第16話 熟睡を知る殺し屋
先程から口を開かなくなったエルザ。
このまま会話がないと静かで助かるのだが、確認事項がある。
「エルザ。さっきの諜報員が伝達した内容は分かるか?」
「内容を解析した結果、現在地、人数、あなたの性別と大まかな実力、そして私が完全に裏切ったことを伝えていたわ」
「解析ができるのか?」
「高度な魔術師になると、魔術の痕跡から内容を解析することができるのよ。魔力を失ってる今の私でも、解析くらいはできるわ」
確かにエルザは魔術師として、恐ろしいほどの実力を持っている。
若いのに大したものだと思う。
その後は無言で進む。
そろそろ日が暮れるところで、予定していた野営地に到着。
峠道から雑木林に入った場所にテントを張り、焚き火を起こす。
テントはエルザ用だ。
本来は火を起こしたくないのだが、エルザがいるので仕方がない。
「エルザ。火を起こした。調理は自分でしろ」
「分かったわ。あなたはどうするの?」
「俺はそのまま食う」
購入した干し肉と、赤ピーマンを取り出した。
「そのまま食べるの?」
「そうだ。味は分からんから、人が食えるものなら何でもいい」
「やめなさいよ。今から少しずつ味に慣れましょう。あなたの分も作ってあげるから。ふふふ」
エルザの表情は戻っていた。
だが、いつもの騒がしさはない。
今後もこのままでいて欲しいが、口に出すとどうなるか知っている。
たった二週間ほどだが、俺は学んでいた。
「ちゃんと調理器具と調味料を持ってきたのよ」
大きな荷物の理由が判明した。
エルザはバッグからナイフを取り出し、干し肉といくつかの野菜を切る。
「手際が良いな」
「料理は得意なのよ。あなたの味覚が治ったら、たくさん教えてあげるわね」
「戻ったらか……。そうだな」
エルザは鍋に水を入れた。
スープを作るようだ。
「ねえ、ヴァン。もう少し時間がかかるから、あなた寝なさいよ。ここまであまり寝てないでしょう?」
「いや、見張りが必要だ」
「大丈夫よ。音の遮断くらい今もできるわ。煙と匂いは風で隠す。ゆっくり寝ていいわよ」
「ゆっくり寝る? 意味が分からん」
「え? 何を言ってるの。ただ寝るだけでしょう?」
「どうやって?」
「そうか。あなたは超一流の殺し屋か。ゆっくり寝たことなんてないのね」
「睡眠は無防備だ。最も危険な行為だぞ」
エルザが溜め息をついていた。
「あなたって、実力も知識もあるけど、人としての根本的な部分が欠落してるのよね」
「俺は殺し屋だ。人とは違う。それに、地獄のような生活をしてきたからな」
「そうだったわね。少しずつ、ゆっくりと常識を覚えましょう」
「お前は親か?」
「何言ってるのよ。私よりも遥かに年上なのに。全く……
突然、エルザの長髪が風になびく。
そして、周囲から草木が揺らめく音が聞こえた。
「ほら、眠くなってきたでしょう?」
「な、何をした!」
まるで草木が奏でる楽曲だ。
それも噂に聞いたことがある子守唄というやつか。
「くそっ!」
恐ろしいほどの睡魔が襲ってきた。
これほどの眠気を感じたことはない。
「
「や、やめ……」
睡眠は人間の三大欲求の一つだ。
俺にその欲はないが、この睡魔にはあがらえない。
急激に重くなった瞼。
視界が閉じていく
◇◇◇
焚き火の隣で、意識を失ったかのように寝入ったヴァン。
「ハルシールに聞いていた通り、古い時代の殺し屋って人間として育てられてないのね」
寝息を立てるヴァンを見つめるエルザ。
鍋のスープをゆっくりかき混ぜる。
「ヴァンは特に酷いと聞いていたけど、安眠を知らないなんて……。本当に壮絶な人生を送ってきたのね」
エルザは手を伸ばし、ヴァンの髪を一度だけ撫でた。
◇◇◇
「……ン。起きて」
遠くの暗闇から、薄っすらと声が聞こえる。
「……ヴァン、起きて。できたわよ」
徐々に大きくなる声。
「ヴァン」
「はっ!」
俺は体を起こした。
「び、びっくりした。急に起きないでよ」
「お、俺はどれくらい寝てた!」
「スープを作る間だけよ」
「なに? たったそれだけか?」
信じられないほど長い時間寝ていたような気がする。
意識は冴えており、体がいつも以上に軽い。
「熟睡できたのね。良かったわ」
「こ、これが熟睡……か」
「うふふ。熟睡でそんなに感動している人、初めて見たわよ」
「そ、そうか?」
「はい。スープができたわよ」
「あ、ああ」
「初夏とはいえ、峠の夜は冷えるでしょう? 体が温まるわよ。でも熱いから気をつけてね」
エルザから器とスプーンを受け取る。
そして、すぐにスープを口に運ぶ。
「ちょ、ちょっと! 熱くないの?」
「ん? 俺には関係ない」
「あ、あのねえ。できたてのスープは少し冷まして飲むのよ。そんな飲み方したらレストランで目立つわ。殺し屋は目立っちゃいけないんでしょう?」
エルザの言うことはもっともだ。
「ふむ。言われてみれば確かにそうだな。こうか?」
俺スプーンですくったスープに息を吹きかけた。
「うふふ。そうよ、上手いじゃない」
「こんなものに上手いもなにもないだろう」
息を吹きかけたスープを口に運ぶ。
味は分からないが、エルザ自身美味そうに食べているので、味は問題ないのだろう。
完食後、紅茶を淹れるエルザ。
「はい。あなたの分よ」
エルザからカップを受け取る。
こんなものまで持ってきていたのか。
まるでピクニックだ。
湯気が立つ紅茶をそのまま飲もうと思ったが、少し冷めるまで待った方が良いのだろう。
「ところでエルザ。お前の魔力は今どれくらいなんだ?」
「どれくらいって?」
「今使える魔術だ。正確な状況を把握しておきたい」
「そうね。以前のような強力な魔術は使えないわ。私の周囲の空気を少し操れるくらいよ。荷物を軽くしたり音を遮断する
「ちっ」
自分の意志ではどうにもならない。
「で、この状態はいつまで続くんだ?」
「半年くらいで魔力は戻ると思うわ」
「予定だと二ヶ月で帝都に着く。帰ってもしばらくは魔力が戻らないのか」
「そうね。でも、戦争はそんなにすぐじゃないもの。早くても一年後くらいかしら」
「エルザは戦場に出るのか?」
「ええ、それが私の役目。それに
「
「さすがは博識ね。そうよ。皆それぞれ魔術師団があり、強大な魔術を使うから戦争には欠かせないのよ」
「魔術の帝国と、武力の王国か」
「そうね。王国の騎士団は強力。それに、今は王国も魔術は発展しているし、禁呪にも手を染めてるから厳しい戦いになるでしょうね」
十八歳で聖女として魔術師団を率いて戦場へ出る。
過酷な運命と言えよう。
だが、俺には関係ないし、そもそも関与もしない。
俺の任務はエルザを無事に送り届けることだ。
「お前を無事に送り届けるのが、俺の任務だ」
「そうよ。お願いね」
「じゃあもう寝ろ。テントを使え。俺は外で見張りをしている」
「うふふ、頼もしい騎士様ね」
「ただの殺し屋だ」
「……それじゃ、おやすみなさい」
エルザが身をかがめ、一人用のテントへ潜り込んだ。
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