第2話「奴隷少女の略奪」
「買わないならとっとと失せてくれ。こっちも商売なもんでな。
奴隷は良いぞぉ、特に顔立ちの整った女は別格さ。
代わりに働かせるも良し、戦場の肉壁として、一度に数百も買う奴がいたな。
勿論、犯すことだって出来る」
首輪に繋がる鎖を引き寄せる。喉仏が刺激され、
彼女の口から微弱な悲鳴が零れ落ちる。
彼女を前にして、思わず立ち竦んでしまう自分が情けなくてしょうがない。
声を出そうとしても、数年も口を利かないと喉が痙攣して上手く発せられない。
邪悪な笑みを浮かべる人々が、俺を嘲笑っている。
けど、そんな奴らに構うほど余裕が無いんだ。
俺は、お前を不幸せにしてやれるのならなんだってする。
だから、一度、たった一度だけ勇気を与えてくれ。
…昔の夢を見たせいか気分が優れない。幾度も見た夢ではあるが
何度見ても気分を害してしまうのは、俺の心が弱いせいだろうか。
いや、きっと違うな。この夢を何度も見てしまうのは
俺が、俺を構う人の事を忘れたくないからなんだろうな。
「君が、生きていたいと言えば…!」
瞬間、確かな視線がお互いを見つめ合った。
虚ろな瞳は確かなものであり、彼女が俺を見るなど
生きる活力も、希望も、ただ、声の発せられる方へ意識を吸い寄せる。
言うなれば機械そのものと同義な存在。
要は、確かに俺を見たのだ。
至極当然であるが、眼は生気を宿し、俺を捉えていた。そして、存在を確かめているかのよう。
無関心だろうが、無関心を装おうが、彼女は確かに俺を見ていた。
―――その眼は、確かに、生きていたんだ。
「ほら、これで足りるかよ」
不規則に奏でられる小銭の音色は、青空の下、結晶が舞うようにゆっくりと浮遊していく。
夢から覚めると、俺は、もう寝てなどいなかった。
汗ばむ手から零れ落ちた銀貨の枚数を数えてみた。
奴隷を買うにしてはあまりにも少な過ぎる金額。
でも、それでも良いんだ。彼女が生きられるのなら。
「足りる訳ねぇだろこのクソガキが!」
咄嗟の出来事に場が着いていけていない。
力いっぱいに繋がれた鎖を引きちぎり、彼女の手を取りその場を後にする。
各々が脳内で思考して、その場に合った行動を取る。
勇気を振り絞った行動は、数秒という些細な時間に過ぎなかった。
町中に轟く銃声、一世一代の鬼ごっこが今幕を挙げた。
背後から聞こえてくるのは、奴らの声と、荒れ狂う足音。
人をかき分け、俺の暮らす森へと歩みを進める。
が、時間の猶予が限られている中、本来ならば数時間程掛かるであろう距離を
短期間で走り抜けるなど、そこまでの体力は残されていなかった。
疲弊した体力が最中に回復する訳ではない。次第に、足の動きが鈍くなり、その場に膝をつく。
その反動で彼女が倒れてしまわぬよう
両腕で必死に抱え込む。変わらずの鋭い虚ろな視線は変わらず
どこか上の空といった仕草を見せていた。
いつも通りといった顔で安堵感を抱くと同時に、一つの不安が脳裏を過る。
彼女程の美貌を持つ女ならば、望む人は多勢いるに違いない。
比例して交渉値も増し、彼女を手にするのは何処かの貴族だというのが容易に想像出来る。
人並みか、それ以上の生活水準を望むのだって夢物語とは言い難い。
俺のしたことは、本当に正しいと言えるのだろうか。
可笑しな我儘が、彼女の人生を狂わせてはいないか。
不安や困惑が渦巻く脳内では、正しい判断が出来なくなるというのはよくある話。
重ねてしまったんだ、仕方ないじゃないか、幸せにしてあげたい、
最終的には隣に俺が居なくとも、だ。
そう思ったのなら、目の前で手を取ったのなら
どうしようもない暗闇から、走り抜けるしかないじゃないか。
己に言い聞かせ、自らを誇示する。
鬼が出るか蛇が出るか、未来を見通せないというのなら信じた道だけを歩き続ける他あるまい。
疲労した足に言葉を叩きこめると、不思議と力が立ち込める。
息を吸い込み、吐く。工程を何度か繰り返していると、低音が耳を劈く。
人の声ではなく、獣の咆哮に近しい物。
それは俺の背後から迫り来る奴ら。俺を殺す気でいる。確信させるのも当然な話。
俺は今、手を取り逃げている最中。
彼女という名の商品を横取りしたとあらば、奴らが怒り狂うのも頷ける話である。
―――早々に撒かなければ。
「あなたは、どうして私なんかを助けたのでしょうか」
不衛生な空気が周囲を漂う、街の路地裏。開口一番の言葉にどんな意味合いを持つのかと心が劈くような思いをするが、不安や心配を払拭するように
不格好な作り笑顔を貼り付けた。返答に迷いが生じる。様々な意味を含めての、答えが浮かばない。
だが、その答えは、至極簡単だということに気が付くまで、長い時間を要する必要は無かった。
俺が彼女を幸せにしてあげたいから。ただ、それだけ。
「君が、俺と似ていたから」
自分なりの精一杯の回答。彼女は、その回答に納得がいかないのか、首を傾げる。
数秒の沈黙の後、再び口を開いた。放たれた言葉は俺の心を大きく揺さぶる。
「…あの方は何処かの貴族に高値で売り込むと、私のことを丁重に扱ってくれました。
悲しいことですが、まだ理解出来ます。多額の金を目当てにしているのでしょうから。
でも、貴方には何もあげられません。なのに、どうして…」
「何もしない。…そうだな、お前、あのままでも幸せだって言っていたな。
金も無い、地位も無い俺なら、君を不幸せにすることが出来る」
再度僅かな静寂が流れる。こんな奥地まで追ってないだろうという不確定な安堵感からか。
はたまた彼女に声を掛けてくれたことが余程嬉しかったのか。
思いを嘲笑うかの如く投げつけられた言葉に呆然と立ち尽くすしか無かったのか。
甘い考えを覆うように、硝煙が上空に飛び散るのが目に見えた。
「見つけたぞ、クソガキ。よくも、よくも大切な商品に傷つけようとしたな。
殺してやる、泣いて媚びても殺してやる」
複数の男が彼女を囲うように襲い来る。銃を携える男は視線を逸らさず、ただこちらを見つめる。
膝をつき怯える彼女、喧嘩などしたことも無い俺には、守ることで精一杯だった。
幾ら図体に恵まれていたとしても、人の世を知らず、ましてや殺めることに抵抗を持たない者など
逃走するだけ無駄だったということだ。
皮膚が張り裂けるような痛み、体の芯の底まで衝撃が響き渡る。
全身が火照る様に熱い。血で出来た水溜まりに顔が映り込む。
焦点の合わない視線、原型を留めていない頬。
「ちっ、しぶてぇな…
お前、その姿まさに「鬼」だな」
向けられた銃の先は、人の命を奪うには十分すぎる代物。
銃口が火を吹けば最後、俺の人生は幕を閉じる。
そんな状況下、何を思ったか、彼女を守るように覆い被さる。
血の滲んだ視界には、彼女の肩を握る奴隷商人の姿。
耐える様に頬を含ませるも、頬から空気の抜ける音と同時に、彼女の目から涙が溢れ出す。
「生きたい、私は、自分自身を殺したくない…!
あんな取り繕う日々には、戻りたくない…!」
突如として疾風が巻き起こる。巨体も吹き飛ぶ程で
強大な力に押し飛ばされたかのようにも思えた。
瞬き一つ。瞼を開くと、俺を覆い隠すように彼女が立ちはだかる。
その背を思わず目で追った。
彼女の背中越しに見えるのは、男らの無残な姿。そして、血の雨。
何が起きたのか、理解が追い付かないまま呆然とする俺に彼女はこう告げたんだ。
「やっちゃいました、わたし、はは、ははは」
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