第31話 殺し屋の愛

「夜が明けるか」


 俺はエルザとフェルリートの部屋にいる。

 扉の内側に寄りかかりながら床に座り、一日中気配を探っていた。

 薬屋の店主を殺したことで当局の捜査や、いつものように襲撃に備えていたが、特に問題は起こらなかった。


「ヴァン、おはよう」


 昨日は部屋に戻り、すぐにフェルリートを寝かせた。

 片時もフェルリートから離れず、小さな手を握り続けていたエルザ。


「眠れたか?」

「ええ、おかげさまで」


 エルザとフェルリートには、睡眠を促進する薬草を煎じて飲ませていた。


「あなたは寝てないでしょう?」

「いつものことだ。気にするな」


 エルザの手を握るフェルリートも立っていた。


「二人とも風呂に入ってこい。汚いぞ」

「き、汚いですって! あ、あなたね! まったく! 本当に気遣いってものができなんだから!」

 

 フェルリートがエルザの手を離す。

 そしてゆっくりと廊下を歩き、俺の正面で正座した。


「ヴァン様。申し訳ございませんでした」


 頭を下げるフェルリート。


「やめろと言っただろう? まずは風呂に入ってこい」

「はい」


 エルザが俺を睨みつけている。


「フェルリート! 行くわよ。そんな奴は無視しなさい」


 風呂に入った二人。

 俺はその間、見様見真似で紅茶を淹れてみた。


 ――


「ふう、さっぱりしたわね。それにしても、フェルリートの髪は本当に綺麗ね」

「あ、あの、エルザ様。洗ってくださってありがとうございます」

「ふふふ、いいのよ。フェルリート覚えておきなさい。魔力と美しい髪はとても大切な繋がりがあるのよ?」

「え? は、はい」

「私の髪も綺麗でしょう?」

「はい。エルザ様の御髪はとても美しいです」

「ふふふ、そうでしょう。聖女はね、髪の手入れがとても大切なの。だから、あそこの野蛮な中年みたいに、何日もお風呂に入らないとかだめなのよ」

「は、はい」

「聖女のお付きになるためには、清潔で美しい長髪が必要なのよ」

「え? は、はい」

「この櫛は聖女の物よ」


 鏡の前にフェルリートを座らせ、櫛で黒髪をとかすエルザ。


「そ、そんな高貴なものを!」

「ふふふ、いいのよ」

「さあ、綺麗になったわ」

「エルザ様のお手を煩わしせてしまい、申し訳ありませんでした」


 その言葉を聞き、眉間にしわを寄せ、背中からフェルリートを無言で抱きかかえるエルザ。


「二人ともこっちへ来い」


 俺はリビングの丸テーブルに、紅茶を三つ用意した。


「これ、あなたが淹れたの?」

「そうだ」

「の、飲んでも平気?」

「知らん」


 恐る恐る口をつけるエルザ


「ま、不味っ! 紅茶をこんなに不味く淹れるって才能よ!」

「初めて淹れたんだ。仕方ないだろう」


 フェルリートは紅茶を何度も口にしていた。

 そして、カップをテーブルに置く。


「ヴァン様、エルザ様。昨日はご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」

「フェルリート! もうそれはいいのよ!」


 姿勢を正し、俺に視線を向けたフェルリート。


「ヴァン様。あの……。お願いがあるのですが……」

「なんだ?」

「お、お金をお貸しいただけないでしょうか?」

「金? なぜだ?」

「今日から泊まる宿のお金がなくて……。で、でも! いつか絶対にお返しします! お願いします!」

「宿だと?」

「はい。昨日は失敗してしまいましたが、今日はもう大丈夫です。また仕事を探します。薬屋じゃなくても何でもします」

「何でもだと?」

「はい」

「お前の夢はどうした? 薬師になりたいのだろう? 聖女の元で修行したいのだろう?」

「いいえ。この街で仕事を探すことが私の夢でした。ここまで連れてきてくださって、本当にありがとうございます。私の夢が叶いました」


 無理やり笑顔を浮かべ、深く頭を下げたフェルリート。

 エルザに視線を向けると大粒の涙を流している。


「夢か……」


 俺は小さく息を吐いた。

 どうして嘘をつくのか。

 これほどまでに分かりやすい嘘を。


「フェルリート」

「はい」

「昨日仕事を見つけた。お前に紹介しよう」

「え! 本当ですか?」

「そうだ。だが辛いぞ」

「は、はい! 何でもします!」

「うるさい女と不味い紅茶を淹れる男の元で、美味い紅茶を淹れ、美味い料理を作る。朝起きて支度して、昼は歩き、夜は宿に泊まる。野営もある。虫を食べることもある。そういう仕事だ」

「え? あ、あの、それって」


 エルザがテーブルを叩いた。


「ちょっと! うるさいって何よ!」

「うるさいだろう?」


 フェルリートが戸惑っている。


「え? あ、あの? ヴァン様……」

「美味い紅茶が飲みたいんだ」


 突然立ち上がったエルザ。


「フェルリート! こんな気遣いできない中年は無視していいからね! 一緒に美味しいものを食べましょう! 虫なんか出したら殺してやるわ!」

「あの……」


 丸い大きな瞳を、さらに見開いているフェルリート。

 状況が飲み込めないようだ。


「一緒に来いと言っているんだ」

「え? 一緒に? い、良いのですか?」

「一つ条件がある」

「条件ですか?」

「敬語をやめろ。普通に話せ。子供らしくしろ。できるか?」

「は、はい」

「できてないぞ?」

「あ、はい。あ、……う、うん」

「そうだ」


 フェルリートの瞳から、涙がこぼれている。


「ありがとうございます……。ありがとうございます……」


 エルザが椅子から立ち上がり、フェルリートに抱きつく。


「フェルリート、ごめんね。本当にごめんね。もうずっと一緒よ。絶対に離さない」

「エ、エルザ様。ヴァン様もありがとうございます。うう、うう、ううう。ありがとうございます。ううう」


 エルザにしがみつフェルリート。

 これまで溜まったものが全て出ているようだ。

 無理もない、まだ十五歳だ。


「うわあああん。うわあああん。ありがとうございます。ありがとうございます。うわあああん」

「違うと言っただろう」

「エ、エルザ。ヴァ、ヴァン。ありがとう。うわあああん」

「そうだ。それでいい」


 俺は自分が淹れた紅茶に口をつけた。

 味は分からないが、きっと不味いのだろう。

 しかし、これから美味い紅茶が飲める。

 フェルリートが淹れた紅茶だ。


 俺は時間をかけて紅茶を飲む。


「さて、朝食へ行くぞ。返事は?」

「うん!」


 フェルリートを連れて行くことで、エルザ護衛任務の足枷になる。

 これまでの俺なら、どんな状況だろうがフェルリートを置いていっただろう。

 俺は詮索しないし、他人に興味はない。


 だが……。


 やはりエルザの影響だろうか。

 悪い気はしない。


 俺が守れば良いだけだ。

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