第36話 神光院

 神光院じんこういん月心げっしんに事情を話すと、とにかく何日でも匿うと言ってくれた。


「おおきに。助かります。月心和尚さんとこに久しぶりに来たのがこんなんやなんて、ほんまに申し訳ない」

「かまいませんよ、安心しておいでください」


 ひとまず隠れ家を見つけた為恭だったが、休めと言われても今にも追っ手が来そうで落ち着かない。

 尚忠の直廬じきろで見た斬奸状は剥ぎ取って持ってこられたものだった。ということは貼られたものを見た者が少なからずいるということだ。


 攘夷浪士であれば当然、敵と見なされるだろう。洛中で為恭を知らぬ者はないほどなのだ。町人の中にも疑いの目で見る者はいるかもしれない。

 改めて考えると誰も彼もが追いかけてくるように思えてくる。寝返りを打つばかりの眠れぬ一夜を過ごした。

 次の日、蒿庵こうあん永岳えいがくを連れ、神光院を訪れた。


「とにかく無事でよかった」


 道中よほど心配だったのだろう、為恭を見た永岳が長々と息を吐きだした。


「あの斬奸状ざんかんじょうもやけど、さっぱり理由わけがわからへんのです」


 不安で仕方ないという顔の為恭が永岳にすがる。

 わけもわからず命を狙われるなど理不尽極まりないのだが、恐ろしいことにそれがまかり通ってしまう。


「はっきり、私には関係あらへんいうことを証言したほうがええやろか」


 永岳が首を振る。相手は理由をでっち上げるような者たちなのだ。聞く耳を持つとは思えない。


「止めとけ。わざわざ危ないとこに行かんでええやろ。それよりほとぼりが冷めるまで逃げた方がええ」

「永岳様、どこか心当たりはありませんか」


 綾野の問いに永岳も皆も難しいと唸る。


「高山寺はあかんやろ。かと言って知恩院ちおんいん聖護院しょうごいんも門跡寺院とはいえ近すぎる」


 蒿菴こうあんもやはりそうかと腕を組む。いくら親王が門主を務める寺院でもさすがに難しいだろうと唸った。

 皆が額をつき合わせて考えるのだが京にはこれという場所がない。


「やはり京から離れた方がいいのでしょうか」


 そう言った綾野の声に、はっとしたように為恭が顔を上げた。


願海がんかい様が紀州の粉河寺こかわでらにおられるはずや」


 蒿菴がそれはいいと手を打ち明るい声を出す。


「そこなら追手も容易に行きますまい」

「紀州様も京狩野のお客様やし、まったく知らん土地でもあらへんし」


 為恭もうなずいてそう言った。

 紀州藩は徳川御三家のひとつ。浪士が無視できるような家格ではないはずだ。なにか仕掛けるにしてもよほど準備が要るだろう。追手に利があるとは思えない。いい案だと皆が愁眉しゅうびを開いた。


「為恭様、粉河寺へ向かいましょう」


 立ち上がりかけた綾野に、少し待てと月心が声をかけた。


「寺へ向かわれるのでしたら僧形そうぎょうになられてはいかがでしょうか。絵師の冷泉為恭を探しているというのなら、墨染めの衣と網代笠あじろがさであれば世間の目につきにくいのではありませんか」

「和尚さん、私に髪を落とせ言わはるんですか」


 至極真面目な顔で首肯しゅこうする月心に、為恭が困惑した顔を向ける。


「いいですね、それ」

「綾野!」

「為恭様、月心様の言う通りです。敵は今の為恭様を探してるんです。坊主は探してません」


 それを聞いた為恭が口をへの字に曲げた。


「儂も賛成や、今すぐ頭を剃ってもらえ」


 永岳の言葉が決め手となる。それではと月心がたらいの準備を始めた。


「なんや、心許あらへんなあ」


 剃り上がった頭を撫でながら為恭が情けない声を出す。


「似合ってますよ」

「そないな問題やあらへん。頭から風邪ひきそうやわ」


 綾野と為恭のやり取りを聞いて月心が笑う。


「それでは私は年中、風邪を引きっぱなしですな」


 面白がる月心に、ばつが悪そうな顔を向けた為恭がまた頭を撫でた。

 為恭と綾野は時期を見計らい、紀州粉河寺こかわでらへ向かう。人目を避けて歩く道行きは不安で仕方がなかったろう。


 だが少し前に生麦なまむぎで外国人に対する殺傷事件があった。衆人の耳目じもくがそちらに向いていたことも幸いしたか、九月に入る頃には粉河寺にたどり着いた。

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