。
「いえ、れっきとした男ですよ。ただ使い慣れているあだ名がマーサだっただけの話です。本名はずっと長いし、あなた方では発音しづらいのでこの土地では使うのをやめてるんです」
「そうなんですか・・・」
「さて、つきましたよ」
そう言って到着したのが少し小高い丘の上に立っている山小屋だった。
小屋の中に入れさせてもらうとキッチンと色々な動物の肉の燻製とベッド、それから護身用なのか少し変わった剣が何本か立てかけてあったのがまず目についた。
テーブルには赤いリンゴと白いリンゴが乗っていた。
神父は「少々お待ちを」と言って赤いリンゴを手に取ると手際よく皮をむいて均等に切り分けて皿にのせてテーブルの椅子に座っている私に「どうぞ」と、言って差し出した。
私はそのリンゴを頬張った。
そのリンゴは今まで食べてきたどんな果実よりも瑞々しく甘かった。
本当に今食べたのがリンゴかどうか疑いたくなるくらいには・・・。
「少々お待ちください、今から鹿肉を焼いて差し上げますので」
そう言って彼は吊り下げられていた燻製を手に取ると手際よく加工し始めた。
しかし鹿狩りをやる神父なんて聞いたこともない。
どうやら顔だちもそうだが私の今まで関わってきた人間よりも異質な人間である。
だから私は聞いてみた。
「あの、マーサさんは頻繁に狩りをされるのですか?」
「えぇ、あなたの住んでいた場所の神父はどうなのか知りませんが、この辺の地方では神父が狩をすることは珍しい事じゃないですよ。私なんかは作物を荒らす害獣を駆除するために狩りに出かけると言うのはしょっちゅうでしたから、それにこの辺ではモンスターも出ますからね。神父が荒事に駆り出されるのは日常茶飯事です」
「そうなんですか・・・」
どうやら住む場所も違えば役割も違ってくるものらしい。
私の村に住んでいた神父は良くも悪くも説教坊主といったところであった。
「できましたよ。どうぞ」
マーサはそう言って彼は焼いて串に刺した鹿の肉をさらに置いて差し出した。
ほのかに塩のかおりがする。
それが焼けた肉の匂いにマッチして私の食欲を誘った。
「主よ、私たちを祝福し、私たちがいただこうとしているこれらの恵みを、あなたの御慈悲からのものとして感謝いたします」
そう言って私は鹿肉を口にした。
私はその鹿肉を口に運んだ。一口噛むと、柔らかさと肉汁の旨味が口いっぱいに広がる。これほど美味しい肉を口にしたのはいつ以来だろうか。村での暮らしでは、鹿肉など贅沢品で手に入れることなどほとんどなかった。それなのに、今ここで食べているこの味は、悲しみに沈んだ私の心をほんの少しだけ癒してくれるように感じた。
「よければこちらもどうぞ」
そう言ってグラスに注がれたのはビールだった。
私は意を決してビールを口にした。
あぁ、犯罪的だ。
主よ、私の堕落を許したまえ。
妻を亡くしたばかりだと言うのに、いったい私は何をやっているのだろうか?
リディアよふしだらな夫の私を許してくれ。
肉と塩とビールがこれほど人を堕落させるものだとは知らなかった。
これではいけない。
敬虔なる神の僕である私が何もできないと言うのは・・・
「ガリウスさん、お酒、弱かったんですね。すみません」
「何をおっしゃられているんですか神父さん、私は酔ってませんよ!」
「そ、そうですか・・・とりあえず、眠くなったらそちらのベッドを使ってくださいね」
と言って彼が指さしたのは二つあるほうの片方のシーツがきれいなほうのベッドだ。
別のベッドは使用していますと言わんばかりにクシャっとなっている。
本当にどこまでも気遣いのいい神父だ。
だから私はつい聞いてしまった。
「マーサ神父。一つお願いしたいことがあります」
「なんでしょう?」
「クルセイダーに掛け合ってもらって私の村を襲った盗賊たちを打倒してもらえないでしょうか?」
この私の申し出を彼は目をつむって答えた。
「それは出来ません」
「なぜです?」
「確かに教会は慈善事業的なこともありますが、だからと言って遠くの場所の盗賊退治に駆り出せるほどの人員がいないんです。それにクルセイダーはヴァンパイアやアンデッドや国境紛争に駆り出されています。もし盗賊退治の依頼をするのでしたら冒険者ギルドに依頼を出すのが賢明でしょう」
まったくもってその通りだ。
筋違いなことをしてしまった自分が恥ずかしい。
だが言わなければならない。
「私には傭兵を雇えるお金がありません」
「でしたらお金を稼げばいい。紹介しますよ。農場でも木こりでも」
「本当ですか?」
「えぇ、確か募集している農場があったので私が取り合って差し上げましょう」
「あぁ、しかし・・・」
「どうしました?」
「私は奴隷で、もしかしたら奴隷商人たちが私を探しているかもしれません」
「でしたら私があなたを奴隷商人から買い取りましょう」
「マーサさん、本当にありがとう。」と、私は心から感謝を伝えた。
「お礼なんていりませんよ。」彼は優しく微笑んだ。「困っている人を助けるのは当然のことです。特にこの山中では互いに助け合わなければ生き抜くのは難しいですからね。」
「あなたのような人が村にいたら、きっとリディアも…」と言いかけて、私は急に声を詰まらせた。リディアの名前を口にするたび、彼女の最期の瞬間が頭をよぎる。私は肩を震わせて涙を流し始めた。
「大丈夫です。」マーサは私の肩にそっと手を置き、落ち着いた声で言った。「悲しみが消えることはないでしょう。でも、その悲しみを抱えながらも生きることができる。それが人間の強さです。」
彼の言葉は不思議なほど心に響いた。私はリディアのために生きなければならないと改めて思った。
「本当に、何から何まで・・・」
「気にしないでください、若い人を救うのが使命でもあるので」
「ん?」
若い人?
いやいや、聞き違いだろう。
「あの、マーサ神父、つかぬことをお伺いしますが、ご年齢はおいくつでいらっしゃいますでしょうか?」
「私ですか?39歳ですけど?」
「え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛ぇ!?」
どう見ても20代前半の容姿にしか見えないこの男性が39歳!?
私よりも11歳も年上!?
なんということだ神よ。
驚いている私に彼は呆れたように言った。
「何をそんなに驚いているんですか、私の国だったら見た目相応ですよ。ガリウスさんは恐らく25~30歳くらいですよね?」
「え、えぇ、そうですが・・・」
「じゃあお互い見た目通りじゃないですか」
そんなもの納得がいくわけがない。
私と彼が歩いていれば大半のものは彼のほうが年下に見えてしまうだろう。
彼の国では皆、彼のように若々しいのだろうか。
そんな困惑している私をよそに彼は告げた。
「今日は歯でも磨いてさっさと寝て、今後の事は明日にでも考えることにしましょう。酔った頭ではうまくことが進まないでしょうからね」
「私は酔っていませんよ」
「へぇ、じゃあ今から牧割りをしてもらってもいいですか?」
「分かりました、やりましょう!」
私は悔しさを晴らすために薪割を買って出た。
ビールを飲んだせいか良く汗をかく。
陽は既に傾きオレンジ色の空が森に少しずつ暗い影を落としていった。
その時マーサ神父が小屋の裏から現れて言った。
「ガリウスさんそろそろ切り上げてお風呂にしましょう」
私は驚いた。
「風呂もあるんですか!?」
彼はうなずき「私の趣味でしてね」といって風呂場に案内してくれた。
風呂場は長方形の木造建築で清潔感にあふれていた。
生まれて初めての風呂に私は感動を禁じ得ない。
外では私の割った薪を火にくべてマーサ神父が湯加減を調節してくれている。
「ぬるくないですかー?」
「いえ、大変丁度いいです」
リディアよ、不謹慎であるが私は今、天国にいるようだ。
出来ることならお前と一緒にこの風呂に入り愛を語り合いたかった。
私は風呂に入りながらふつふつと腹の中が煮えるような思いに駆り立てられた。
はやり盗賊たちは許してはならないのだ。
出来るならこの手で、リディアの仇をとるべきだ。
それに傭兵と言うのはあまり信用したくない。
くいっぱぐれた彼らが盗賊に身を堕とすという話はよく聞く。
出来るならこの手で、奴らを屠れないだろうか?
その時私の脳裏にひらめきの閃光が走った。
傭兵が信用ならないのなら、私が傭兵になればいいではないか、と。
私は風呂に入りながら外のマーサ神父に告げた。
「マーサ神父、私は傭兵になりたいと思います」
「そうですか、わかりました。では明日は傭兵の登録をしに町に向かいましょう」
「私は、傭兵としてやっていけるでしょうか?」
「それは私にはわかりません。ですが、やりもしないで背を向けるよりはマシだと思います」
本当に変わった神父だ。
私の知っている神父はそれぞれには神が与えた役割があるのだからそれに一生を捧げて全うしなさいという。
しかしこの神父はやりたければやれと言うのだ。こんな自由な神父を私は見たことがない。
私は風呂から上がって用意してもらったタオルで体をふき、再び服を着てベッドに腰かけた。
神父はテーブルのランプの灯を消して彼もベッドに入る。
私もベッドに入り真っ暗な天井を見上げながら自分の今後に大きな不安を覚えつつも大波のように押し寄せてくる心労に押しつぶされるようにして眠りについた。
バーバリアンランナード 芸州天邪鬼久時 @koma2masao
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