第二章 不遇な聖女

第13話 任務を開始する殺し屋

 初夏とは思えない強い日差しを浴びながら、俺たちはロデリック王国の王都ロデリーを出発。

 目的地はグレリリオ帝国の帝都アダン。

 俺の任務はエルザを無事に送り届けること。

 いや、任務ではなく強制だ。

 暗殺者ギルドの血の誓約を上書きされたことで、俺の主はエルザとなった。

 エルザを裏切れば死ぬ。


 抗おうにも今の俺にはどうすることもできない。

 やるしかない状況だ。

 とっととこの護衛を終わらせて自由を得る。

 そして味覚を取り戻す。


「新緑が綺麗ね」

「そうだな」

「でも日差しが強いわね」

「そうだな」

「風があって良かったわ」

「そうだな」

「ねえヴァン! もっと会話に興味を持ちなさいよ!」

「興味がないのだから仕方ない」

「全く……。こんな美少女と一緒に旅ができるというのに……」


 暗殺者として育てられた俺は、人に対して興味を持たない。

 いつ殺すか分らないからだ。

 それに俺は不運ゆえに人嫌いだ。

 人と関わると、ろくなことにならない。


 俺の隣を歩くエルザ。

 そういえば、まともに見るのは初めてかもしれない。


 光沢のある金色の髪は、腰に届くほど長い。

 聖女は髪の長さも重要だと聞いたことがある。

 身長は俺の肩ほど。

 すらっと伸びた手足に細い体。

 もっと食べるべきだ。

 まあまだ十代だし、これから成長するだろう。

 小さな顔は、俺の片手で潰せそうだ。

 一般的に整った顔だと思うが、俺にはその美的感覚がない。


「いいかエルザ。アダンまでの距離は徒歩で約一ヶ月。だがそれは毎日限界まで歩いた場合だ」

「馬車を使わないの?」

「ああ、馬車は暗殺が容易だからな」

「そうなのね。それじゃあ仕方ないわね」

「貴様の歩く速度、体力、休息日やトラブルを考えると二ヶ月は必要かもしれん。到着の時期は、夏の終りか初秋だろう」

「貴様ってやめてって言ってるでしょう! 私はあなたの主よ!」

「かしこまりました。エルザ様」

「あなたって実は嫌な奴なの?」

「俺に何を期待してるんだ。殺し屋に良い奴なんているわけないだろう」

「ぐっ、殺し屋のくせに正論を。もういいわ。とにかくエルザと呼びなさい」

「かしこまりました。エルザ様」


 エルザに向かって丁重にお辞儀をした。


「というか、あなたなんでそんなに身軽なの? 旅に出るのよ?」


 俺は肩掛けカバンに旅の荷物を入れている。

 殺しの道具を持たない主義の俺は、少しの着替えと応急セット、そして路銀だ。


 これまで貯めた金貨は全て王国の銀行に預けた。

 他人の名義を使っているので、ばれることはない。

 王国内の同一銀行であれば、どこでも引き出すことができ、帝国の支店でも出金可能だ。


「エルザの方がおかしい」


 エルザは、旅に適した動きやすい服を着ている。

 左手に日傘。

 そこまでは普通だ。


 右手に大きな革製の手持ちバッグ。

 背中には大きなリュックを背負っている。

 女の荷物は多いと聞くが、多すぎるではないだろうか。


「ねえ、これ重いんだけど?」

「大変だな」

「重いんだけどっ!」


 エルザを無視し歩く。

 すると、エルザが大きな溜め息をついた。


「ヴァンさんはか弱く美しい少女が、こんなに荷物を持っているのに何もしてくださらないのかしら。殺し屋に騎士道精神はなくともレディを」

「ちっ、うるさい。よこせ」

「うふふ、ありがとう」


 エルザが優雅にお辞儀をする。

 さすが聖女だ。

 佇まいだけは美しい。

 佇まいだけは。


 エルザの荷物を手に持つ。


「ん? 軽くないか?」

「魔術で軽くしてあるもの。私は空気を操る風の聖女よ?」

「じゃあ」

「じゃあ? 何?」


 自分で持てと言いたかったが、どうせまた文句を言われるので黙る。

 エルザは日傘だけ持ち、軽やかな足取りで歩き始めた。


「それにしても、呆れた能力だな」


 俺は呟きながら、エルザの後ろを歩く。


 ――


 空が赤く染まり始めた頃、宿場町に到着。


「さあ、宿に泊まるわよ」

「エルザ、金を持ってるのか?」

「あ、当たり前でしょ! 本国からの予算と、潜伏先の国家情報庁から給与があったもの。あなたこそ持ってるの?」

「金を貯めることが生きがいだったからな」

「寂しい生きがいね」

「そうだな」


 ただ増えていく金貨だけが心の拠り所だった。

 増えていく金貨を見ることで、生きていることを実感する。


「まあこれからしばらくの間、あなたの生きがいはこの私よ。素晴らしいじゃない」

「ちっ、最悪だ」

「何か言った?」

「いえ、エルザ様」


 さっそく宿へ行き、宿泊の手続きをして銀貨を支払う。

 一階が食堂で、二階が宿泊施設のオーソドックスな宿だ。

 部屋に荷物を置き、食堂で夕飯を注文。


「あら、これ美味しいわね」

「そうか」


 俺には味覚がない。

 そのため何を食べて同じだ。

 だが、味覚以外の感覚は残っている。

 俺たちを探っている不審な気配を感じた。


「エルザ。猫が一匹迷い込んだようだ」

「え! そ、そうなのね。ど、どうするの? 保護する?」

「今は放っておいても問題ないだろう」


 これは予めエルザに伝えていた隠語で、猫が国家情報庁、犬が暗殺者ギルドだ。

 たった今食堂に入ってきた一人の男。

 雰囲気から国家情報庁の諜報員だろう。


 俺一人なら追跡されることはないが、諜報員はエルザの痕跡を辿っている。

 だが、それを承知で護衛だ。

 特に気にしない。


 エルザに目を向けると、かなり動揺していた。


「落ち着け。いつものように振る舞うんだ」

「え、ええ。分かったわ」


 俺たちが飯を食い終わると、諜報員は姿を消した。

 今日は様子見だろう。


「エルザ、帰ったぞ。安心しろ」

「そうなのね。ふうう。良かったわ。緊張しちゃった」


 エルザが右手をかざすと、僅かに風が起こった。


「すっかり忘れてた。悪戯な風ルマート


 すると、突然周囲の音が極限まで小さくなった。


「な!」


 驚く俺に、エルザが笑みをこぼす。


「周囲の音を少し聞こえるように調整して、こちらの音は外部に漏れないようにしたわ。これで何を話しても平気よ」


 完全に無音は危険だが、これなら周囲の気配を探ることはできる。


悪戯な風ルマートという風の魔術よ。荷物を軽くしたのもこの悪戯な風ルマートなの」

「エルザの魔術があれば、護衛などなくとも一人で帰れただろう?」

「昼夜問わず常に警戒なんて無理よ。それに少女が一人旅なんておかしいでしょう? 大人がいないと都合が悪いのよ」


 確かにいつ襲撃されるか分からない状況は、精神的にも肉体的にも追い込まれる。

 食事や睡眠なども安心できない。

 そしてエルザの言う通り、子供の一人旅だと宿を借りることも苦労するだろう。


「そういった理由から、あなたに護衛してもらおうと決めたのだけど、あなたの呪いを解くのにほとんどの力を使ってしまったの。血の誓約は想像以上の力だったわ。だから今は僅かに空気を操る程度しか使えないのよ。完全に回復するまで半年はかかるでしょうね」


 エルザが紅茶カップを手に持つと、風で湯気が揺れていた。


「大体ね、こんな美少女が一人旅なんてあり得ないもの。それこそ不審に思われるわ」

「美少女ね」

「何よ!」

「俺は……そういった美的感覚が鈍いようだ」

「ふーん。そうなんだ。可哀想に。じゃあ、世間でいう可愛い、美人、清楚、可憐っていうのは私のことだと思いなさい」

「これから勉強する」

「こんな美少女と旅ができるなんて、ヴァンさんは幸せね」

「俺の異名を忘れたのか?」

「な、何よ! 不運だって言うの!」


 頬を膨らまして不満を表現するエルザ。

 この仕草も可愛いのだろうか?

 分からんが、触れない方が身のためだ。


「あの諜報員はこれから俺の存在を調査する。判明は早くて一週間。その頃には暗殺者ギルドからの刺客も来るはずだ。まあ想定通りだ」

「大丈夫かしら」

「そのために俺を雇ったのだろう?」

「うふふ、頼もしいわね」

「明日も早い。もう寝ろ」


 俺たちは二階の宿泊部屋へ移動。

 個室を二部屋取ってある。


 部屋に入り、ソファーに腰掛け目を閉じた。

 俺はいつでもエルザの護衛ができるようにしているし、そもそも職業柄、深く寝ることはない。

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