(参)最後の『お湯に浸かろう会』 (第1章)名残り惜しい湯
「今日で最後か。なんだか寂しいよ。じゃあ、行ってくる。といっても、あっちで会うんだったな」
リビングで寝そべっているロンに、僕は声をかけた。もう天作さんの中に入ってしまったのか、返事は返ってこなかった。
外に出ると、雪がちらついていた。朝の九時だというのに、夕暮れのように薄暗い。あの銭湯に初めて行ってから一年が過ぎ、今年も、あと十日ほどで終わる。歩きながら、この一年の『お湯に浸かろう会』のことを思い出していた。
最初の頃は緊張していたのがウソのように、今では気の置けない銭湯仲間になっていた。それにしても、ロンが天作さんと同化して、犬なのに人間のように湯に浸かり、食べ物に舌鼓を打つという技を身に付けたのには驚いた。今では、ロンなのか天作さんの意識なのか?分からなくなる時がある。
一番変化したのは、ダークヒロインだった里穂さんではないだろうか。黒の皮ジャン、ジーンズ姿から、今ではスカートを履き、時にはアクセサリーを付けていたりする。見る度、美しさに磨きがかかっている。まぁ、銭湯に行くのに、着飾ったところでというのはあるけど……。
先回の『お湯に浸かろう会』で、彼女は「私、ずっと自分を喜ばせてはいけないと思って生きてきました。ちょっと高価な物を買う時も、自分にはふさわしくないと、あきらめてしまったり……。でも、直美さんのアドバイスもあって、着たこともないような服を買い、ドキドキしながらアクセサリーを身に付け、誰かに見てもらう歓びを知りました。これからは、もっと自分のことを好きになっていきたい」と、そんなことを言っていた。
直美さんは「気が向いたら来ます」と言ってたわりに、毎回、楽しそうに参加している。それぞれが持ち寄る軽食やお菓子なども、楽しみのひとつになっていた。糖尿病の天作さんの為に、みなが気を遣い、彼の方は、あえて甘い饅頭なんかを買ってきていた。
今までのことをアレコレ思い出しながら銭湯の近くまで来ると、見慣れた煙突が目に入ってきた。このそびえ立つ煙突が街から消えていくのかと思うと、寂しい気持ちになってくる。
この立派な屋根瓦も壊されるんだなぁと、銭湯の前で立ち止まり雪の中見上げていると、「名残り惜しいでんなぁ」と、後ろから声がした。
振り返ると、天作さんが、寒そうに手をこすり合わせ、顔を上に向けていた。そして、その声と重なるように、(ほんまやな。残してくれへんかな)と、ロンが伝えてくる。今日も無事に、天作さんと一体化しているようだ。
僕が「それは無理だろう」と、つい返事をしてしまったら、「何が無理なんです? 時々、佐々木さん、意味不明なことを言わはりますなぁ」と天作さん本人は、不思議そうな顔で笑っている。
「いや、ちょっと、一人二役の独り言を言うクセがありまして。『銭湯、残らないかな?』『いや、無理だろうなぁ』なんて、一人芝居を心の中でやってたわけです」
僕が、しどろもどろで言い訳していると、「今日が最後なんですねぇ」と、また声をかけられた。いつのまにか、里穂さんと直美さんが連れだって、隣に並んでいた。里穂さんは真っ赤なコートを着こなしている。それがまた、華やかな顔立ちに、とても似合っていた。
天作さんが「よう似合うてますわ。帽子をかぶったら、サンタクロースになれまっせ」と眩しそうに、里穂さんを見た。たぶん、褒めているのだろう。
「いやね、サンタクロースって、おじいちゃんでしょ。でも、そうね。女版サンタさんになろうかな」と彼女は、少し恥ずかし気にかわしている。最初の頃の里穂さんなら、「失礼ね!」と、にらみつけていただろう。
直美さんは二人の様子を見て、「じゃあ、天作さんはトナカイになって、彼女を乗せてあげればいいわよ」とニヤニヤしている。
(わいが乗せてやってもええで)と余分な口を挟んでいるのは、ロンだ。
天作さんは「いや~、そない綺麗なサンタさん、よう乗せませんわ。直美さんも、真っ白なショール、可愛いですなぁ」と、今度は彼女の方に顔を向けた。
直美さんが「私のことはいいから」と笑うと、「とにかく、中に入りましょうか」と二人の会話を遮るように、ガラガラと里穂さんは戸を開けた。気のせいなのか? 里穂さんが、天作さんのことを意識しているように思える時がある。
「まさかなぁ~。それじゃあ、美女と野獣だ」と心の中でつぶやいていると、(案外、分からんもんやで。そやけど、天ちゃんは、桃先生を気にしてるみたいやけどな。ほんま、パパさんは鈍いわ)とロンが伝えてくる。
そうなのか?と思いつつ、僕も中に入った。
保奈美さんはすでに来ていて、その隣に高校生くらいの少女が立っていた。アイドルグループの中にでもいそうな、愛らしい顔立ちをしている。
「今日は、孫の栞も連れて来ました。賑やかになりますけど、よろしくお願いします。ほら、あなたからも挨拶しなさい」と、彼女は孫の肩に手を置いた。
少女は「初めまして。遠藤栞といいます。高校三年です。一度、お邪魔したいと思ってたんです。今日は、よろしくお願いします」とハツラツとした声で自己紹介して、ペコリと頭を下げた。
それぞれに挨拶を交わした後、今日の主役ともいうべき、銭湯の主人、龍さんが姿を現した。
「みなさん、お揃いですなぁ。栞ちゃんも、よく来てくれましたわ。今日はウチの海人も参加させていただくので、よろしくお願いします。まずは、ひとっ風呂、浴びてくださいな。外は寒かったでしょう。体をゆっくり温めて、それから最後の晩餐というのは、ちょっとたとえが悪いですな。まっ、若い人も交えて、楽しくやりましょう」
「は~い。今日、クッキー作ってきたんです。みなさん、私のクッキーも食べてね。銭湯なんて初めてよ。楽しみ~。早くお風呂に入りたいな」
栞ちゃんは屈託ない笑顔で、両手を胸のところで組んだ。
それではということで、それぞれ「男湯」「女湯」に分かれて湯船に浸かることになった。最後だと思うからか、いつもより肌触りが柔らかい気がする。トロ~リとした感じがした。
女湯の方からは、栞ちゃんのはしゃぐような声や、女性達の笑い声がエコーをかけたように響いてる。
こっちは男二人、名残り惜しい思いで湯に身を沈めている。
「癒されますなぁ~。極楽、極楽」
天作さんは目を閉じて、自分の世界に浸っている。その合間にと思ったのか、ロンの意識が明確に伝わってきた。
(なんや、今日の湯はとろけてしまいそうやな。それはそうと、栞ちゃんって、覚えないか? ほら、ブログで見た元気印の高校生やないか。メリーちゃん、今日は連れて来てへんのかいな?)
ロンは、風呂どころではないようだ。そういえば……『しおりん』とか書いてあったなぁ。あの子なのか?
僕は、声に出して話しかけるわけにはいかないので、「なんとなく思い出したよ。ミョ~にポジティブな、Jなんとかだろ? どうやら、栞ちゃんは、ブログ通りの子みたいだな。メリーちゃん、あぁ、思い出したよ。ロンのことを呼んだというワンちゃんだろう。銭湯には連れて来てないと思うよ。あとで、それとなく情報を仕入れてやるよ」とテレパシーで返した。
(色々と情報は、魂を通じて伝わってくるんやけど……。実際に会いたいやないか。けどなぁ、ちょっとやっかいなんや……。でもって、Jなんとかじゃなくて、JKやろ。女子高生のことや。それくらい覚えろや)
メリーちゃんが来てないからといって、僕に当たられても……。
「分かったよ。なんとかしてみるから安心しろ。それと、やっかいってなんのことだよ?」
(それは、今ここで、わいからは話せへんけどな。たぶん、今日、分かるんちゃうか)
ロンは、そう答えたきり黙り込んだ。
そういやぁ、この一年、何か特別なことが起こるのかと思ってたけど、そうでもなかったしなぁ。これといって不思議モードになることもなく、普通に風呂に入り、食べながら世間話をしただけだったような。それぞれの職業や家族の話など、当たり障りのない程度の会話だ。詳しいことは聞いてないが、桃先生の虐待問題も解決したみたいだし。深入りしない関係、それはそれで、気楽でよかった。
それとも、僕の知らないところで、何かあったのかな? 最後の日に、不思議世界に突入なのか? 僕は慣れてるけど、呑気に湯に浸かってる天作さんが、目に見えない話なんて聞いたら、目が飛び出るんじゃないか。
一応、少しでも免疫をつけておこうと、「突然ですけど、天作さん、幽霊とか信じる方ですか? こういう公共の古い建物なんか、過去の大勢の人の思いとか残ってそうじゃないですか? 僕も、以前は、前世がどうとか、これっぽちも信じてなかったんです。けど、最近は、そういうこともあるのかなぁ~なんて思うわけですよ。決して、怖いことじゃないといいますか……」と、さりげなくでもないけど、話しかけてみた。
すると、天作さんは、つぶっていた目を開いて、「前世、あるんちゃいますか。わいは、その手の話、好きなんですわ。若い頃は、パワースポットを芸人仲間と一緒に巡ったこともあります。まぁ、ちょっとでも、運を上げよう思ってですけどな。残念ながら、ご利益はありませんでしたわ。わいみたいな人間、生きててもなんの役にも立てしまへんけど、ほんでも、なんか意味はあるんちゃうか? そう思うこともあります。それにしても、今日の湯は体が溶けてしまいそうでんなぁ。ホンマ、ええ湯や」と、天井を見上げた。
宇宙の彼方にでも問いかけているのだろうか……。その手の話が大丈夫なら、心配することもないか。女性達の方が苦手な話題になるかもしれないな。
いったい、ロンは、メリーちゃんから、どんな情報を聞いているんだ? もしかして、ロンが天作さんの口を借りて、何か話すのか? 僕は、頭の中が「?」マークでいっぱいになった。アレコレ考えて、のぼせそうになってると、「ほな、そろそろ出ましょうか。なんや、見えない縁で、ここに呼ばれたんかもしれませんなぁ。人と人の繋がりも不思議なもんですわ」と天作さんはザブンと音を立てて、お湯から出た。
「まっ、不思議といえば、そうですね」と、僕は目の前の天作さんのお尻に向かって言った。
風呂上がりに、恒例の「コーヒー牛乳」をいただき、マッサージチェアに座っていると、「サイコーに気持ちよかった~」と、顔をほてらせた栞ちゃんを先頭に、女性のみなさんが戻ってきた。そして、すぐに慣れた手順で、テーブルと椅子を並べ始めた。今日は、椅子に柔らかそうなクッションが乗っている。長時間座っているとお尻が痛くなるので、ありがたい。
それぞれに持ち寄った食べ物も、次々にテーブルに並べられていく。最後ということで、いつもより豪華な物が多い。
里穂さんは、わざわざデパ地下で、ヘルシーな惣菜を買い求めてきたようだ。驚いたのは、保奈美さんの持ってきたパンで、なんでも、体によい素材を科学的に計算して作られているという見たこともないレアなパンだった。計算してというのが、よく分からないところだが、健康志向の人がネットなどで買い求めるのだろう。天作さんを意識して用意されたみたいで、「里穂さんのお惣菜を挟んで食べるといいわね」と、並べながら彼に勧めていた。
栞ちゃんは、ハートや星の形でくりぬいた可愛いクッキーを紙皿の上に乗せている。僕も、「女性の方に喜ばれるんじゃないかしら」と、節子から持たされた箱寿司を出した。
ひと通り準備を終えると、ご主人は「このような集まりは、今日が最後ということで、寂しいですなぁ。けど、正直なところ、わしは……最後というより、新しいスタートのつもりでおります。まぁ、話は後ということで。まずは、いただきましょうか。すぐに孫の海人も来ますんで、先に始めてましょう」と短い挨拶をした。
みんなで、持ち寄ったご馳走に舌鼓を打っていると、海人君が何本かワインを持って現れた。
「今日くらいは一杯やりましょう。僕も参加させてもらいますので、よろしくお願いします」と、ワインをテーブルに置いた。彼だけは、最初に会った印象のままというか……。ブログの好青年とは違う、素朴なイメージではあるのだが、その中に、何ともいえない暗い影を、今日も感じた。毎日、銭湯に入ってても、癒されないことがあるのだろうか。
お酒が入ったことで、よりいっそう賑やかな宴になった。ロンは、(ええ気分や。人間だった頃、よう飲んだもんや。天ちゃんは、あまり飲んではいかんさかい、これくらいにしとくか)と、メリーちゃんに会えないことも忘れかけているようだ。
僕もグラスに二杯ほど飲み、ほろ酔い気分になってきた頃、「お楽しみのところ、ちょっといいでしょうか」と、ご主人が口を開いた。もう最後の挨拶なのか? みんなの視線が龍さんに集まった。
「この一年、こんな古い銭湯に足を運んでいただき、誠にありがとうございました。今日は、これから、重大な話がございます。少し酔っ払ったくらいの方がいいのかもしれませんなぁ。メールにも書きました通り、お時間をいただくことになります。もし、ご家族の方に連絡される場合は、今の内にどうぞ」
なんか大袈裟だなぁ。一応、節子には、「今日は、遅くなるよ」と言ってある。他の人は一人暮らしだから問題なさそうだ。いったい、どんな話を聞けるというのだろう? 僕は好奇心がムクムクと湧き上がってきた。
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