ショートショート練習帳

今川青飛

坂の女

「山の麓まで乗せてください。お前が死ねば良かったのに……あっ、すみません」


 深夜。つづら折りになった坂道の途中で私は女を乗せた。

 女はタクシーに乗るなり、夜の山道で拾った女が言うべきセリフの最初と最後を同時に言った。フロントガラスのメーターが『賃走』に変わる前の出来事である。

 それでも私が女を乗せた理由は二つあった。ひとつはその女を拾った場所が坂道をほとんど下りきったところだったこと、もうひとつは『出る』と分かった上で車を流していたからだ。


「寒いですね、運転手さん」

「ええ」

「……あの時もちょうど同じ季節でした。雪深い山道を私は彼の車に乗って走っていました。カーブにさしかかったとき、車は凍った路面に足を取られてガードレールに突っ込みました。私は死に、彼は生き残りました。どうして……? どうして私だけ。お前が――」

「お客さん着きました」

「…………」


 女は口をつぐんだまま初乗り運賃を支払い、元来た坂の上へと歩きはじめた。これで私が女を乗せたのはちょうど五十回目ということになる。

 しかし今のは危なかった。もう少しで言い終えるところだった。

 私は県道をUターンして街灯のない山道をのぼると、たばこをひとつ吸ってハンドルを握った。


「麓まで」

 再び後部座席に乗り込んだ女は、その手にメモを持っていた。そして何度か深呼吸をして紙面に書かれたセリフを早口で読み上げはじめた。

「寒いですね」

「着きました」

「どうして……?」


 それはあんたが読み上げるまでに時間がかかったからだ。

 幽霊に人間味を感じるというと妙だが、生前は天然な性格だったのだろう。女は何度も首をかしげながら所定位置に戻った。

 最後に私が車を女の前に横付けしたとき、女はこんなことを頼んできた。


「もうちょっと坂の上から乗せてもらえませんか?」

「それは無理だ。あんたを最初に乗せて私が事故死したのはこのカーブだからね。これ以上先には戻れない」

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ショートショート練習帳 今川青飛 @imagawaaoto

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