Ep.0.5 蠢く影 跋扈する闇
――ゴギュン、ゴギュン。
時は遡り、舞台は静まり返った港町に移り変わる。
そのはずれ、使われなくなった
それらはまるで心臓のように脈動し、装置の中に浮かび上がる肉塊が、ゴギュンと音を立てる度に大きく膨張する。
装置の中に浮かんでいる肉塊は、無色透明だった。
血液のようにどす黒く、管を流れていく肉片とは対照的に、それは形が一定しない透明なゲル状の身体を持ち、体内に埋まった大量の“目”を不規則に開閉させながら、自身の体が完全となり、暴れ回る時を待ち望んでいた。
「おーおー、順調じゃねェか。……おい、今何パーだ?」
怪物の身体が完全な異形の姿を成すまで、しばらく時間がかかる。
その間、工場内に漂っていた静寂を切り裂くように、ドスの効いたしわがれ声が響いた。
彼の喉は若くして酒に焼けていた。
声の主である少年は装置の前に立ち、怪物の製造工程を見上げながら、部下の研究員に進捗を訊いた。
「クフフッ…………。今は89%でございます、
といってもその部下は、彼よりも圧倒的に年上であった。
無精髭を携え、白衣を纏った初老の研究員は、少年を宥めるようにそう言った。
「へへッ、そうかよ! てめェ、中々イイこと言うじゃねェか! 気に入った!」
対して
――初老の男と同じ研究員らしき風貌で、怪物の製造に臨む赤城の部下たちは、この場に何人もいる。
しかし初老の男は、彼らよりも遥かに優れた技術を持ち、果てには赤城よりも狂気じみた熱意を持っていたため、赤城に目をつけられ、この怪物の製造を任されていた。
「それはなんともありがたきお言葉。……お時間を頂き、本当に感謝しております。しかしこの試作品が完成した暁には、こやつはもう赤城様のもの。――我が研究の成果、存分にお楽しみください」
「はッ、頼もしいこった。……しっかしてめェ、案外面白いこと考えるじゃねェか」
「……面白い、と申されますと?」
「けッ、分かってるクセによ。……生きてる肉でも、死体でも構わねぇ。とにかくバケモノは自分の体を維持するために人を喰い続けるから、アイツが飢えてる限りはいらねぇ人間どもがバンバン減りやがる。その発想が、とっても愉快でたまりません……って話だよ」
「ククッ……。ありがたき幸せで御座います、赤城様。しかし我らが目指す“楽園”を作るためには、この程度の犠牲は必要でしょう。資格なき人間どもを殲滅し、選ばれし者が立つ地の礎を作る。それが、我らに与えられた使命なのですから」
「……ああ、そうだな。俺たちはあの人に選ばれたんだ。そして、あの人の期待に答えることが、俺たちの使命。……オッサン。この実験だけは失敗すんなよ」
「――ええ、それは私もよく存じております。この計画を成功させるために、私はここにいますので」
そして両者は、共に気味の悪い笑みを浮かべながら、不穏な会話を交わしていた。
「しかし、この試作品には、少々問題がありましてな。……それが、この怪物を飢えさせ過ぎると、私たちにも牙を剥きかねないことです。まだ実験段階ですので、こちらの調整も必要になりますが……赤城様なら、上手く扱いきれることでしょう」
「へェ、問題を抱えた試作品を押し付けられるたぁ、俺も随分買い被られたモンだな。……だったら、期待に応えてやるよ。ただし、これが俺様でも手に負えねぇガラクタだったら、そん時は容赦しねェ。……そうなったらてめぇが責任取れよ?」
「……ククッ、もちろんでございます。ですが、我らにはあの人が付いておりますゆえ、こやつが使えぬ
「へぇ……」
だが、その会話も徐々に雲行きが怪しくなっていく。
そのため、赤城は皮肉も交えて緊急事態が起きた時の処遇を軽く仄めかしたが、しかし当の研究員は『そんな事態が起きることなど有り得ない』と、高を括った様子で小さく笑っていた。
……彼らがそんなことを話している間も、装置の中で肉塊がゴギュンと音を立て、小刻みに肉片を吸い込んでいく。
その脈動が、工場に流れる静寂を掻き乱していた。
そして、ある時。
ゴギュン――。
装置の中に浮かび上がる透明な肉塊が、いきなり蠢き始めた。
言うなれば、まるで胎動だった。
「おーおー! そろそろじゃねェか、オッサン!? 楽しみだぜ…………! 待ちに待った人間の蹂躙ッ!」
怪物の胎動に、赤城は興奮を抑えきれない様子で装置を見上げる。
「…………赤城様。念のため申し上げますが、この実験体はまだ未調整で――」
そんな赤城の様子を遠目から見ていた、部下の研究員の一人が忠告を入れる。
さしずめ、怪物へひどく陶酔した様子を見せる赤城に、危なげな印象でも抱いたのだろう。
しかし。
「――チッ、いちいちうるせェな」
「……! ですが、赤城様――」
「……聞こえなかったか? うるせェって言ってんだよ! 調整だのなんだの、んなくだらねェことばっかうだうだ言ってるから、てめえらはいつまで経っても面白くねェんだよ! いいからさっさとこいつを動かして、何ができっか見せてみろッ!」
「ひぃっ!?」
当の赤城は研究員が紡いだ言葉を遮り、一喝した。
赤城の一喝で、研究員たちは動きを止めた。
まだ完全な形を成してはいないものの、これから完成された姿へ変化しようと蠢く怪物の姿に魅入られた赤城の好奇心は、もう留まることを知らなかったのだ。
「――てめェらには分かんねえだろうけどよ。……死神の力を持って生きるってのは、大変なんだぜ?」
「「…………っ!」」
そして、彼らは赤城の言葉に息を呑んだ。
「どれだけ強ェ力を持ってようと、行使できなければ意味がねぇ。俺は潜入任務のせいでその力が行使できねェ状況下にいるから、普段暴れられねェ分、このバケモノが大量のザコ共を喰らう姿でストレス解消するくらいしか発散手段がねェんだよ! なァ! 分かるか!?」
「ひっ…………! 申し訳ありません!」
「申し訳ありません! わ、分かりません……!」
「だから早く動かせって言ってんだよ!」
「「ひィっ…………!」」
赤城の放つ気迫と、剣呑な雰囲気を孕んだ発言に、研究員たちは気圧されていた。
しかし、そんな一触即発の空気に流されることもなく、やがて初老の研究員が口を開いた。
「……承知しました。では、ご命令通り、試運転を開始いたします」
と。
「「なっ!?」」
その発言に、研究員たちは驚愕した。
「よろしいのですか!? 最終調整が必要だと仰ったのは所長でしょう!?」
だが、所長と呼ばれた初老の研究員は、大きく歯を見せて笑っていた。
それは、彼が赤城に恐怖したからではない。
彼が赤城の思想、言動、主張に深く共感していたためである。
「いいんだよ。……赤城様ならば、この暴れ馬も乗りこなせる。…………私には、そんな気がしてな」
初老の男は何の根拠もない自信を胸に、制御装置についていた作動スイッチを押した。
瞬間――装置の中でうごめいていた透明な肉塊が、一際大きな音を立ててその形を膨張させた。
怪物の身体が膨張したことで、タンクに亀裂が入る。
そして。
――ゴギュオオオオオオオオオオッ!!
咆哮が上がると共に、タンクが決壊した。
壊れたタンクからは津波のごとく培養液が流れ出し、装置から解き放たれたその肉塊は、ついに形を変え、本来予定されていた姿へと変貌していた。
透明な肉塊が蠢き、触手が伸び、体内に埋まっていた無数の目が一斉に開いたことで、その怪物は完成体として君臨していた。
といっても、あくまでこの怪物は試作品だ。
「うおおおおおおおおおッ!! ……来やがった! これだよ、これ……! 最高だぜ……ッ!」
怪物の体内に埋め込まれた、まだ世界を知らぬ無数の眼が、ゆっくりと開き……ぎょろぎょろと動き始めたことで、赤城は怪物プロトタイプの誕生に歓喜の声を上げた。
一方、研究員たちは険しい面持ちで震える手でモニターを操作し、怪物を注視していた。
「――ッ!」
モニターから漏れる微かな光を浴びながら、怪物は呻くように身をよじらせる。
その光景を、赤城は恍惚とした様子で眺めていた。
それでいて、赤城の発する荒い息遣いが、怪物が身じろぎすることで生まれる、ヌチャヌチャとした粘着音に上書きされるように消えていく。
「はあ……はあ……っ! ふははッ……! さあ……これでようやく、俺たちの楽園作りが始まる! せいぜい楽しませてくれよ、バケモノッ!」
そして。
そんな赤城の声を認識したのか、怪物の目はまるで赤城や研究員たちを見下ろすように一斉に下を向いた。
「「ひィィッ!?」」
研究員たちがそれぞれの身を抱き合って恐怖に怯える中、赤城だけは異形の怪物が持つ大量の“
「へっ…………こいつが飢えた時にゃ、俺たちだって喰われかねねェ、か…………。面白え――!」
赤城はポツリと呟いた。
ゴルゥオオオオオオオオオオオッ!!
しかし、その言葉は夜の静寂に溶け込むこともなく、怪物の咆哮に掻き消されていた。
放棄された廃倉庫を占領し、不可解な技術で造られた装置でただ化け物を製造し、それを望まぬ生命として垂れ流すように生み出す輩どもは今、彼らが抱くその目的の第一歩を踏み出してしまったのだ。
「思う存分、俺たちの楽園のために暴れてくれや、この世界の救世主サマよ。……で、おい、輸送係! お前はいつまでモタモタしてんだ!? 聞いてんだろ、オイ! 早く来やがれ!!」
そして赤城は、最初の目的である『完成した怪物の動作テスト』に必要な人材を呼びつけていた。
しかし、彼の言う“輸送係”はまだ来ない。
「出番だっつってんだ! さっさと来いよ!!」
そんな輸送係の不在に苛立ち、赤城は倉庫の奥へ怒声を飛ばしていた。
「……はい」
すると、暗闇から少年が姿を現した。
「遅れて申し訳ありません。……しかし準備は整っています。運びますか?」
彼は怯えた様子で小さくそう訊いた。
「当たり前だろ! さっさとやれ!」
対する赤城は苛立ちを隠そうともせず、少年を押しのけながら言った。
「……っ、申し訳ありません。…………では」
また、輸送係と呼ばれた少年は、赤城に突き飛ばされながらも……
彼に謝罪し、震える手を掲げた。
すると、空間が悲鳴を上げるようにひび割れ、彼らの目先にあった空間に、黒い裂け目が現れた。
裂け目の奥には、何もない空間が広がっていた。
「早くコイツを送り込め!」
赤城の怒声が響くと共に、裂け目はさらに大きく広がった。
裂け目が広がったことで、空間全体が軋むような音を立てた。
少年は全身に力を込めた。
少しでも気を抜けば裂け目は一気に閉じようとするため、それを維持するにはかなりの体力を消耗する。
それでいて、今回は通常よりも広がった裂け目を維持し、自分の身体の5倍以上もある巨躯を持つ怪物を収納しなければならない。
これだけの大仕事をこなすには、かなりの根気が必要だった。
閉じようとする裂け目を維持し、無理やり広げようとする度に、まるで掌が焼かれるような激痛に見舞われる。
裂け目の奥からは黒い霧のようなものが滲み出し、周囲を包み込んでいく。
彼の額には、いつの間にか大量の脂汗が滲んでいた。
しかし、それだけの苦痛に苛まれてもなお、彼は手を止めることができなかった。
一度でも手を止めたら、赤城に何をされるか分からないからだ。
一方、そんな空間の裂け目を見た怪物は、好奇心を示しながら、ゆっくりとその巨体を引き摺って、闇の中に近づいていく。
「……ククッ、面白くなりそうだぜ!」
裂け目の中に怪物が吸い込まれていく様子を、赤城は笑いながら傍観していた。
怪物が裂け目の中に入り、完全に姿を消すと、ゆっくりと裂け目が閉じた。
それを見ていた赤城は拳を震わせ、興奮を抑えられない様子で言った。
「いよいよだ…………っ! いよいよ俺たちの楽園作りが始まる……ッ!」
と。
少年は青ざめた顔で裂け目が閉じた場所を見つめていた。
彼の胸中には恐怖と後悔の念が渦巻いていた。
しかし、その感情を言葉にすることはできなかった。
「次は俺たちの番だ! 早くしろ!」
赤城は能力を使ったことで息を切らしている少年に、有無を言わさず次の裂け目の生成を指示していた。
「…………っ。はい」
対する少年は、赤城たちに逆らうこともできず、ただ頷くことしかできなかった。
――もし、自分がこの場を逃げ出すことができたなら。
それができたら、どれだけ楽だったことか。
ふと、少年の脳裏にそんな淡い期待が浮かんだが、しかし少年はそんな期待を持つだけ無駄だと、自身の感情を押し殺した。
「早くしろって言ってんだろ!」
そして次の瞬間、赤城の怒声が少年の葛藤をすべて打ち砕いていた。
少年はただ赤城に従うことしかできなかった。
――Ep.0.5 【蠢く影、
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