第2話
部屋の中は円形に机が配置され、その奥にはホワイトボードが据えられていた。
期待していたわけではないけど、歓迎会というには寂しい人数だ。
その中の一人、長い黒髪を深紅のリボンで結んだ少女が、あたしを見るなり軽やかな足取りで駆け寄って来た。
「ふふっ、やっとお会いできましたぁ……!」
砂糖菓子のように甘い声。
彼女は両手であたしの手を包み込むように握りしめて、
歓迎されているのは間違いない……が、まるで長年待ち続けた恋人と再会したかのような熱量だ。
「
「……彩芭ね。よろしく」
「はーい、これから末永くお願いしますぅ」
手を握る力が妙に強い。
痛くはないけど、少しでも動こうとするとそれを逃がすまいとする力が伝わってくる。
「彩芭ちゃんは『偏愛ストーカー系ヒロイン』なんだよ!」
「は?」
ニコニコと笑う雲英から補足が入る。
確かにアイドルの中には差別化を図るために、個性的なキャラ付けする
ただ、『偏愛ストーカー系ヒロイン』なんて聞いたことが無いし、ファンにどんな言動を見せるのか想像もつかない。
「わたしぃ、
「そうなの? 結構マイナーグループだったと思うけど」
「知名度なんて関係ありませんよぉ。ずっと詩喜先輩だけを応援してましたぁ♡」
「……ありがとう。嬉しいわ」
彩芭は目を細めて、愛おしそうにこちらを見つめてくる。
ほんのりと心が温まるような感覚。あたしだけを応援してるなんて言われたのは始めてで、どう反応するべきか困る。
「大好きで大好きで大好きで大好きでぇ……♡」
彼女の声が一段と甘く熱狂的になっていく。
「SNS監視して住所特定したり、先輩が捨てた物を収集してますぅ♡」
「……ん?」
言葉の意味を
住所特定に、捨てた物の収集……あたしの世界ではそれは応援ではなく、ストーカー行為と呼ばれる犯罪な気がするのだけど。
「日記帳も付けてるんですよぉ。内容はぁ……先輩のプライバシーの為に秘密にしておきますねぇ♡」
日記帳と呼ばれたそれは、洋風の植物があしらわれたリング
本当だとしたら個人情報流出なんてレベルじゃない。
無邪気な子供のように輝く瞳の深くに、狂気的な何かを宿しているような気がして背筋に冷たいものが走る。
これは……キャラ付けの一環……なのよね?
「キャラ付けなんかじゃないですよぉ」
「……声に出してたかしら?」
「先輩のことだぁい好きですからぁ。全部は無理ですけどぉ、心くらいは読めちゃいます♡」
まるで常識かのごとく、人間にあるまじき異能が語られる。
あたしが完全に言葉を失っている一方で、雲英が興奮した様子でリアクションをとる。
「すごい、すごい! え、じゃあ、雲英の心も読めちゃったりする!?」
「もぅ、雲英さん。わたしぃのは読心術じゃなくて何年も
歴が違いますぅ、と誇らしげに胸を張る。
あたしからすれば、どっちも初対面だから歴も
どういうわけだか、彼女の『偏愛ストーカー系ヒロイン』というキャラの矛先は、あたしだけに向けられているみたいだ。
「ほーら、あんまり詩喜お姉ちゃんを困らせちゃ駄目だよ~」
柔らかなソプラノが、どこかのんびりとした雰囲気を纏いながら二人を宥める。
小柄な体つきに、明るい茶色のショートカット。カラフルなヘッドバンドが特徴的な少女だった。
雲英と彩芭はあたしと同年代だけど、この子は下手したら小学生くらいに見える。
「『アクティブ妹系ヒロイン』の
腰に手を当てて可愛らしくウインク。
妹キャラは業界的にも珍しいものじゃない。ようやくアイドルらしいのが出てきた気がする。
それでも油断できないのがこの事務所だ。他の変人っぷりを見た後だと警戒せざるを得ない。
「趣味はお菓子作りとカラオケ。お近づきの印に手作りクッキーどうぞ!」
ポケットから現れたのは、袋に入ったプレーンクッキー。
袋口はピンク色のリボンで丁寧に結ばれていて、店売りされていてもおかしくないクオリティだ。
「ありがとう。でも、悪いけど甘いものは苦手なの」
「大丈夫。彩芭ちゃんに甘いもの苦手だって聞いてたから、甘さ控えめで作ったから!」
「……当然の如く味の好みまで把握されてるのね」
「うふふ、照れちゃいますぅ♡」
彩芭が芝居がかったポーズで頬を赤らめる。
照れるな照れるな。こっちは引いてるんだから。
「えー!? たい焼き屋さんの話しのとき、詩喜ちゃん甘いもの好きって言ってたじゃん!?」
「それはアンタの好きなものでしょ……」
「あれ、そうだったっけ?」
首を傾げる雲英を見て、思わずため息が出る。
いくらなんでも自分の話だけで完結させすぎだろ。
「まあ、そういうわけなら頂くわ」
「わーい! 塩味を効かせたチーズクッキーだから紅茶とかと合わせるといいかも!」
「分かった。そうしてみるわ」
クッキーの入った袋を受け取る。
一口サイズのそれは、形が揃っていて丁寧に焼かれているのが分かる。
最年少っぽいのに随分としっかりしてる娘だ。
中学生くらいかと思っていたけど、見た目より年上……高校生くらいなのかも知れない。
「雲英さんと彩芭さんの分も作ってきたから食べてね!」
「ルリちゃんの手作りだー! ラッキー!」
「ありがとうございますぅ」
「いただきまーす!」と雲英は勢いよく袋を開けて、早速クッキーを口に運ぶ。
その様子を横目で見ながら、あたしはルリの呼称に違和感を覚えていた。
「……あたしはお姉ちゃん呼びで、雲英と彩芭にはさん付けなの?」
ルリは目をぱちくりとさせて、かわいらしく小首を傾げた。
「当然でしょ。だって、わたしは詩喜お姉ちゃんだけの妹だからね!」
「……頭が痛くなってきたわ」
つまりなんだ。事務所やグループの妹分でもなければ、ファンの妹なわけでもない。あたし専用の妹キャラを貫いているらしい。
頭を抱えるあたしに、ルリは不思議そうに首を傾げて声を落とす。
「もしかして詩喜お姉ちゃん……何も聞かされてないの?」
……何を?
そう疑問を口にする前に、コンコンと背後から控えめなノックの音が響く。
振り返るとゆっくり開いた扉から、クマの着ぐるみ……の頭部だけを被った人物が顔を覗かせた。
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