cool beauty
「それで、昨日はどれだけ進んだの」
大学の食堂に併設されてあるバルコニーの一席で、斜向かいに座る男女。
そのうちの一人、陽介はもう一人の女性に刺すような視線を向けられ続けており、息も絶え絶えな程追い込まれていた。
視線の主――
「いや、それがさっき言った通りで…」
「よく聞こえなかったから言ったんだけど」
「昨日は酔いすぎて気付いたら家に居たので全く覚えがないです」
「はぁ…」
昼下がりの食堂の喧噪を貫く程冷たいため息が、陽介の鼓膜さえも凍えさせる。
思わず首を竦めた。
「貴方がサークルに気になる人が出来たっていうから相談に乗ってあげてるっていうのに、さっさと押し倒すくらいの事しなさいよ」
「貴方の恋の進展はあれみたいに動かないわね」
理沙は人差し指をぴんと突き立てる。
指の先には正午を迎えて真上に昇ってきた太陽があった。
「だって、結城さんと理沙じゃタイプが全然違うんだよ」
「タイプが違っても女の子がされて嬉しい事なんて決まってるわよ」
「へぇ」
理沙が自信満々、といった表情で語り、両耳のイヤリングが揺れる。
「確かに、理沙は男ってより女にモテそうな感じするもんな」
「そう? まぁそうだとしても今はそれが悩みの種になってる訳なんだけれど」
ぼやきながら、プラスチックの容器に詰まっている、抹茶ラテを口に運ぶ。
理沙を一言で表すなら『男勝り』で、その物怖じしない性格と真っ黒なミニボブと端正な顔立ちで、高校生の時に告白された人数の九割は女子であったという逸話を持つ。
しかしそのサバサバとした気質に世の男子大学生がときめくはずもなく、一向に彼氏ができないらしい。
「やっぱり俺がお前の相談に乗った方がはやいだろ」
「? なんでよ」
「いや、理沙って綺麗な顔してるから本気で探せば彼氏の一人や二人見つかるよ」
「…それをその先輩にすらっと言える様になったらいいのにね」
「すみませんでした」
依然陽介を睨みつけるその凛とした顔つきからはお世辞にも可憐さや儚さは微塵も感じ取れず、むしろ可愛いと言われることを拒絶しているように見えた。
俺が女子だったら惚れてたんだろうなぁ…
理沙が着けていた腕時計を除き、はっとする。
「あ、もうこんな時間。 じゃあ、私次の授業行くから」
「あぁ、また今度飲み行こうな」
理沙は何も言わず手を振り、去っていった。
それにしても、これ以上進展する気がしないなぁ…
結局昨日も結城さんに起こしてもらえなったし。
いや、起こしてもらったけど覚えてない可能性もあるのか。
昨日のことを出来るだけ思い出してみよう。
確か忘年会中にたくさん飲まされて、急に眠くなって、結城さんが…あれ、これ夢だっけ?
体中が熱くなる。
あの時、熱を測りに来てくれた結城さん。
可愛かったなぁ…
自然と、口元が緩みだす。
「なに気持ち悪い顔してんの」
いつの間にか背後に理沙が立っていた。
「あれ、理沙? どうした?」
「あの、さっき言ってた飲みに行くっていう約束さ…」
思った事をずばっと言い放ち時々空気を悪くすることもある理沙にしては珍しく、あからさまに言い辛そうな雰囲気を醸し出している。
もごもごと動かしていた唇を開け、意を決したような目を作った。
何を言いだすんだ…?
「あれ、今日にしない?」
◇
「はぁ、陽介の馬鹿…」
ただでさえこれから面倒な授業だというのに、更に気が滅入る。
俯いて進んでいると、前の方から楽しそうな話し声が聞こえた。
蕩けるような猫撫で声。
理沙が高校時代嫌という程体験した、女性が甘える時の声色だ。
前を見ると、軽い足取りで進みながら、携帯電話を右耳に押し当てる女性の姿があった。
「あ、結城先輩だ」
陽介から度々写真を見せられていた理沙は思わず身構えた。
暖かそうな灰色のマフラーに、真っ黒なロングコートを羽織っている。
その唇には、今までの写真では見たこともない程鮮やかな口紅が塗られていた。
ただ大学に来るだけにしては明らかにやりすぎな化粧が目に入り、理沙は好奇心で詩織の話し声に耳を澄ませる。
「だから、次から家に来るときは事前に連絡寄越して下さいね?」
「今度また飲みに行きましょ、京夜先輩。 もちろん二人で!」
よほど嬉しいのか、近くで聞き耳を立てている理沙には目もくれず、あっという間に去って行ってしまった。
京夜先輩…? 聞いたことない名前ね。
でもあの人が先輩ってつけるくらいだろうから、陽介の入っている映研サークルの五回生か卒業生かしら。
理沙は色々と思案を巡らせるも、如何せん情報が少ないので、結論が出る事はなかった。
しかし、はっきりとしていることが一つだけある。
「あの人は辞めといた方が良いわ」
先程のあの表情を見て理沙は一瞬で察した。
完全に惚れている。
なんの進展もない陽介にどうにかできるような恋敵では無いのは自明だった。
はぁ、さっさと積極的にアピールしてればこんなことには…
頭の中で阿保面をかましている陽介に一発蹴りを入れた。
「伝えないと…」
あの人に本命がいる事。
そして私の彼氏探しを手伝ってもらう事。
さっきまで進んでいた道を戻ろうとするも、鉛のように足が動かない。
今から授業なのに、なんでこんなこと…
なんとか足を引きずりながら、年甲斐もなく顔をくしゃくしゃにして微笑む陽介に告げる。
「さっき言ってた飲みに行く約束。 あれ、今日にしない?」
刹那、辺りがほんのりと暗がりに包まれて木枯らしが吹き抜けた。
震えながら見上げると、太陽に分厚い凍て雲がさしかかっている所だった。
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