3話

   3


 車は郊外を進んでいく。駅前は混んでいたが、抜ければむしろ空いていた。窓明かりすら少ない静まりかえった町並みにクリスマスの気配はなく、すでに年末を迎えているかのようだった。

「寒い?」運転しながら光聖が言う。

「大丈夫。今日そんなに寒くないし」

「古い車でエアコンの効き悪いんだよな」

「そうなんだ。車持てるなんてすごいね」

「安物だから大したことない。未央も働いたら全然持てるよ。まあ金食い虫だから基本的にやめといた方がいいと思うけど」

 光聖はすでに働いている。卒業したからだ。同じ歳なのに私がまだ大学生なのは、体調不良で浪人したためだった。

「どこへ向かってるの?」

「そう遠くないよ。そろそろ着く」

 光聖の言葉通り、車はある橋の手前で減速した。空き地に乗り入れて駐車する。こんなところで何を? と思うも、光聖がエンジンを切って降りるので、あとに続く。

 光聖について橋に向かう。ぽつぽつと弱々しい街灯があるだけで、住宅からの明かりも遠いために暗闇が目立つ。橋の下は川だった。水が流れる音で体感温度が下がる気がした。当然のように他に人の姿はない。

「ここだったみたいだ」

 光聖が橋の中央付近で歩みを止め、一度欄干から下を覗く。

「何が?」

「准が死んだ場所」

 准……さっき言っていた古村准のことかと思い当たる。

「自殺したっていうなら……」

 橋の下を見下ろす。暗すぎて正確には距離感が掴めないが、遠い。高い。じっと見ていられないほどには。

「飛び降りたんだ。ここから。自殺と言ったけど、正確には心中か」

「心中? 相手がいたの?」

「いたよ。彼女も同級生だった。それも覚えてないのか。俺達の間では結構なニュースになったんだけど」

 確かに、同級生で心中事件なんてあったら一大ニュースになるはずだ。なぜ私は知らなかったのだろう。

「それ、いつのこと?」

「中三の冬、というか、ちょうど今日があいつの命日」

 ああ、その時期なら私が体調を崩していた頃と重なるから、学校を休んでいたために周囲の事情に疎かったとしてもおかしくない。

「今日……クリスマスじゃない。そんな日に」

「そんな日だからこそだったのかもしれない」

 光聖がまた川面を覗き込む。まるでそこに当時の光景が映っているかのようにじっと見る。

「当時あいつらは歩きでここまで来たようだった。車ならそう遠くないが、歩きなら二時間はかかったことだろう。もちろん帰るにも同じ時間がかかる。だから、もしかしたらはじめから帰る気がなかったのかもしれない。たとえば向こうに行けば」と光聖が西の方を指さす。「深い山がある。冬の山に入って死のうとしたのかも。あるいは単に長い散歩デートをしていただけだったのかもしれない。いずれにしろ、あいつらはここで足を止めて、身を投げた」

「クリスマスに」

「クリスマスに。いや、やはりクリスマスだからこそだったんだと思う。あいつらは恋をしていた。でも、世の中では恋は錯覚だということになっていた。つまり嘘だと。あいつらはそれが嫌で、恋があることを証明したかったんだろう。かつて恋愛において特別な日だったクリスマスに」

「なんで心中することが証明になるの」

「さあな。本当のところはわからない。でも想像はできる。恋というのは人を狂わせる側面もあるから。相手の悪いところが見えなくなったり、相手を独占したくなったり、他の人に取られるくらいならいっそ殺してしまいたいとなったりする人もいる。かつてはそうして恋が原因で数々の事件が起きた」

「まさに狂気の沙汰ね」

 めちゃくちゃだ。錯覚だとわかってよかった。

「確かに。だからこそ恋は錯覚だとされた面もあるのかもしれない。そしてあいつらも、そんな恋の悪い面があることを知って、幸福な今のまま死ぬ方がマシと思ったのかもしれない。永遠に恋をした二人でいるために」

「まるで御伽話みたいに」

「ああ。でも、二人は永遠にはなれなかった」

 なれなかった。そう断言した光聖が気になり、見ると、彼もこちらに向き直っていた。

「でも、気持ちはわかる」

 光聖がこちらに向かってくる。表情がわかる近さになって、彼が痛ましい顔をしているのが見てとれた。まるで心中した二人の苦悩が移ったかのように。

「……どんな気持ちが?」

「恋をしている人と死にたいと思う気持ちが。殺してやりたいと思う気持ちが」

「え?」

 光聖が目の前まで迫ってきて、思わずたじろぐ。その尋常でない発言にも。そして、彼はさっき、誰に恋をしていたと言ったかを思い出して——。

「君は、僕と一緒に死ぬべきだ」

「——え」私が見つめ返しても、光聖は険しい表情のままだった。「……なんで」なぜそんな冗談を言うのか、冗談じゃなかったとしたらなぜ私が死ななければならないのか、二重の意味が込もった。

「恋を永遠にしたいんじゃなかったのか?」

「私が? なんで、そんなの知らない」

「知らないことが、覚えていないことが君の罪だ」

「——狂ってる」

 話が通じず、ついそう口にしていた。

「そうだよ。狂っている。僕も、君だって。でも、それが恋だ。これが恋だ」

 話にならない——ひとまず光聖から離れたくて、踵を返そうとしたら、右手首を掴まれて思い切り引っ張られた。ひっ、と声にならない悲鳴が出て、光聖にぶつかる。何が起こったのか把握する間もなく、今度は持ち上げられるように押されて、腰を橋の手すりに強打した。

 ——手すり?

 気付いた時には背中に浮遊感があった。

 さらに押される。光聖に抱えられたまま。仰け反る。夜空。天と地が入れ替わる。

 落ちる。このまま二人とも。殺される。いや光聖だって死ぬ。心中。恋人でもないのに。そんな、めちゃくちゃな——。

 それ以上何を思うこともなく、あっけなく体が完全に宙に浮いた。そして加速度を感じた瞬間、既視感を覚えた。

 いや、確かに覚えがあった。この荒唐無稽さ、必死さ、後戻りのできなさ。

 ——ああ、これは、これが恋か——。

 そう気付くと同時に、フラッシュバックが起こり、全てを思い出した。

 そして間もなく全てがブラックアウトした。

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