恋の証明方法

灰音憲二

1話

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 クリスマスにカップルの姿が消えたのは何年前からだったのだろう——カフェの窓から十二月二四日の彩られた夜の街を眺めながら思う。

 もちろん、男女二人組がいないという意味ではない。それはよく見かける。女性同士もいる。男性同士はほとんど見ないが、それは彼らはあまりクリスマスに興味がないせいだろう。

 しかし、昔ながらのカップルの意——「恋愛関係にある異性同士や同性同士」はいない。

 なぜそうとわかるのか。確かめてもいないのに言い切れるのか。

 答えは簡単で、恋愛というものはこの世に本質的には存在しないからだ。昔はあったようだが、それはあると思っていただけでしかなく、ある時「恋愛は錯覚だった」と証明されてからは、潮が引くように世の中から恋愛模様が無くなっていった。感覚のこととはいえ、事実と告げられたら認識を変えざるを得なかったのだろう。地球が太陽の周りを回っているとわかった時のように。


「ごめん、遅れた」

 店内に顔を戻すと、待ち合わせ相手である加賀光聖がテーブルの前にいた。厚手の上着を脱いでいる彼に、私は首を横に降る。

「近くの駐車場が全然空いてなくてさ」

「クリスマスだもんね」

 光聖が向かいの席につき、やってきた店員にコーヒーを頼む。「未央は?」と訊かれるが、「大丈夫」私のココアはまだ残っていた。

「でも、なんでクリスマスっていまだに混むんだろ」

 私のふとしたつぶやきに、「なんでって?」と光聖が答える。

「だって、もう恋愛なんてないんだから、恋愛に関するイベントだってなくなっていいはずでしょ。なのにわざわざみんなこの日に出かけてる。お店もクリスマス商戦とかするし」

「まあ伝統的な祝日とかイベントなんてそんなもんじゃないか。そんなこと言ったら、イエスキリストは遥か昔にいなくなったのに、いまだに彼の存在を祝っているのもおかしいとならない?」

「まあね」

「それに、欧米ではクリスマスは家族と過ごすのが一般的なんだろ。恋人と過ごすイベントにしていた日本が異常だったとも言える。だから恋がなくなっても、クリスマスが盛り上がることはおかしいことじゃない」

「確かに。まずこうしてわざわざ出かけてきてる私達が言うことではないか」

 と私は冗談めかして言ったつもりだったが、光聖は笑わず、「まあ俺達はクリスマスを楽しみにきたってわけじゃないけどな」と意外なことを言った。

「そうなの?」

 今日は彼の方から「暇なら飯でもいくか」と誘われていた。光聖とは中学時代に親しかったが、高校が別になってからは連絡を取ることがなくなった。しかし大学で再会してからは、また連むようになった。たびたび食事も共にしていたから、今回もその一環で、ついでにクリスマスディナーでも楽しみにいくのかと思っていた。

「今更だけど」と光聖が続ける。「今日は誘って大丈夫だったのか」

「もちろん。何も予定なかったし」

「家族は?」

 私は首を横に振る。「もう一緒にパーティーする歳でもないでしょ」

「クリスマスに特別な感情はない?」

「うーん、ないかな」

 恋愛とは無縁となったにもかかわらず、クリスマスは特別なものと意識している人は多い。誰かと過ごしてちょっと豪華な食事をしたいとか、反対に一人でクリスマスを迎えるのが不幸なように思えるとか。その価値観は若者にも受け継がれている。だからこうしていまだに街が人で賑わうことになっているのだろう。

「そもそも私はやっぱり、恋も愛も錯覚だと思っているから。それが家族間であったとしても」

 それが現在の通説だ。中にはまだ信じない人もいるみたいだが。

「でも家族をつくるには何らかの好意的な愛情が必要だろ。嫌いな相手と子をつくりたいと思うか?」

「それは子孫を残したいという生物的な欲求でしょ。昔はそれを駆動させるために愛は——愛とされているものは必要だったかもしれないけど、今は違う。出産も人工的にできるし、育児も外部化できる」

「だから愛を求める欲もなくなっていったと? じゃあ今クリスマスにわざわざカップルで街に繰り出している人達は、なんでそんなことしてるんだろな」

「楽しいからじゃない。別に恋も愛もなくても男女でいてもいいでしょ。もちろん同性同士であっても。大体私達だって男女二人組という意味ではカップルじゃない」

「まあ、そうか」

「現に、恋愛欲求がなくなったために恋愛ものや家族もののフィクションもなくなったっていうでしょ。需要が減って売れないから。そのうち恋も愛も御伽話の中だけの存在になるんじゃないかな」

「おじいさんが山に芝刈りにいく、みたいに?」

「そうそう。おばあさんは恋をしました、みたいな」

 光聖がふっと鼻を鳴らす。それは笑い飛ばすかのようだった。

「そうはならないんじゃないかな。俺は家族の意味とか、誰かと誰かが親密である意味はある思うけどな」

「へえ、そうなんだ」

 意外だった。進化論を信じなかった人のように、いまだに恋や愛が錯覚だと思えない人がいる。でもそういうのは比較的女性が持つ印象だ。生物的に女性の方が絆を重視してきたから、それは理解できない話ではない。

「ちなみにそれは、恋や愛にもなりうると思っている」

「え?」

 思わず光聖の顔をまじまじと見る。冗談を言っているふうではない。

 だとすれば、少し、いやだいぶ話は違ってくる。

「本気? 本気で恋があると思ってるの?」

「ああ」

 自信ありげな光聖を、急速に遠く感じていく。

「なんであるって思うの?」

 ないと証明されたことが、あると。

「知っているからだよ。恋を」なんてことないようにして光聖が言う。「他人が恋をしていたことも知っているし、自分もしていたことも知っているから」

 彼の視線に熱を感じる。嫌な予感がする。

「自分も? 一体誰に……」

「君は知らないかもしれない人と、あとは……」やはり彼は、恥じることも衒うこともなかった。「君にかな」


 かつては、好意を告白されることは基本的には肯定的なものだったという。余程嫌な相手でなければ、モテるという魅力の証明になったから。

 でも、この恋が錯覚であると証明された世界で、嘘をわざわざ表明し、あろうことかそれを自分に向けてきたとあっては、初めて告白された私はただただたじろぐしかなかった。

 ——おぞましい。

 そう思うだけだった。

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