第2話

 カルヴァルが七歳の冬のことだった。

 雪深い首都ラスタリアの王宮で何不自由のない生活を送っていたカルヴァルは、中学校教育相当までの王族基礎教育の時間を終えると、いつものように大好きな艦のことを教えてくれるカリッツァー退役提督に即効性のある召喚状を出して呼び出し、海図や機密扱いの設計図を広げて楽しんでいた。並みの七才児は知ることのない知識をどん欲に吸収する姿にカリッツアーの言葉にも熱が籠り、子供相手だというのに専門用語を用いて話をしカルヴァルはそれに質問を交えてゆく。海軍大学と同じくらいの熱がそこに輝いていた。

 いつも通りの楽しい時間に新任メイドのアレハンドラが急報を手に慌てて室内へと駆け込んできたのだった。

 王族はどんな難しいことでも周知しておくべきであるとの王命によって、幼い皇太子や幼い姉妹にも同じ文面が届けられていた。もちろん、その内容に心を痛めはしたが、なにせ子供故に出来ることは少ないと家臣に諭されたものがほとんどのなか、カルヴァルはその文面に書かれていることの正確を記すために、カリッツァーにそれを見せ内容を理解しやすいように説明せよとせがんだ。


「殿下、これはですな、カロロース諸島で大きな火山が噴火したと記されております、あの島には大きな活火山がありますが、長いこと噴火をしておりませんでしたのに……」

「どのあたりなの?」

「そうですなぁ、海図上ですとここですな」


 広げられた海図でサンゴ礁にぐるりと囲まれた島をカリッツアーは右手の指先で示した。カルヴァルはアレハンドラに壁の本棚から百科事典を持ってこさせて、その島のページを探してゆく。風光明媚で気候もよくバカンスに向いた土地と書かれ賑わう街の写真が載っていた。カルヴァルが大好きな温泉も数多く湧いているとも記されている。


「大勢の人が遊びに行くとこ……保養地ね」

「そうでございます、ですが、今回はちと大変なことになったようでございます」

「どういうことなの?」

「そうですなぁ、これは……」

「私にも分かるように教えて!」


 甘え上手の第三王女はカリッツアーの膝の上に素早く移動して、老提督を好奇心いっぱいの目で見つめる。その姿に好々爺の顔をしたものの内容を伝えてよいか迷っているのを察した王女殿下は更に言葉を繰り出して教えを乞うひと言を添えてみた。

 もちろん効果は抜群である。

 向けた相手は完全な好々爺に成り下がった。


「言いにくいことでございますが、我が国で史上最大とも言うべき大きな火山の噴火のようで……かなりの被害が出ていると書いてございます。空港も港も海軍基地は機能を消失しているようで、混沌とした状況であるようです。救助に向かおうにも火山から流れ出た溶岩が海の上を埋めてしまうほどに漂っているようでして……」

「溶岩はどろどろの赤いやつね、でも、石になってしまうから沈んでしまわないの?」

「おお、良く勉強されておられますな、しかし軽石というものがございます。これは水に浮くことができるものでして……。ですが、こうなりますと救助には大変な時間がかかるでしょうなぁ」

「どうして?」

「殿下、この石は大変軽く小さくなることがございます。艦で冷却のために取り入れる水のフィルターやスクリューを痛めることもございます。なによりサンゴ礁に囲まれておりますと海流の流れが穏やかになってしまって滞留を招きますが、そのまま外洋に放出しますと、それはそれで問題が多く起こります……」

「助けを望む人は沢山いるのよ、本には沢山の人が来ると書いてあるわ」


 カリッツアーは悲痛な面持ちで深く頷いた。


「ええ、海軍も対応を必死に考えておりますでしょうが、取り除かぬことには……」

「怪我をした人が溢れているに違いない」

「そのとおりでございます……」


 膝の上から降りてカルヴァルは王宮の窓によると外を眺めた。

 王都は煌々と灯りがともっており王都の先にある海軍基地も輝かんばかりの眩しさで光っていた。心の中で現地を想像してみる、火山が大きな音をあげて、町は火に包まれて、逃げ惑う人達が行く当てもなく右往左往するさまが浮かび、幼い心は引き裂かれそうなほどに辛くなった。悲しい表情をしたためかアレハンドラが寄り添うようにそっと隣に立ち、カルヴァルはその温かな手を思わずギュッと握った。


「潜水艦では行けないの?」


 何かを思いついたようにカルヴァルはカリッツアー振り向いてそう言った。


「潜水艦でございますか?」

「うん、二日前に[さようなら]をしたあの大きな潜水艦、あれなら荷物を積めない?」

「「900-1」潜でございますか……」


 二日前、海軍好きのカルヴァルは国王の名代として「900-1」潜の退役式典に参加した。幼いながらに国王が簡素に書いた文を一言一句間違わずに読み上げ、艦内の隅々まで見学して奥の奥まで入り込み油にまみれた。

 艦橋外殻に油性ペンで記念の悪戯として「カルヴァル」と名前を記し、付き添ってくれた中年の艦長がそれを見て「これはこれは殿下の艦として余生を過ごせますかな」などと冗談を言ってくれたものだ。


「あの艦は、従来の筒形ではなくミサイルボックスタイプでしたから、撤去された今は大きな船倉のようなものではございますが……」


 「900-1」潜の艦首から艦橋までの長い部分にはミサイルが収められていた。筒形の発射管ではなく、数多くのミサイルを選択できるように長方形のミサイルボックスを束にして嵌め込むタイプのものである。退役のためミサイルはすべて取り外されているのでぽっかりと船倉のような大きな空間ができ、旧式設計ゆえにミサイル補充用の組み立て式クレーンも搭載されていた。


「提督、作戦を立てて」


 それは子供の声であるはずなのにとても厚みを帯びた言葉だった。そう、カルヴァルが確かに王族の血筋なのだとカリッツアーを納得させるほどの力強さを伴っている。


「命令でございますか?」

「うん。こんなこと私しか考えないはず、潜って浮上して物資を渡すのよ」

「ほう、子供の考えだけではなさそうですな」

「子供の考えよ、言うだけ言って丸投げだもん」


 カルヴァルは目を輝かせやがて残念そうにそう言って、自分の頭に思い描いている幼いと認めた着想を熟練の退役提督に語り始めた。

 

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