第3話 スケッチ
約束通り、ルイはスケッチを持ってきていた。カフェのテーブルにスケッチブックを広げ、はにかみながらマシューの様子をうかがう。
「あまり人には見せないものですから」
マシューはゆっくりスケッチブックをめくった。小鳥や木々、川にかかる橋、カフェの店内……自然や人の暮らしが素朴かつ自然に描かれている。それらの絵を少し見ただけでマシューは魅せられた。夢中になって次から次へと見ていると、突然ルイの手がスケッチブックを自分のほうへ引き戻した。
「ここまでです」
「なぜ? もっと見せてはくれませんか。とてもいい絵ばかりなのに」
「今日のところはここまでにしましょう」
有無を言わせず、ルイはスケッチブックをかばんにしまった。マシューは不満だったが、次があることを思わせるルイの口ぶりには素直に喜びを感じた。
「本当に魅力のある絵ですよ、ルイ。本の挿絵にできそうです」
「お世辞はやめてくださいね」
「ぼくはお世辞なんて言いません。そうだ、もしぼくが小説を書いたら、その本の表紙を描いてくれますか」
「評論以外も書くんですね」
「ほんの夢です」マシューのほおがうっすら赤くなった。「いつか、もしもの話ですよ」
「楽しみにしておきましょう」
照れくささをごまかすために、マシューは紅茶を一口飲む。ルイはそんな感情もすべて包み込むような笑みを浮かべ、自分のコーヒーを口に運んだ。
「いつごろから絵を描き始めたんですか?」
「覚えていないぐらい、ずっと前から。時間のあるときにはよく描いています」
ルイは再びコーヒーを飲み、口を開く。
「自分の周りにあるものが、どんどん変わっていってしまうことが嫌だったんですよ。自分だけが何も変わらずにいることが嫌で、それで絵を描くようになったんです。変わらないものを残しておきたくて。時間が流れるということに反抗するためです、わたしが絵を描くのは」
そこまで言って、ルイは口をつぐんだ。彼の顔に暗い影が差し、視線は伏せられた。彼があまりにも悲しそうに見え、マシューは言葉を失った。
その時、がやがやと入店してきた若者たちの賑やかな声が、ルイを我に返らせた。ルイはいつものように微笑したが、その表情には、何かをごまかし押し隠すかのような雰囲気があった。
「——今の話は忘れてください。それより、マシュー、あなたの話を。どんな小説を書いているんですか?」
「ああ……たいしたものではありません。冒険小説のまねごとです。宝を探しに行ったり、不思議な世界へ旅をしたり、そんなものです」
その日、ルイは最後まで微笑を絶やさなかった。しかしマシューの心には、ルイが見せた悲しげな顔が焼きついて離れなかった。
カフェから帰ると、ルイはそっとスケッチブックをテーブルに置いた。心の声をついマシューにこぼしてしまったことを思い出し、ため息をつく。話すつもりはなかったのに、彼にはなぜか打ち明けたくなってしまうのが恐ろしい。そして、彼をもっと知りたいという欲求が心の中に生まれていることも、やはり怖かった。
ルイはテーブルに手を伸ばす。スケッチブックを開いて出てきたページには、マシューの横顔が描かれていた。
この絵をマシューに見せるわけにはいかない。絶対に。
喉の渇きを感じ、ルイは水を飲んだ。息をつき、窓の外に目をやると、空の光は夕方のものに変わり始めていた。
喉の渇きは癒えない。胸もうずく。ルイは心臓の辺りに手を当て、うなだれて強く目を閉じた。
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