第24話 京狩野への依頼

 障壁画も描き終わり帝もようやく聖護院から御所に遷幸せんこうされた。

 為恭も安政三年八月には関白となった九条尚忠ひさただ直廬じきろあずかりに任じられる。


 直廬じきろは政務も行われるが、基本的には宿直とのいや休憩のための場所である。要するに御所における尚忠の私的な場所であり、そこの責任者という肩書で勤めることになった。


 九条家と京狩野は初代山楽さんらくの頃からのつき合いになる。豊臣家の滅亡と共に狩野の絵師のほとんどが江戸へ向かった。それでも残った絵師たちは九条家をはじめとした公家衆や寺社の庇護の下で画業を続けてきたのだ。

 京の人々の結びつきは深い。尚忠の抜擢ばってきはそれゆえでもあろう。


「それで九条様、私は何したらええんです?」

「絵ぇ描いてくれ」

「それでええんですか」


 ここにいる時くらいゆっくりさせろと尚忠が苦笑する。


「世の中不穏やろ。屋敷に帰ったら島田しまだやら玄蕃げんばやらがうるさい」


 尚忠にとってもそうだろうが、為恭も尚忠の元で気負わず描けるのは心安い。為恭は例の笑い声を上げ、墨をりだした。

 為恭の社会的な地位が上がったこの頃は、画技もまた大いに向上した時期でもある。この時期の為恭の元には依頼が絶えない。多くを描けば質が落ちそうなものだがそうはならず、変わらない王朝の雅を描き出す。

 その日は知恩院に呼ばれ出向いていた。


大樹寺だいじゅうじへ行ってくれないか」


 門主もんすが穏やかな声で言った。


「大樹寺?」

「岡崎にある徳川家の菩提寺だが火災に遭ってね、ようやく再建されたのだよ。お前なら狩野派の絵もわかっておるだろう」


 これはまたとない大きな依頼だが為恭は首をかしげる。


「それ、ほんまに私でええのですか。京狩野なら永岳がおりますし、そもそも江戸狩野に出せへん話なんですか」


 門主の声は変わらず静かだが表情は少し曇った。


「お前は描きたくないのかい? 方丈ほうじょうの襖絵から何から、すっかり全部を任せることになるのだよ。大きな仕事なのだけれど」

「そら描きたいです。描きたいんやけど、なんで私なんやろおもて」


 食い下がる為恭に門主が困ったように眉根を寄せた。


「為恭」

「なんです?」

「怒らないで聞いてほしい」


 大樹寺の障壁画作成について江戸狩野を派遣するのは難しいだろうと門主が言う。

 先年、江戸は大地震に見舞われた。江戸の町も城もまだ復旧工事の最中で人手を割くのが厳しい。誰に頼めばいいかと大樹寺から相談され、知恩院としては京狩野を挙げた。


「お武家の菩提寺なのに、宮中のようにやまと絵の絵師をというのもどうかと思ってね」


 その点、為恭は京狩野の出であり技量もある。永岳や土佐派の当主のように禁裏きんり御用絵師ではないが社会的地位もある。ただ狩野派の中ではそれほど重要な位置にはいない。要するに使い勝手のいい人材なのである。


「ああ、なるほど。私くらいの者が適任いうことですか」

「はっきり言われると、こちらとしても心苦しいのだがね。もちろんお前の技量は評価しているよ」


 下手な者に任せられないのは為恭もわかっている。その目に少し剣呑けんのんな光が宿った。


「私も御所でのお勤めがあります。九条様にご相談してからお返事させてもろてよろしいでしょうか」


 かまわないと門主が幾分ほっとした表情を見せた。

 そして話を持ってこられた尚忠もうなずく。


「行ってきたらええ。ただ道中は気ぃつけや。早めに終わらせて帰てくるんやぞ」

「参ったなあ、駆け足で行ってこおへんと」


 しょうもないことを言うなと尚忠が笑った。

 不穏な言葉はともあれ大樹寺へ向かう。跳ねるような足取りの為恭が京の町から街道へと向かっていた。


「うふふふふふふ……」


 為恭の笑い声の横で綾野はため息をついた。


「最初から受ける気満々だったんですね」

「当たり前やろ。方丈ほうじょう含めて百四十七面の障壁画やぞ。描きたいに決まっとるわ」


 好きに描けることになった。手間代てまだいもまとまった額がもらえると為恭の声がはじける。


「それでも京狩野として描けということなんでしょう?」

「むろん注文や好みには合わせる。そら当然のことや。せやから知恩院さんとも相談した」


 画題は提案したものの最終的には実際に寺の様子を見てからと門主に了承を得てきた。


「やってみたいことがあるんや。できるかどうか、早よう寺の様子を見たい」


 目尻を下げ、踊るように足が動く。


「為恭様、あまり浮かれると転びますよ」

「そこまで子どもやあらへん……うわっ!」


 綾野の目線の高さから為恭が消えた。言わないことではないと綾野は頭を抱え、手を差し出し引き上げる。

 再び歩きだした為恭がふと呟いた。


「願海様もこないな気持ちで歩かはったんやろか」


 昨年、願海は描きあがった『仏頂尊勝曼荼羅ぶっちょうそんしょうまんだら』を自分が育った養壽院ようじゅいんに納めるために江戸へ向かった。


「真面目で芯の強い方でしたから、こんなに浮かれてはいなかったと思いますけどね」

陀羅尼だらにを広める言うて目ぇが輝いとった」


 願海が旅立ったのは江戸地震の前だ。アメリカと条約を結んで以来、江戸は尊王攘夷で沸騰しかけているような時期だった。心配どころではなかったが、それでも願海を止めることはできなかった。


「こういう世情であればこそ尊勝そんしょう陀羅尼だらにを広めていかなくてはなりませんね」


 願海はそう言って軽々と江戸へ向かったのだ。今は復興の槌音も賑やかだろうが、きっとそれだけではない。


「願海様は大丈夫ですよ。あの方には仏がついておられるでしょう」

「せやなあ、その通りや。綾野のくせにええこと言うやないか」


 くせには余計だと綾野はふくれて見せる。

 為恭が笑って振り切るように空を見上げ、眩しそうに目を細めた。


「あん時もええお天気やった。お天道さんは地上のあれこれには知らん顔やな」


 三十路みそじも超えたというのに子どものように蕩けた目をする。


「きらきらしとる。宝箱みたいやわ」


 また妙な声で笑い、澄んだ空に手を伸ばした。


「なあ綾野、こうしたらつかめそうやな」

「夢みたいなこと言ってるとまた転びますよ」

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