第3話

 その異様な出で立ちに思わず息を呑む。


 高級感のある深い紺色のスーツは完璧に着こなされていて、ネクタイの結び目もピシッと正確。

 上質なビジネスバッグを抱える姿は、どこからどう見ても仕事のできる社会人だ。


 ……クマの着ぐるみを被った頭部を除けば。


 細身のスーツのシルエットからして女性なのは間違いないが、顔や年齢は分からない。

 着ぐるみの愛らしい表情が、逆に人間の深層心理に眠る恐怖心を煽るようだった。

 なんなら、ホラー映画の悪役でこんなやつを見たことある。


三津井みついちゃんだ。お疲れ様ー!」


 雲英きらが満面の笑みで着ぐるみに手を振る。

 名前を知っているということは、ひとまず不審者ではなさそうだ。


 ……それにしても、三津井? 

 あたしがメールでやり取りしているマネージャーさんと同じ名前だ。

 いや……まさかね。


 名を呼ばれた彼女はビクリと肩を跳ねさせると、土下座でもするような勢いで頭を下げた。


「ほ、星々ほしぼしさん。お疲れ様です……。本日はお日柄もよく……――」

「天気もいいし、テンションアゲアゲだよね!!」


 勢いとは裏腹に、蚊の鳴くような弱々しい挨拶が口からこぼれる。

 声には確かな緊張が混ざっていて、心なしかクマの着ぐるみ部分がくたびれているようにも見えてきた。


 雲英に挨拶を済ませると、あたしの存在に気づいたようであたふたとしだす。


「は、はじめまして。駒嵐こまあらしさん……ですよね? わ、私、あの、その……」


 クマの着ぐるみが深々とお辞儀をする。

 お辞儀の角度が深すぎて、不安定な頭部がぐらりと揺れた。


「ちょ、外れるわよ!」

「ひゅ……!」


 慌てて支えると、クマの着ぐるみは吹っ飛んでいくかのようにド派手に後退して、そのままホワイトボードの裏までダイブ。


 ひょっこりと頭だけ出してギリギリ聞こえるような声で続けた。


「す、すみません。マネージャーの三津井と申します……。これからお仕事で困ったときは頼っていただければ……」


 ……この人がマネージャーなのね。

 ホワイトボードの裏に隠れながら頼れと言われて説得力がない。


「あの……頭に被ってるそれは?」

「こ、これは……」

「三津井ちゃんは恥ずかしがり屋さんだから、事務所内だといつもクマさん被ってるんだよ!」


 雲英が親しげに三津井さんに抱きつきながら言う。

 素顔を見られたくないというのは百歩譲って分かるけど、着ぐるみを被ることによって余計に悪目立ちしてないだろうか。


「事務所のみんなからもかわいいって、すっごい好評なんだよ!」

「どんな事務所よ……」


 呆れを通り越して心配になってきた。

 果たしてこの調子でまともに仕事が出来ているのだろうか。


「大丈夫ですよぉ。もしこの事務所がダメになっても、わたしがぁ、詩喜先輩を養いますからぁ♡」

「縁起でもないこと言わないで」

「えへへぇ♡」


 いつの間にか、隣に並んでた彩芭さやはに力なくツッコむ。

 ナチュラルに心を読んでくるのはやめてほしい。


「えっと、本題なんですけど、本日集まって頂いたのは――」

「詩喜ちゃんの歓迎会だよね! どうする!? おいしいもの食べに行っちゃう!?」

「え、ええ……!? ち、違います……みなさんの顔合わせと、こ、駒嵐さんへのグループコンセプトの説明です……」

「それって歓迎会ってことじゃなーいの?」

「そ、そうですかね……そうかもしれないです」


 いや、そこは負けないでよ。

 このままだと話が進まなそうなので、仕方なくあたしが口を挟む。


「そのグループコンセプトっていうのは?」

「は、は、はい! まず、みなさんには本日よりアイドルグループ『百合色ブロッサム』として活動していただきます……」

「あ、三津井さん、わたしが書くよ~」


 震える手でマーカーを握る三津井さんに変わって、ルリがホワイトボードに慣れた様子で文字を書いてゆく。


 引き抜きの条件を知っていたり、妙に親しげだったり。

 なんとなく察しはついていたけれど、この三人と同じグループになるのは間違いなさそうだ。


「え、えっと……肝心のグループコンセプトなんですけど…………です」

「百合営業ハーレムガールズユニット……」


 パッと理解できなくてオウム返ししてしまう。


 百合営業。それ自体はアイドル業界では珍しいものじゃない。

 特定のアイドル同士の親密な関係を見せつけることで、二人の間に特別な何かがあると感じさせて支持を集める手法だ。


 ただ問題は、そこにハーレムという言葉が組み合わさっていることだ。

 嫌な予感が背筋を駆け上がってきた。


 

「駒嵐さんには、グループの中心としてメンバー全員と……い、イチャイチャ百合営業してもらいます……!」


「…………は?」



 耳を疑う。自分でも驚くほど低い声が出た。

 あたしが知らないだけでイチャイチャ百合営業という隠語がこの業界には存在するのだろうか。


「つ・ま・りぃ♡」


 彩芭があたしの肩にそっと手を添えて、ゆっくりと腕を絡めてくる。紫水晶の瞳が熱を帯び、甘いささやきが耳朶じだをくすぐった。


「わたしたちがぁ、ラブラブ♡する様子をファンのみんなに見てもらうってことですよぉ♡」


 唇の端があやしく吊り上がる。

 反射的に身を引こうとホールドされた腕をなんとか振りほどく。「あーん♡」なんて名残惜しそうな声がやけに耳障りだった。


「ちょ、そんな話聞いてないんだけど!?」

「ひぃ……すみません……。今言いました……」


 睨むようにして三津井さんに視線を向けると、彼女は縮こまりながら申し訳なさそうに俯く。

 何の前触れもなく、こんな話をされて納得できるわけがない。


「最初は事務所の中から選出しようと思ってたんだけど、みんな断られちゃったの。詩喜お姉ちゃんも事前に聞かされてたら渋ってたでしょ?」

「それは……」

「それに詩喜お姉ちゃんにとっても、悪い話じゃないと思うよ」

「どういう意味?」


 ルリが口元に指を当て、悪戯いたずらっぽい笑顔を浮かべる。

 幼さの残るはずのその仕草が、不思議と大人びて見えた。


「詩喜お姉ちゃんはさ~、次の事務所の当てはあるの?」


 虚空に問いかけてるような軽い口調。


「もしオーディションに受かったとしてデビューはいつ? 下手したらこのままフェードアウト……なんてこともあるかも」


 ジワリジワリと核心を突く言葉が追い詰めてくる。


 彼女の指摘は正しい。

 事務所が破産して一度ゼロになった身だ。別の事務所のオーディションに受かって、さらにステージに立てる保証なんてどこにもない。

 

 「ね? 悪い話じゃないでしょ?」


 まるで勝負がついたとでも言うように、ホワイトボードにマーカーペンを滑らせてゆく。

 何か言おうとして、諦めとともにため息を吐く。


「イチャイチャとかラブラブとか……あたしキャラじゃないと思うんだけど」


 一番の懸念はそこだ。

 あたしは色恋沙汰いろこいざたとは縁遠い人生を過ごしてきたし、特に演技の心得があるというわけでもない。

 急に百合営業ハーレムのセンターとして振る舞えると言われても、実際のところ無理がある。


「大丈夫だよ。簡単な演技指導はあるし、そもそもハーレムの中心としての素質を見出したから、詩喜お姉ちゃんを引き抜いたんだから」

「あまり喜べない素質ね……」


 確認するように三津井さんに視線を向けると、クマの頭がコクコクと頷く。

 何をどう見てあたしに百合営業ハーレムの素質があると判断したのだろうか。


 その答えを考える間もなく、雲英の突進が飛んできた。体重の乗った一撃に耐え切れず半歩よろめく。


「やった! これで正式に詩喜ちゃんが百合色ブロッサムのセンターだね!」

「ぐっ……アンタねえ……」


 ピョンピョンと飛び跳ねて喜びを表現してくる様子は、小さい頃に飼っていた犬にそっくりだ。 

 こんなにデカい犬じゃなかったけど。


「ずるいですぅ! わたしぃも混ぜてください♡」

「はぁ!?」


 今度は正面から彩芭だ。

 ふわりとした動きで正面からハグをして離れようとしない。引き剥がそうとしても、前後から挟まれているせいで動けない。


「ちょ、何とかしてよマネージャー!」

「え、は、はい。……お二人とも、その、あの……」


 三津井さんはオロオロしながらクマの頭を左右に振る。駄目だ何の役にも立たない。


「ひゅ~、詩喜お姉ちゃんモテモテ~!」


 ルリがニヤニヤしながら、椅子にまたがってマーカーを手元で回す。

 ホワイトボードには、いつの間にかあたしの名前と『モテモテ愛されセンター』なんてふざけた文字が書いてある。

 無論助けてくれる様子はない。


 前後からもみくちゃにされながら、静かに決意する。


 ――帰りに胃薬、買おう……。



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