第7話 旅の始まりは嫌いだが出会いは好き
「シュナク」
背中を柔らかく包むように、爽やかオーラが肌を刺激した。
声の主を確かめると、雑魚勇者マルクが背後に立っている。
すっかり昨日の酒は抜けてしまったのか、晴れやかな顔をしている。
「時が来た」
そう言うと彼は左手を伸ばした。
マルクの目には覚悟が現れている。
本当、どうしてこんな良い人間に戦いの才を与えないのか、神の考えることは理解しかねる。
そんなことはさておき、私も手を伸ばし、マルクの手を握った。
マルクに身体を引っ張られ、立ち上がると彼は静かに頷いた。
目の前の勇者はその爽やかオーラと純粋な心で世界を救えるのか、確かに気になるところではある。
私達が村を出る時、見送りは疎らだった。
昨日世話になったスキンヘッド男と握手を交わし、私達は村を出た。
「さあ行こうシュナク」
目の前には広大な地が広がった。
緑の草原が広がり、あちこちに大きな岩肌や森が存在している。
上空を鷹だか鷲だか分からない鳥が飛び、地上にはエランドが何匹が見える。なぜエランド。
随分この村は田舎だったようで、見える範囲に人間の街らしきものは無い。
これから、私達にどんなことが待ち受けているのか、どんな出会いや別れ、人々とのストーリーがあるのか、そんなことはどうでもよかった。
「早くお家に帰りたい」
昨日は少しはあった責任感というのが、一夜にして飛んでいったのだ。
理由は恐らく、夢のせいだろう。
あくまでもマカライポに惑わされた訳では無い。リディアのことが心配なのだ。
身の安全でいえば、あの街にいる限りおそらく大丈夫だろう。
しかし私達の生活、関係がこの冒険の間に、それこそ義父のような第三者によって、もしくはリディアの心変わりによって終わってしまうのではないかと不安になる。
私の眼前では、既にマルクが歩みを進めている。
弱いがやる気だけは十分な彼は、今から魔王討伐に向けてやる気満々のようだ。
その後ろを着いていくが、妙に彼の背筋は伸び、足取りが立派で気持ち悪い。
しかし、引き受けたからには最低限のことはしなければならない。
私の目的はあくまでも、はみ出し者である魔物達の沈静化。
それにマルクに道草を食わせること。
三神達の言った勇者と魔王の決闘に役立つなら、達成しなければならない。
本来であれば、三神達も私も、今の魔王メルスでは勇者に勝てない。と考えていた。
だから私が勇者の道を妨害し、メルスの強化時間を稼ぐはずだった。
しかし現状は、成すべきことは変わらないが、目的が変わってしまった。
そう。魔王メルスを守るためではなく、勇者マルクを守るために。
形だけの腐った魔王とはいえ、メルスも流石にマルク程度を軽く葬る力は奴も持っている。
マルクを死なせるのは嫌だ。
それに世界の均衡を保つためにも、私はマルクと嫌々でも旅をするしかないのだ。
「すいませんマルク」
「ん? どうした」
マルクは前を歩きながら振り向いた。
正直、前から襲われると一瞬で死にそうなので後ろにいて欲しい。
ただそれでも不安なので、願うならせめてあと3人仲間を作ってマルクの四方を囲って動きたい。
まあそんなこと今は考えても無駄なので、もう考えないようにする。
「今私達はどこへ向かっているんです?」
率直な疑問をぶつけると、マルクは顔を正直に戻した。
少し歩く速度が遅くなったように感じる。
マルクは何も答えようとしなかった。
「マルク?」
「とりあえず、今日はあっちへ行こう」
マルクは真っ直ぐ先を指さした。
しかし前には木々で覆われた森しか見えない。
「マルク。君にいきなり野宿は無理ですよ」
「わかってるよ。あの森の先に大きな町があるんだ」
「なんだ。そうなら早くそう言ってくれたらよかったのに」
「だってシュナク何も聞いてこなかったから⋯⋯」
「それは⋯⋯すみません」
私達はそれ以降静かに歩き続けた。
開けた地を歩いていると、野生の動物もちらほらと見受けられるが、特に人に襲いかかって来るようなものは見つからない。
しばらく歩いていると、私達は森に足を踏み入れた。
かなり木々が生い茂っているせいで、急に辺りが暗くなり、私は警戒を強めた。
周りにはそこそこ生物がいるようで、私達の周りに足音や葉の擦れる音が響いた。
「マルク、気をつけてくださいね」
「ああ⋯⋯平気だよ」
彼はそう言ったが、声からは先程までの威勢は感じられない。
まあしかし、薄暗い森の中を歩けばそれは無理もない。
ましてや彼は自分の弱さを身に染みて分かっているのだから。
「この森に魔物はいるんですかマルク」
「うん。時々出るらしい」
「そうですか」
私はその場に手をかざし、鉄の剣を精製した。
マルクと手合わせした時の物と違い、ちゃんとダメージを与えられる。
魔法というのを使えば、どこでも出したり片付けたりできるから便利だ。
しかしその日の状態によっては、上手く物質が形成できない時もある。
そう考えると、マルクが背中に差した剣のように、常に離さず持っているのも悪くない。
途中、マルクは何かの小さな木に生えた果実を毟り、齧り出した。
赤く、噛むと心地の良い音がする果実を、後ろ姿でも分かるくらいご機嫌に食べている。
そんなマルクの姿を後ろから眺めていると、更に後方で枝の折れるような音がした。
「なんだ」
振り返って確かめても、後ろには生き物の姿は見えない。
ただ動物が通っただけと思い、前を向くとマルクが食べていた果実を落として固まっていた。
「もったいない。この果実はなんというのです?」
話しかけても返事がない。
肩を叩こうとすると、また枝の折れる音がした。
しかし今度は前から。
「また動物が通ったのか⋯⋯。ほら行きましょう
」
「な、なんだ。動物か」
声を震わせながらマルクは動き初め、私は彼の左隣に並んだ。
マルクは奇妙なもので、視線が全くと言っていいほど動かない。
ずっと真っ直ぐ遠い場所を瞳で覗いているかのように固定されている。
そんなマルクを脅かすかのように、今度は後ろから足音が近づいてくる。
「シュ、シュナク」
私の名を呼ぶ彼は全く前から顔を動かそうとしない。
後ろは振り向かないという時によっては格好いい鉄の意志を感じる。
マルクが怖がるのも無理はなかった。
今近づいてくる足音はゆっくりだが、恐らく獣のものでは無い。
明らかに二足で歩いている生き物の物だ。
野生の勘か、それとも経験からか、マルクもそれを感じ取っているのだろう。
敵意のない人間かもしれないが、念の為振り向いてみると、近づいてくるのは敵意を向けた人間でも、二足歩行の魔物や動物でもなく、小さな女の子だった。
「マルク、見てください」
マルクの肩を叩き、彼が振り返るよう促した。
「お、女の子?」
振り返ったマルクは驚いたような声を漏らした。
幼い女の子は胸の前で手を握りしめながらじっと私達を見ている。
かなり幼いようで、長く黄色い髪が特徴的で茶色い服を1枚着ていた。
「シュナク、あの子は人間なのか」
マルクが耳打ちをした。
何故私に聞くのだろうか。人間と魔物を見分ける能力でも持ってると思ってるのだろうか。
まあ実際持っている、というか確認すれば分かるのだが。
「君はどこから来たの」
私はゆっくりと幼女に近づきながら、声をかけた。
幼女は逃げようとはしない。その場でじっと私達を見ている。
幼女の目の前まで来ても、動かなかった。
私は膝を下ろして、目線を合わせた。
「大丈夫。怖くないよ」
幼女の服はよく見ると少し汚れていて、土や植物の色素が染み込んでいた。
さらに若干獣臭い。長く森にいたのだろう。
それにしても、この幼女からは不思議な雰囲気を感じる。
ただその奇妙な雰囲気は、今の私にはよく分からない。
ひとつ言えるのはこの子が魔物ではないということだ。
「お母さんか、お父さんは?」
さらに尋ねると、幼女は俯いてしまった。
すると、そこに先程まで動く気配のなかったマルクが軽い足取りでやってきた。
「君の名前は?俺はマルクで彼はシュナク」
私の様子を見て警戒を解いたのか、やってきたマルクが膝を着いて自己紹介をすると、幼女の口元が僅かに動き始めた。
「コロン⋯⋯」
幼女は微かに言いながら顔を上げた。
なぜ私は駄目でマルクなら話すのだろうか。
きっと最初に名乗らなかったのが原因だと思われる。
改めて幼女をよく見ると、茶色いその目は何処かで見覚えがある気がした。
「コロンちゃんって言うんだね」
マルクが幼女の名を口にすると、幼女は頷いた。
「ここには1人で来たの?」
「うん⋯⋯」
「お父さんやお母さんは?」
「いない⋯⋯」
スラスラとまではいかないが、幼女はマルクと言葉を交わしていった。
「シュナク」
マルクが突然私を呼び、顔を向けてきたので無言で頷いた。
マルクに聞かれなくとも、この場に1人置いていくつもりは無かったのだが。
「とりあえず俺達と森を出ようコロン。安心して、このシュナクは凄い魔法使いだから」
マルクが私の肩を叩いた。
凄い魔法使いと言われると、鼻が高い。
しかし残念ながら私は魔法使いではなく魔物だ。
「マルク⋯⋯シュナク⋯⋯着いていく」
幼女が私達の顔をそれぞれ見ながら言うと、私達は大きく頷き、マルクは幼女を肩車した。
「さあ行こうコロン。まずはこの先の村で聞き取り調査だ」
「おー⋯⋯」
マルクが元気よく歩き出すと、小さく腕を上げながら幼女⋯⋯コロンが応えてみせた。
不思議な子だが、子供らしいところもあるんだと感心した。
それにしてもマルクによく懐いている。
時々後ろを振り向きながら私に目を向けるが、目を合わせると直ぐに戻ってしまう。
自分で言うのもあれだが、基本的に私は人に好かれやすい。
その証拠に、この世界で一番偉い奴らともコネクションが築けたし、魔王の側近にもなれた。
魔物の子供達からも慕われていて、よく脛やお尻を蹴られたりしていた。無論、相手は笑顔だ。
しかしコロンは、どうやら私のことが苦手なようだ。
コロンの後頭部に視線を向けていると、草が揺れる音がした。
慌てて当たりを確認すると、左から確かに物音が聞こえた。
「誰だ」
剣を構え、草むらに目を向けた。
軽くマルクを見てみると、また完全に固まってしまっている。
まあ、今はコロンを抱えてるのでそれでも構わないのだが。
しかし、よく一瞬で抱きしめられたものだ。
コロンも抵抗することなく、大人しくしている。
なぜか魔物ではなく私を見ながら。
マルクとコロンに気を取られていると、草むらから大きな影が飛び出してきた。
その正体は魔物だった。
一見、ただの黒い狼のように見えるが、魔力が体から滲み出ている。それもそれなりの量が。
「マルク。コロンを連れて森を抜けてください」
今のマルクではどうにもならないので、さっさと先へ行かせることにした。
「シュナク、頼んだ」
戦友に背中を任せたかのような雰囲気を醸し出しながら、マルクはコロンを抱いたまま走り出した。
彼は勘違いしているかもしれないが、仮にコロンが居なくても避難させた。
マルクを鍛えるにしても、流石にいきなり戦うには分が悪い。
魔物は標的を決めたのか、マルクに向かって走り出した。
「早く逃げてマルク!」
狼を追いかけても勝てない。
私は瞬時に手をかざして魔法陣を出した。
「相手は私だ」
魔法陣から砂嵐を放出し、魔物に浴びせる。
ものすごい速度で砂が襲いかかるこの魔法は、弱いものはそれだけで致命傷のダメージを負うことになる。
だが残念ながら、目の前の魔物は平気そうに毛に絡まった砂を、体を震わせて払った。
「なんでこんなのがここに⋯⋯」
気を引き締め、目の前の魔物に対峙した。
「神から直々に指名された私の力、見せてあげますよ」
自分で言っておいてなんだが、別に私が魔王の側近の中で一番強いわけではないのだ。
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