第12話 殺し屋の夢

「そうだ! それだ! 上書きされて俺はどうなったんだ!」

「言ったじゃない。私に仕えることになったわ。よろしくね、ヴァン」

「誓約の内容は?」

「誓約の上書きだもの。対象が暗殺者ギルドから私に変わっただけよ」

「エルザに背いたら死か……」

「ちょっと! 暗殺者ギルドなんかより、私との誓約の方が良いでしょ!」

「どちらも変わらん。それに俺は人嫌いだ」


 ベッド脇の椅子に座るエルザ。

 姿勢を正し、真剣な表情で俺を見つめていた。


「ねえ、聞いてヴァン。あなたの血の誓約は上書きしたけど、実はもう一つ呪術がかけられているの。あなたの不運は恐らく呪術によるものよ」

「なっ、なんだと!」

「私は血の誓約の上書きで、ほとんどの力の使ってしまったの。だから、不運の呪術を解く力が残ってなかったの。ごめんなさい」


 エルザが頭を下げた。

 だが、別にエルザのせいではない。


「でもね、もし私の力を全て使ったとしても、あなたの不運の呪術を解くことはできなかったかもしれない。それほど強大な呪術なの」

「何者かにかけられた呪術ということか?」

「ええ、そうよ。人の手でかけられた呪術よ」


 なぜ俺に呪術がかけられているのだろう。

 それも不運になる呪術。

 誰がいつそんな強大な呪術をかけたのか。

 呪術をかける意味も、その意図も全く意味が分からない。


「だけど、帝国へ行けば、その呪術を解けるかもしれないわ」

「帝国で? なぜだ?」


 エルザの魔術は強力だ。

 エルザに解けないものが、帝国で解けるわけがないだろう。


「帝国の宮廷魔術師ルディ様なら解けるでしょう」

「宮廷魔術師ルディ?」

「千年に一人と呼ばれる大魔術師で、風の聖女となる春の祝福を与えてくださったお方よ」

「春の祝福?」

「祝福は聖女になる儀式よ」

「祝福? それは誓約と同じなんじゃないか? 運命を縛るものだろう」

「いいのよ。私は望んで受けたのだから」


 エルザの話は信じられない内容ばかりだし、一方的で証拠はない。

 だが、なんとなくエルザなら信じて良いという気持ちになっている。

 もしかしたら、新たな誓約のせいかもしれない。


「で、俺はこれからどうすれば良いのだ?」

「まだ二、三日はこのまま寝ていて。体が順応してないもの。体が慣れたら出発するわ」

「暗殺者ギルドへの説明は?」

「不要よ。体の順応が完了すると、血の誓約の効力を失ったことが相手側に伝わる。まずは、あなたが死亡したと思われるでしょうね。だけど調査が入るわ。なので、遅かれ早かれギルドから狙われるでしょう」

「最後の仕事を仲介したのはハルシールだ。ハルシールにも危険が及ぶのでは?」


 ハルシールがエルザに一礼した。


「エルフリーゼ様。この件において、私は可能な限り情報をコントロールいたします。ですが、ギルド内での立場もあるので、あまり……」

「もちろんよ、ハルシール。あなたの安全と命を最優先しなさい」

「はっ! ありがとうございます!」


 俺もエルザに視線を移す。


「帰国するということは、エルザも国家情報庁を抜けるんだろう? 俺と同じように狙われるのか?」

「ええ、そうね。私が消えたら色々と察するでしょう。私の魔術は強力だったし、禁呪の研究にも参加していたから反動も大きいでしょうね」

「反動……暗殺か?」

「もしかしたらそれ以上よ。だから、どんな手段を使っても私を狙ってくるでしょうね。それに、国家の行事に何度も出席したし、貴族どころか王族から求婚もされてたもの」

「エルザに求婚? それは良い趣味だな」

「ねえ、馬鹿にしてない?」

「するわけないだろう。新たな誓約の主だぞ? で、国家情報庁にはエルザが聖女だということはばれてるのか?」

「それは誰も知らないわ」

「エルザを帝国まで連れて行ったら、俺はどうなる?」

「自由よ。私が何もない空っぽの誓約を上書きして、本当の自由をあげるわ。そして、ルディ様に不運の呪術を解いてもらう。もちろん報酬も支払う」

「そうか。分かった」


 話が明確になった。

 俺の体調が良くなり次第、エルザを守りながら帝国へ連れて行く。

 帝国に着いたら俺の誓約は終わり、真の自由を得て金も貰える。

 さらに、不運の原因である呪術も解かれる。

 なぜ呪術がかけられていたのか、理由も分かるだろう。

 

「エルフリーゼ様。私はこれにて失礼します。そろそろ戻らないと危険なので」

「そうね。そうしなさい」

「エルフリーゼ様。どうか、どうかご無事で」


 ハルシールが瞳に涙を溜めていた。


「ええ、ハルシール。あなたもね。これまで本当にありがとう。全てが終わったら、絶対にあなたを帰還させるわ。それまで必ず生き抜きなさい」

「はっ! ありがとうございます! 必ずや生きて祖国へ戻ります」


 ハルシールがエルザを見つめ最敬礼している。

 そして、その視線を俺に移す。


「ヴァン。エルフリーゼ様を頼む」

「ああ、分かった」

「そうだ。念のために忠告するが、お前はエルフリーゼ様に背くと死ぬ。そして、その……なんだ……て、手を出しても死ぬからな。気をつけろ」

「いや、手は出さんだろ。俺は女に興味ないし、そもそもどう見ても子供だぞ?」

「ははは、ならいい。忘れてくれ」


 エルザの頬がふくれている。


「エルフリーゼ様?」

「もう早く行きなさい! 馬鹿ハル!」

「し、失礼いたしました。それでは失礼いたします」


 ハルが部屋を出ていった。


「で、聖女様。あんたは出ていかないのか?」

「旅の準備はしてあるのよ。だからあなたの回復をここで待つわ」

「お、おいおい」

「いいでしょう? それにあなたの主は私よ? 何か不満でも?」

「不満だらけだ」

「ちょっと!」


 女としばらく同じ部屋で過ごすことになってしまった。

 人嫌いの俺にとっては苦痛でしかない。


「あなた人嫌いなんでしょ? でも、これから帝国までは一緒だもの。慣れるためにも良い練習になるでしょ?」

「仕方がない。我慢しよう」

「が、我慢って何よ!」

「回復するまで世話を頼むぞ」

「はあ? あ、あなたね! 私が主よ!」

「存じ上げております風の聖女エルフリーゼ様。ですが、私は新たな誓約を課され心臓に負担が」

「もう、分かったわよ! 信じられない! この私が下僕の世話をするなんて! あなた絶対女性にもてないでしょう!」

「当たり前だろう。殺し屋だぞ? それに人嫌いだから関係ない」

「人選間違えたかしら……」


 エルザは怒りながらも、キッチンへ向かった。


「あなた好き嫌いとかあるの?」

「ない。そもそも味覚がない」

「そうだったわね。でも、あなたの不運の呪術を解けば治るわよ」

「は?」

「それにあなた、数々の拷問訓練でおぞましい怪我をしてるでしょ? 見てないけど古い暗殺者なんて皆そうだものね。でも、それも治るかもしれないわ」

「な、なんだと?」

「私が見たところ、あなたにかかっている強力な呪術を解けば、身体が回復するかもしれないのよ」


 暗殺者は、育成の過程で数々の拷問訓練を受ける。

 その中で最も激痛かつ残酷なのが、生殖器官の切断だ。

 当然ながら、麻酔なんてない状態で行われる。

 それでショック死する者たちは多かった。

 あまりにも死亡率が高いということで、現在はギルドで禁止されている。


 だが俺は人が嫌いだし、恋愛にも興味がない。

 別のこのままで良かった。


 だが、一つだけ……。

 一つだけ願いが叶うのなら……。

 俺には夢がある。


「エ、エルザ。その……聞きたいのだが」

「何よ?」

「み、味覚も……戻るのか?」

「ええ、きっと戻るわ。毒の耐性はそのままだから、お酒に酔わない体質までは変わらないけどね」

「酒なんかいい! 味覚が戻るんだな!」

「きゃっ!」


 自分でも驚くほどの大声を出していた。


「す、すまん」

「何よ急に。味覚はきっと戻るわ。安心しなさい」

「そうか。そうか……」


 俺は生まれてから、一度もまともな食事をしたことがない。

 幼少期に親が用意したものは、腐ったものだけ。

 常に飢えていたから自分で草花を食べていた。

 人買いに拾われてからは泥や汚物が混ざった食事。

 そして、暗殺の育成では毒入りだ。


 暗殺者になって自由に使える金ができた時には、毒の耐性訓練の影響で味覚は完全に失われていた。

 金があっても味覚だけはどうしようもない。

 だがこれも運命だと諦めていた。

 食堂で料理を食べても、泥を食べても違いは分からない。


 俺は一度でいいから、美味い食事というものを体験してみたかった。


「そうか。味覚が……戻るかもしれないのか」

「だから帝国へ行かなきゃね」


 そう言いながら、エルザがキッチンへ向かう。

 俺はふと頬に垂れる水を感じた。


「水?」


 まさか? 


「な、涙だと? 俺が?」


 エルザが振り返る。


「ん? 何か言った?」

「い、いや、なんでもない」

「ふーん。変なの」


 窓から入る優しい風が、エルザの髪を撫でるように揺らしていた。

 キッチンへ入り、見えなくなったエルザ。


 俺は窓の外を見つめる。


「風が気持ち良いな」


 優しい風は、まるで祝福を届けているようだった。

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