第2話 画廊

 マシューは町の画廊を訪れていた。評論を書くために、現代美術の展覧会を見に来たのだ。注目すべきは若手作家の作品で、これから花開くだろう彼らの可能性を探ることが重要だ。

 壁にかけられた絵を眺めメモをとっていると、誰かに肩を叩かれた。

「ルイ!」

「こんにちは。奇遇ですね」

「現代美術に興味があったんですか?」

「というより、あなたが芸術に関わる仕事をしていると言ったから、どんなものかと見に来ました」ルイはメモに目をとめた。「お邪魔しないようにしましょう」

「気にしないでください」

 二人は一緒に絵を見てまわった。マシューは熱心にメモをとり、考えをまとめた。ルイは一枚一枚を丁寧に鑑賞し、立つ位置を少しずつ変えながら絵を眺めていた。マシューは、ルイがある絵の前で長いこと立ち止まっているのに気がついた。

 それは窓から海を眺めている男性の絵だった。男性はこちらに背を向け、鑑賞者も彼と一緒に外を眺める形になっている。海には船が浮かんでおり、男性は手元に本を持ちながら一心にそれを見つめていた。

「気に入りましたか」

 そっと聞くと、ルイはうなずいた。ひとりごとのように呟く。

「この人は海を見て、何を思っているのでしょうね」

「船がありますね。船旅がしたいのか、あるいは本の舞台が海で、そのことを考えているとか」

「読書をしていてふと顔を上げたら、海が目に入ったというふうに見えます。もの思いの始まりの瞬間を描いた絵なのかもしれません」

 マシューはメモをとった。この絵についても、忘れずに評論の中で触れようと決めた。

 マシューとルイは休憩室に入った。ルイは腰かけると、展覧会の図録をめくり始める。

「あなたの仕事を具体的に聞いてもいいですか、マシュー」

「評論家です。絵やら彫刻やらについてあれこれ書いて雑誌に載せる、まあ、そんなことをしています」

「なるほど、絵を見る目が鋭いわけだ」

「まだまだ駆け出しですよ」マシューは軽く笑った。「ぼくの話を聞いて美術に興味を持ってもらえたなんて、嬉しいです」

「元から絵は好きなほうなんです。描くことのほうが多いですが」

「描いているんですか? それはぜひ見たいな」

 ルイはふっと笑った。

「ただの手遊びです。厳しい論評をされては敵いません」

「そんなことはしませんよ。ただ、絵と聞くとつい、どんな絵なのか知りたくなってしまうんです」

「では、今度スケッチを持ってきましょう」

 ルイは図録に集中し、マシューは展覧会の予定とフライヤーに目を走らせる。二人の間の沈黙に重さはなく、代わりに二人の世界が繋がっていることを示していた。無理に何かを話す必要がない、だからこんなに居心地がいいのだ。マシューは嬉しかった。思いがけず画廊でルイと会えたことも、二人の仲をどんどん深めていけそうなことも。

 帰宅して出版社に送る原稿を書きながら、マシューはルイのことを考えていた。もっと彼のことを知りたい。次にカフェで会う日が待ち遠しい。メモを眺めているとルイとの会話が思い出され、ほおが緩んだ。本のことだけでなく、芸術のことでももっとたくさん、ルイと話せたら。

 マシューは我に返り、苦笑した。誰かとこんなに近づきたいと思ったのは久しぶりだ。世界や人に対して心を閉じていた自分がどこかにいるはずなのに、ルイにだけは違う。相手のことを知りたいし、自分のことを知ってもらいたいとも思う。

 マシューは軽く目を閉じ、椅子の背にもたれて頭を預けた。大丈夫、ルイは両親とは違う。脳裏に浮かんだ影を追い出し、代わりにルイの姿を強く思い描く。

 マシューは仕事に戻った。過去の苦い記憶は、再び心の奥底に深く沈めた。

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