2話

   2


 華やかな雰囲気のカフェの店内は混雑していて、雑音が多いために私達の声は紛れている。恋はある、なんていうセンシティブな話題を耳にしたら眉をひそめる人もいることだろう。私のように。

 おぞましい、怪しい、怖い……そう、怖いだ。光聖の告白は私をひどく怖がらせた。

 なぜなら、恋も愛も犯罪と紙一重だから。愛情は容易に憎しみや狂気に変わる。

 恋も愛もなくなって、人々は残念がっただろうか。そうだとしても、それ以上にほっとしたのではないだろうか。私ならそうだったろう。もう理解できない感情や行動に怯えずに済むようになったのだから。

 けど、私は今その平和が失われようとしていた。


 警察呼ぶ? それとも周囲に助けを求める? さりげなく店内に目を走らせる。

 ……いや、さすがに何の被害もないのに警察なんて呼べやしない。それに光聖が私に危害を加えると決まったわけではない。まだ。

「古村准を覚えてる?」

 私の緊張を尻目に、光聖があっけなく続けた。

「古村准?」

 聞き覚えのある名前だったが、その姿は霞がかかったように像を結ばなかった。

「中学の同級生、俺の友達の」

「ああ……」

 そういえばそんな男子もいたかもなと思う。やはりどんな容姿だったかは思い出せなかったけど。光聖の友達なら話をしたことくらいはありそうなものなのに。

「忘れてしまったんだな」光聖が独り言のようにして言う。「忘れることと、錯覚だったことって、どう違うんだろうな。どっちも、もうその人の中には存在しないという意味では同じなのに」

「さあ……覚えてるかどうか、とか? 錯覚は、錯覚だったことは覚えてるけど、忘却は、忘れたことすら覚えてない」

「かもな。ただ、どちらにしろ残酷だ。忘れられた方は」

 残酷。そうかもしれないけど、まず光聖が何の話をしているのかがわからなかった。

「その人がどうかしたの?」

 光聖がちらりと私を見る。「あいつも好きだったんだ。君のことが」

 この文脈だと、恋をしていたということなのだろう。

「そう……」

 そんな過去の、よく知りもしない人の、勘違いなことを言われても、それ以上なんと言えばいいのかわからない。

「でも、死んだ」

「え?」

「自殺だったよ。耐えられなかったんだろな、恋をしていることが。みんなは無いと思っていることを、自分はあると思っていることが」

 自殺……同級生の死を知ったのは初めてかもしれない。まだ若い私達にとっては遠い出来事のように思えるが、残念ながら死は錯覚ではない。

 死と恋が繋がる。やはり強い忌避感を覚える。

「……危険なのよ。だから恋は。錯覚に陥るから前が見えなくなってしまうんじゃないの」

「確かに危ない面はある。でも、だからといっておいそれと捨てられるものじゃない。自由にできるようでは恋じゃないんだ」

「そんなの……」

 それじゃあ一層危ないじゃないか。コントロールできないものを自分の内に抱えてなきゃいけないなんて。

「だから恋をなくすことはできないんだ。錯覚だと、そんなものはなかったと共通認識になったのだとしても」

 言葉を失う私を見て、光聖はさらに続ける。

「そもそも、恋はなくなっていない、生き残っているんだ。恋は錯覚だと錯覚させられているだけなんだよ」

 嘘をぶつけられるたびに、返す言葉がなくなっていく。

 光聖は陰謀論者だった? ……いまだに天動説を信じていたり、地球は平らだ、とか言っている人と話したらこんな気持ちになるのだろうか。

「信じてない?」

 内心が顔に出ていたのか、光聖に言われる。

「……当然でしょ。ないものをあると言われても。口だけならなんとでも言えることを言われても説得力なんてない」

「じゃあ証明してみせようか」

 光聖があまりにもあっさりとできもしないことを言うので、思わず一瞬たじろいでしまう。

「……何を」

「恋を」

「どうやって?」

「ここじゃできないから、出ようか」

 光聖が上着を持って立ち上がる。私は迷うも結局ついていくことにした。そこまで自信満々に言うのはどういうわけか興味があったし、それをあっけなく否定してやりたいという気持ちもあった。そんなものは恋でもなんでもないと。

 ——でも、とふと思う。

 恋を知らないのに、それは恋じゃないと、どうやって否定すればいいのだろう——。

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