第6話 夢でよかった
「おかえりなさいシュナク様」
いつの間にか私は家に帰っていたようで、玄関にエプロン姿のリディアが立っていた。
どこで売っているのか、いつ買ったのかわからないが、リディアの身に着けているエプロンは、水色の生地に大きくマカライポの姿がプリントされている。
流石に趣味が悪いと思い、苦言をしようとしたところ、エプロンのマカライポが瞬きした。
目をこすり、確かめてみるとマカライポが動くことはなかった。
気のせいだとは思うが気味が悪いので、そのままにして家の中へ入っていった。
「久しぶりだね、シュナク君」
リビングに入ると、短髪で眼鏡姿のこの世で4番目に苦手な人物が椅子に座っていた。
もちろん、堂々のスリートップはあの三神達だ。
「お、お義父さん」
リディアの父で私の義父である男が、なぜか知らない間に家へ上がっていた。
「なぜここに⋯⋯」
そう言うとリディアはあからさまに視線をそらした。
彼女は義父がやってきた理由を知っているのだろう。そしてそれが良いことでないことも。
「まあ座りたまえ」
ここは私の家ですが、と言いたい気持ちを抑え、テーブルを隔てて義父と対面した。
「はいシュナク様、お父さんも」
リディアは紅茶の入ったティーカップを2つ、私たちの前へ置いた。
ティーカップを手に、紅茶をすすりながら義父の様子をうかがうと早速不機嫌そうにティーカップを眺めている。
私は義父が苦手だ。
リディアと交際しているのが知られた時も、結婚報告をするときも、義父は私を認めようとしなかった。
リディアの父はもともと、町で鍛冶職人をしていた。
随分年季が入ってしまっているが、鍛冶職人だけあって体は逞しく、火傷の跡も腕にいくつか勲章として残っている。
意外にも性格は温厚だが、娘のことになると人が変わる。
初めて会いに行った時は門前払いを食らった。今時こんな男がいるのかと唖然としながら、私はリディアに慰められながら帰った。
2度目は家へ上がらせてもらったが、ひたすら別れるように説得され、リディアに慰められながら帰った。
最初は、私が気に入らないのかと思っていた。
しかし実情は、ただ娘が大好きで心配していただけだと後に判明した。
私たちが結婚するとなった時、簡単に事後報告だけ済ませて逃げることにした。
怒ると思われた義父だが、リディアの姿を見ると満足したのか何も言ってこなかった。
それから、時々顔を見せに行っても、嫌な顔をされたりすることはなかったが、いつも私を監視するかのように観察していた。
「シュナク君」
ティーカップをテーブルに置き、義父が私を見据えた。
「はい」
私もティーカップを置き、義父に顔を向けた。
「最近、随分忙しいそうだね」
「は、はあ。まあそれなりに」
まさか私を労ってくれるのか、そんな希望は義父の眉間に皺が寄るのとともに打ち消された。
そう、まさか伝説の勇者が糞雑魚爽やか青年と知った時のように。
「それでリディアをほったらかしにしているのか」
「はい?」
「いいかいシュナク君、これ以上君が仕事に
いったい何を言っているのか、それにしても仕事に現を抜かすとは面白い。別に私は夢中になっているわけではない。押し付けられているだけだ。
「何馬鹿なことを言ってるんです⋯⋯」
思わず義理の父に向って馬鹿と言ってしまったが、反省はしない。
「そんなこと私やリディアが承知するわけ⋯⋯リディア?」
リディアの姿を探したが、部屋の中に姿がない。
「うわあ!」
台所に目を向けると、思わずその光景に驚いて椅子から転げ落ちてしまった。
勢いよく音を鳴らしながら落ちたというのに、全然痛くない。
台所にはリディアの代わりにマカライポが立っていた。
レンガ台の奥に、確かにマカライポが立っている。
ヒヨコの神様がなぜ家にいるのか理解できないが、ずっと私を見つめている。
「何してるんだシュナク君、まあいい君が変わらないならリディアと別れてもらう」
義父はマカライポの存在に気が付いていないのか、相変わらず私に別れを迫ってくる。
「お、お義父さん。あれ」
「なんなんだ。何もないぞ。そんなことより」
マカライポを指さしながら義父に知らせたが、義父は全く気にする素振りも見せず、それどころか、一瞥しても気が付いていない様子だった。
「あーそういうこと⋯⋯」
私はこの歪な空間がなんなのか、今のやり取りで把握した。
それならせっかくだからと、立ち上がり義父の前に立った。
「なんだね」
義父は変わらぬ様子でいる。
私は勢いよく義父の顔目掛けて握りしめた拳を顔にぶつけた。
「ぶはっ」
義父は倒れこみ、その場に蹲った。
ついでにマカライポも殴ってやろうかと思ったが、彼の顔を見るとその気が消え失せ、妙な罪悪感を覚えた。
なぜ私は彼を殴ろうなどと考えたのか、自分を恥じた。
それだけじゃなく、彼のつぶらな瞳をみていると胸が苦しくなる。
気がつくと、自然に頬をぬるい液体が伝った。
「こんなところ見せてごめんマカライポ君」
涙を流しながらマカライポに言うと、私の視界には青空と上空を飛ぶカモメの姿が広がった。
全ては夢だった。
砂にまみれた体を払い、魔法で吹き飛ばした。
なぜかリディアがマカライポのエプロンを着ていたことも、義父が訪ねて来たことも、別れを迫ってきたことも、マカライポが夢に現れたことも全ては泡沫として海に消えていく泡と変わりはなかった。
自分でもいったい何を言っているのかいまいちよくわからなかったが、義父を殴った右手を確認した。
夢の中とはいえ、義父を殴ったことを反省はしていない。むしろすっきりした。またあんなことを言うため夢に現れたらやってやろうと思った。
しかし義父の言うことには一理あった。
今まで忙しかったのもあるが、今じゃ三神のおかげで失踪したと思われているかもしれない。
まあ、三神が仕事をしているのであれば既にメルスと接触しているはずなので、メルスから魔王城経由でリディアに情報が伝わっていると信じたい。
「あー⋯⋯」
眼前に広がる大海、その大いなる恵みを受けるとが如く漁船達が漕ぎ回っている。
義父やリディアのことはさておき、何故夢の中でマカライポを殴ろうとしたのを辞めてしまったのか。
彼の姿を見ると、つい先日会ったのに、何故か懐かしく思えた。
別に私はマカライポのことは好きではないし、苦手だ。恨みだってある。
それなのに彼の姿を見ると自然に涙が溢れ、覚める直前、マカライポを君付けにした。
あの得体の知れないヒヨコを君付けで呼ぶなど、思い出して寒気がする。
一体、あのヒヨコの何が私を揺さぶったのか、考えても考えても、気味が悪いだけだった。
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