第4話「奴隷少女の食事」
今後どう接するべきかと頭を悩ませていると
気付けば眠りについていたようだ。
座り心地の悪いソファの上から身を起こし、少しの間
足元を確かめるようにして立ち上がった。
背筋を伸ばすと、背骨がわずかに軋む音が響く。
その直後、焦げた匂いが空気を支配し、辺りに立ち込める。
黒ずんだ煙を後に、発生源へと足早に駆け寄ると、唖然と立ち尽くすリアナの姿が見えた。
「すみません、すみません、こんなことも出来なくって」
火元の傍には散乱した食材の数々、そのどれもが色濃く、焦げを付ける。
「仕方ない…当分の買いだめをしていたつもりだったが。
今日も市場へ赴くとするか」
散らかった食材を処理し始める。傍らには
涙ぐむリアナ。迷惑は掛けまいと
必死に取り組もうとしていることは分かっているつもりだ。
「…悪い、俺は力加減が難しくて、卵を割るのが苦手でな。
後片付けはやっておくから、先に用意を済ましていてはくれないか?」
「は、はい」
目じりにたまった涙を拭いながら返事を返す。不慣れな手付きで作業を進める。
とはいえ、両手で殻を割る単純作業である。
無論、甘やかすつもりなど毛頭ない。
「で…出来ました」
粗方の掃除を終えたと同時に、容器の中に顔を向ける。
卵の殻が混入している様子も見られない、及第点といったところか。
労いの言葉を掛け、休息するよう促す。今度は俺が調理する番だ。
フライパンに油を強いて、薄く広がった油面が熱を帯びることを待つ。
しばらくすると、音を立ててその表面が波打った。
油の香りが立ち上り、容器の中で波打つ。
鮮やかな黄身を中に溶け込まさせる。白身と絡み合いながら
徐々に表面は固形物となってフライパンに注がれていく。
固まったのを確認して皿に盛りつける。
合間に、人数分の食パンを用意する。
きつね色になるまで焼き上げ、バターを表面に塗って均す。
残りは手間を掛けず、簡単に野菜を均等に分ける。
「これ、私の分ですか?」
「当たり前だろう。
誰がわざわざ人数分作ってまで独り占めするんだ」
豪勢とは言い難いが、それでも、一息つける朝食をモチーフに目指したつもりだ。
「いただきます」両手を重ね、軽く会釈をすると、追うようにリアナも真似をする。
素朴ながら、微かな甘い風味を口いっぱいに充満させる食パン。
焼き目の濃い部分は、その分
サクサクに仕上がって、また違ったアクセントになる。
スクランブルエッグも、程よく優しい甘さと塩加減が絶妙である。
適度に甘くなった口を、素朴な味を引き出す野菜が、爽やかにリセットしてくれる。
最後に、淹れた紅茶で口を潤して、一連の流れを再度行う。
「それで、今日はどうするおつもりでしょうか」
平らげた朝食の皿を前に首をかしげる。
「市場にでも行ってみるかな。
後は現地で何か欲しいものがあればって感じで」
興味を示さずに「そうですか」と淡白な反応を示す。
リアナが唯一興味を示したのは、ポットの紅茶。
見慣れないものに興味を示したというよりは、淹れ方に関心を持ったと言う感じであったが。
そんな様子のリアナだが、咳払いをしたのち「そういえば」と一言、間を開けた後声を挙げる。
「貴方様の名前をまだ聞いていません。
共に生活する以上、なんとお呼びすれば良いのでしょう」
「別に、リアナの好きな呼び方で構わないよ。
可笑しな話だが、昔から虐げられてきた
俺は、誰かの記憶に残ることが許せないんだ」
心情を汲んだのか、しばし考える素振りをする。
しばらく経つと、何か閃いたように手を叩く。
その仕草は、とても可愛らしいもので。
記憶に残るのは嫌ではあるものの。
その姿を目に焼き付ける事には抵抗がなく。むしろ、嬉しく感じていた。
「分かりました。貴方は今まで通り、リアナとお呼びください。
私は…そうですね、名を持たない人「ムメイ様」とお呼びします」
―――――数時間歩き続け、ある一件の洋服屋を前にしていた。
入店するなり、特徴的な洋服を身に纏う女が、体全体を奇妙にうねりを上げる。
この場所に訪れることすら不愉快であるが、それ以上にこの出で立ちが気に障る。
女は、俺の姿を見るなり、こちらに歩み寄ってきた。
「おや、貴方がそんな可愛い子を連れてくるなんて、滅多なことがあるもんさね。
彼女かい?彼女なのかい?」
まだ年端も行かないリアナを指差し、若々しくはつらつとした声を挙げた。
眉をひそめ、目を丸くしながら、開けたり閉じたりを繰り返すリアナ。
女に事の経緯を伝えると、途端に顔色を変え
距離を取られたかと思えば、すぐに弁解を交えた謝罪をすることになる始末。
「あの、ムメイ様、お言葉ですが、買い出しをするのではないのですか」
「それは後。リアナも、服が一着しかないとなると不便だからな」
相応しい服を着飾らせるよう女に目をくべる。不格好なウィンクに吐き気を催すも、途端に気配を変える。
悔しいが、洋服に関しての目利きは一級品。
頬を赤らめるリアナなど気にも留めず、着せ替え人形の如く、様々な服を試着させていく。
「ったく、奴隷商人はこんな上玉をまだまだ持っているのかねぇ。
ほんと、この世は顔が全てさ」
不服そうに着衣する服を指で突く。普段の清楚系も良いが
妖美な服も、また違った魅力がある。
「そういえば、最近この町を牛耳る奴隷商人が死んだって聞いたねぇ
どうせ、商品共に反逆されたんだろうけど」
突如として発せられる言葉。そうか、やはり直ぐに出回ったんだ。
綻ぶ表情も、血の気が引いたように青ざめていく。
「あんたか」
「…悪いかよ」
深紅の瞳でこちらを睨みながら、卑しい口角をあげる。
鋭い眼光を向けるが、目の前の女は、どこ吹く風と嘲るばかり。
暫しの静寂が流れる。先程までの微笑ましい空間は疾うの昔に過ぎ去ったと言わんばかりに
甲乙の差が明確な場を沈黙が支配する。
「ははっ」
突如として挙げられる笑い声、それは、目の前の女が発したものだった。
「悪くぁない。あいつのことなんて
好きな奴の方が珍しいくらいだからな」
自らを客観視されたような視線に、思わず視線を逸らした。
女は立ち上がり 俺の前へと歩み寄ってくる。そして胸倉を掴み上げた。
視線を交わす時間が、永遠の様に感じられた。
まるで、己の覚悟を示せと言わんばかりに。
意識が蘇るや否や、思わず手を払いのける。
相当の金を払い、去るように手を引くと、言葉が掛けられる。
「あんた、いつもより楽しそうじゃないか」
「悪かったなリアナ。
あの人、いつもあんな様子でさ」
「いえ、大丈夫です」
…夕暮れ時、日は傾き、辺りを紅に染める。
市場の賑わいも落ち着きを見せ、人通りも少なくなっていた。
ベンチに腰掛け、額に掌を添える。
素振りすら見せなかったが、存外あの場には居心地の悪さを抱いていたのだろう。
俺の様子を察した上で、リアナが口を開いた。
「あの」と、声色はどこか不安げである。
「どうした、顔色が悪いぞ」
「ムメイ様」
「なんだ」
目を見るよう促され、視線を合わせる。
微かに残る自然の香りが鼻腔を擽った。
「大切な、お話があります」
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