第2話 2

「おお来たかシュナク、いつ以来だ」


 向かって左の、酒が入った大きな盃を手に持ちながら、鍛え上げられた腹筋をあらわにし、身体にフィットしたウェアを来た女神、ネルヴィスが声をかけてきた。

 その容姿は美しく、初めて対面した時は惚れてしまいそうになった。

 といっても酒好き、働かない、性格悪い。

 その3つの要素を知っている今、そのような気持ちは一切湧いてこない。

 第一私には妻がいる。


 この神と妻を天秤にかけるとしたら、ネルヴィスは軽すぎて天高く飛んでいくだろう。


「以前どこかの集落が水不足で困っていると教えた時以来ですね」


 ネルヴィスの問いに、右側に居た自称知の神、ザヌスが答えた。

 ザヌスは背中に大きな白い翼を生やし、いつも黒いコートを来ている。

 緑の長い髪と、一見清純そうな凛とした顔つきと眼鏡で、真面目な男だと勘違いしそうになるが、水不足の件で面白くないと言ったのはこの男である。

 ネルヴィスと同じく、至って不真面目で、神とは思えない性格をしている。


「そうですね。その時以来です⋯⋯はい⋯⋯」


 ところで、さっきから物凄い視線を感じていたが、ずっと目を合わせないようにしている。

 しかし不意に目が合い、思わず肩をすぼめた。

 ちょうど目の前に座る神、いや立っている神様。

 三神の中でもっとも強く、自他共に認める神界最強の絶対神、大きなヒヨコの姿をしたマカライポが、ずっと私を潤んだ黒目で見つめていた。


「⋯⋯」


 マカライポは何も発さず、ただ私を見つめている。

 私は三神の中でもこのマカライポが1番苦手だ。

 まずヒヨコの姿というのが可愛らしさもあるとはいえ不気味だ。

 そして微妙にヒヨコから脱線している。

 産まれたてのヒヨコのような黄色い毛に、細い鶏ガラのような足と爪。いや、ヒヨコだから鶏ガラそのものか。

 そして基本的に何を考えているのか分からない。

 マカライポの気持ちがわかるのはネルヴィスとザヌスだけだ。


 さらに何より、この化け物はとてつもなく強い。

 昔、この神界に危機が訪れた折、たった1匹で攻め寄せる悪魔達を打ち払い、行き過ぎた暴走の末、あやうく神界を滅ぼしかけたこともあったらしい。

 そんな話を聞いてから、この化け物に対して、どうしても身構えてしまうようになった。


「今⋯⋯失礼なこと⋯⋯考えた」


 突然、マカライポのくちばしが開き、全く口元を動かすことなく言葉を発した。

 私は思わず黙って首を横に振った。


「本当⋯⋯?」


 今度は何度も首を縦に振り、暑くないのに汗が滴った。

 

「どうしたマカライポ、早く続きをするぞ。ほら、お前の番だ」


 ネルヴィスがマラカイポに盃を突き出しながら何かを催促すると、マラカイポは机に視線を向け、置かれた小さな五角形らしき物を手に取り、動かした。

 ヒヨコの手でどうやって物を掴むのか不思議だ。


「うわ、それはないって」


 悔しがるように頭を毟りながら、ネルヴィスは酒を口に運んだ。


「まあまずは君から脱落という事ですね」


 そう言ってザヌスも五角形らしき小さな物を動かした。


「お前ら汚いぞ。私狙いなんて」


「勝負だから仕方ない⋯⋯これもよきかな⋯⋯」


 3人は楽しそうに、机のようなものに集中して、小さな物を動かしながら遊んでいる。

 まるで私の存在を忘れたかのように。


「あのー⋯⋯」


 私が声をかけても、3人は楽しそうにしている。


「あのー⋯⋯」


 居ないモノ扱いされているのだろうか。

 わざわざ魔王と神の合同による新手のいじめを受けさせられているのだろうか。

 流石にイライラが積もる。


「おい!」


 思わず声を荒らげてしまい、しまったと思うと、3人の視線がこちらに向いた。

 

「どうしたシュナク」


 なぜ怒ってるの?、とでも言いたげにネルヴィスが声をかけてきた。

 どうやら、最高神にとって、魔物が声を荒らげる程度、羽虫が耳の周りを飛び回るよりも些細なことらしい。


「いや、さっきから何してるんですか」


「ああこれか、これは人間界の一部で流行っている遊びだそうでな。本来は2人用だが3人用に改良して遊んでんだ」


「いや、そんなこと聞いてないですネルヴィス様、早く私を呼び出した用件を」


「ああ、そうだったな」

 

 女神はわざとらしく咳払いし、神妙な面持ちになりった。


「実は今人間界がちょっと厄介なことになっていてな」


「や、厄介な事とは。私共の間ではそのような情報は聞いたことがありませんが」


 ネルヴィスと他2人は意外にもふざけた様子はなく、真剣な顔でこっちを見ている。

 といっても、マカライポの表情は先ほどから変化がなく、実際は何を考えているのかわからない。


「当然です。これは人間界の内部で起きている事案。魔物の耳に届くはずがありません」


 ザヌスは眼鏡の真ん中を人差し指で、クイっとこれ見よがしに見せつけながら上に持ち上げた。


「だから⋯⋯教えてあげる」


「か、感謝します」


 相変わらずほとんど口を動かさず発言するマカライポに無意識に頭を下げてしまった。

 彼は神様なんてやめて腹話術でもやったらどうだろうか。

 そんなことを考えていると、マカライポがこっちを凝視していることに気が付いた。

 あまり目を見ないように、私はネルヴィスに視線を移した。


「人間界に魔王を討伐しようとする動きがあってだな」


 盃の中身を豪快に飲み、大きな私の股下くらいの高さはある瓢箪の酒を注ぎながら、視線に気がついたネルヴィスが教えてくれた。

 ずいぶん大それたことが起きようとしているようだ。

 しかしひとつ不思議に思うことがあった。


「なぜ人間は魔王を討伐だなんてそんな面倒なことを。流石にそう簡単にはいきませんし、だいたい魔王なんて倒したところで何も変わりませんよ」


「そんなこと人間たちは知らん。君たちが管理しきれない魔物の所業を魔王が原因だと考えても無理はない」


 管理しきれない魔物。その言葉に胸が傷んだ。 

 確かに、私たちの手の及んでいない場所では、人間と魔物が争っているという話はよく耳にする。

 しかし、私たちでは存在するのか怪しい魔王の威をもって説得に向かったとしても、彼らを納得させることはできないと云われている。

 もともと彼らは魔物の中でもはみ出たいわば異端者の集まりだからだ。

 魔王の管理から外れた彼らは、自分達の掟に従って生きている。

 いくら魔王といえど、彼らに口を挟めば争いは避けられないだろう。

 それに、出来れば管理なんてしたくないというのが個人的な想いだ。

 出来れば魔物にも人間にものびのびと、あまり縛られることなくこの世界で暮らしてもらいたい。


「まあとにかく、彼らの悪行のせいか人間達の中で魔物に対する怒りや憎しみが高まっている。そして人間界には勇敢なる者⋯⋯勇者と呼ばれる者が存在する。その勇者が魔王討伐にやってくることがわかった」


 しかしなんと人間も面倒なものだろう。

 一部に苦しめられているからとはいえ、魔物の親玉を狙うとはなんて論理だ。

 自分達を脅かす奴らのみを対処すればいい。

 今すぐ人間界に行って魔王なんて倒しても意味が無いと教えてあげたいものだ。

 

 偶然か必然か、幸運か不運か、今目の前には人々に噂を流すに長けている者たちが並んでいた。


「じゃ、じゃあ人間達に教えてあげたらいいじゃないですか。以前私達が干ばつに苦しむ集落を救ったのを、貴方たちが救ったと魔物達に吹き込んだ時のように」


 そう言うと、マカライポを除く2人の表情が固まった。

 むず痒そうに、口だけを細かく動かしている。

 どうやら、自分達の行いが恥ずべきものという自覚はお持ちのようだ。なら最初からするなと言いたい。


「し、失敬だな。あれは我々が君に事態を教えたから成せたことだ。言わば私達の手柄みたいなものだ」


 女神の発言とは思えないような暴論が、聞こえてきたが、ザヌスとマカライポは同調するように頷いている。

 果たして神がこれでいいのだろうか。


「とにかく、あの時とは事情が違う。マカライポ、説明してやってくれ」


 なぜあのような情けない事を言いながら、なおも堂々とできるのか分からないが、泰然とした態度をとりつつ、ネルヴィスは続けた。

 そして、説明をマカライポに投げたが、果たして彼は説明してくれるのだろうか。

 相変わらず開いた口元を殆ど動かさずに、彼は語り出した。


「前は⋯⋯魔界での事だったから⋯⋯我々⋯⋯干渉できた。でも⋯⋯今回は人間界と魔界の両方⋯⋯だから干渉できない⋯⋯表向きには⋯⋯」


 マカライポの説明が想像以上にわかりやすいことに驚きつつ、頭を捻った。


「表向きには?」


 そう尋ねると、マカライポはその羽毛に包まれた腕を組んだ。

 それにしても、この手でどうやってものを掴むのか不思議なものだ。


「神様⋯⋯人間と魔物⋯⋯どっちかに肩入れは駄目⋯⋯人間と魔物の争いは⋯⋯自分達で解決⋯⋯でも⋯⋯お手伝いくらいは出来る」


 神様らしいもっともな意見だと思うが、彼に語られると調子が狂う。

 それにわざとヒントをくれるような語り方もこそばゆい。


「えっと⋯⋯それで私は何をすれば」


「お前は人間界に行き、勇者に接触するんだ。そして勇者と行動し、できる限り魔王と接近するまでの時間を稼げ。メルスのことは私達に任せろ。あの腐った根性を叩き直してやる」


「それって思いっきり肩入れじゃないですか⋯⋯」


「バレなきゃいいんだ。要はそこだよ」


 女神ははっきりと言いきった。もはや清々しいまでもある。

 しかし、人間界に行けというのはたまったものではない。

 

「なんで私が人間界に行かなければならないのです」


「だって、こんな事頼めるのお前くらいだろ」


「そんなに仲良くないですよね? 私達」


「シュナクと我々⋯⋯仲良し⋯⋯だよ?」


 反論と共に何かを訴えているような目でマカライポが見つめている。

 しかし相変わらず表情は変わらない。


「分かりました⋯⋯仲良しですよね私達」


 このヒヨコには逆らえない。

 仕方なく仲が良いということを口に出すと、マカライポは満足そうに頷いて目を閉じた。


「そういうわけですシュナク。あなたは人間界に行き、勇者と接触し回り道させるのです」


 先程まで私達のやり取りを静観していたザヌスが、これみよがしに決めながら言い放った。

 もうそれはさっき聞いた、と言ってあげたい気分だ。


 まあそんなことは置いておいて、1つ問題がある。

 まことに残念ながら私この場を切り抜ける術を持っていない。

 つまり神からの命令を受けるしかないのだ。


 どれだけ嫌でも、抗うことが出来ない。

 弁舌、武力、感情、その3つを駆使しても、人を人とも思っていないこいつらから逃れることは出来ない。

 それが、神の中でも最上位の存在。

 最高神というやつらの理不尽さなのだ。





 

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