第11話 岡田為恭
永岳が帰った後、しばらくして為恭が戻ってくる。ひとしきり
「なんで伯父上が描いてはるんや」
「わかるんですか?」
「当たり前や。生まれてこの方、あの人の絵ぇ見とるんやぞ」
為恭に永岳の話をすると、ふうん、と頬杖をついた。
「伯父上も
「そうなんですね……あ、そうだ。永岳様から伝言です。手伝ったのだからこっちも手伝えだそうです」
「なんやて?」
本来こちらが用件だったのだろう。永岳が言っていたのは二条城の
呼ばれて為恭や他の弟子たちと共に出かけ、初めてその場に立った綾野はそれだけで目眩を感じた。四方を美しい絵画に囲まれる。そんな目で部屋を見たことがなかったのだ。
「思たより色落ちとるなあ。ああ、そっちは破れを直してからや」
永岳の声が聞こえているのかいないのか。綾野はまた次の部屋、次の部屋と美しい絵が続くところだけを見ていた。もっと見たい。
「綾野、感動しとる場合か。
「ええやないか。こないな場所、見ることもなかったんやろ」
「
「はい、永岳様」
「絵の具、溶いといてくれ」
永岳が指示したのは土佐藩の
「綾野、今日は見とってええぞ。明日からはちゃんと働きぃ」
まだ永岳の言葉が耳に入らないのか。綾野はしばらく
修復に駆り出されるたびに綾野も慣れてきた。
もはや襖絵の豪華さや美しさにも呆然となることはない。それよりも見て覚えて、描けるようになるのだ。ひとつたりとも見逃すなと綾野は自分に言い聞かせた。
永岳の手伝いを続け、絵巻の模写を続け、掛軸などの注文も描き、仕事は途切れない。
その中でふいに為恭が言った。
「
「ちょうど
「すみません、なに言ってるかわからないんですが?」
こちらは仕組みをよく知らない。説明が足りないと綾野は怒ったように言った。
為恭が言うには、
新興の絵師たちはこうして身分を得ることがある。最低限の身分がなければ御所に出入りすることが叶わない。株を買うことで朝廷の
為恭も六月には
「うっふふふ……うっふふふふふふふ……」
長々と
これから何度もそれを書くのだろう。いちいち気味悪く笑われたらたまったものではない。
「それ、気持ち悪いんでやめてもらえますかね」
「綾野は師匠に対して失礼やな。まあ、これで御所の御用も受けられるようになったんやから許したるわ」
「その
「当たり前や」
宮中ではそれが普通だと言われ、そういうものかと感心し、また別の謎を見つけて首を
「菅原って、なんでです? 岡田ではないのですか」
「岡田の家紋が梅やった。
「はあ……」
やっと夢が叶ったと為恭は上機嫌で何枚も絵を描いていた。
本当に子どもの頃からこういう世界が好きだったのだろう。こうまで幸せそうな為恭を見ていると嬉しいやら羨ましいやらだ。
綾野はそろそろ暑くなってきた京の空へと目を向ける。今だけはその後ろに絵巻四十八巻の仕事が山積みになっているのは忘れておこう。
そしてそれだけではなかった。しばらくすると為恭はまたも大きな驚きを持ってくる。
「綾野、
「買っ……た⁉」
うん、と嬉しそうにうなずく為恭が踊るように綾野の周りを回る。
「画室は離れの十二畳や。母屋には八畳と十畳の客室もあるし結構広い」
株を買うのでも五十両は使ったはずだ。そんな屋敷を買う金をどこからとつっこみかけて、絵を描く他にも写本や鑑定を
「もしかしてそのために依頼をたくさん受けていたのですか」
「うっふふふ……」
例の気味の悪い笑い声を上げた為恭の口の端が三日月のように上がる。
こんな欲深な目の為恭を見たことがない。
もう手を入れているのかと綾野が問い返すと、倍以上の言葉が返ってきた。
「床は
「ちょっ……近い、顔が近いです!」
「昔っから憧れやったんや。絵巻の暮らしを私もしてみとうてなあ。あの世界にずっといられたら幸せや……せや、
どこまで自分の好みを貫こうというのか。まさかそれを
為恭という男は見た目はふわふわと捉えどころがないのに、どこまでも貪欲に自分の世界を欲しがる。
面白い。
綾野はやっと為恭を
「なんや、綾野。そんな改まった顔して」
「為恭様がそこまで考えていたとは知りませんでした。なに考えてるのかよくわからない人だけど、傍にいてあの美しい絵が見られるならそれだけでもいいと思ってたんです。本当は欲の深い人だったんですね」
「もしかして私、
「なんていうかようやく為恭様が人に見えた気がします。俺、為恭様が好きです」
「……綾野、私は化け物か。それに男色の趣味はあらへんぞ」
そう言って為恭が顔を
そういう意味じゃない。綾野はぎちぎちと拳を握りしめる。真顔でからかわれ、ここは殴っておこうかと綾野は本気で考え始めた。
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