Marionnette;Triad ~人形の夢世界~ ティアの章

青ふで

プロローグ 遠い日の記憶

 わたしは何をしているのでしょう。

 いつも同じことの繰り返し。

 わたしは一体何なんでしょう。

 そんなことを考えながら部屋の上部にある唯一の小窓から月を眺めていました。


 その部屋は普通ではありません。

 コンクリートが剥き出しの壁と床。鉄の扉。そして小窓には鉄格子。

 部屋は薄暗く、頼りになるのは月明かりだけでした。

 腕と足は鎖に繋がれていて自由に動かせません。はずそうとしても、動かすと金属のぶつかる音がするだけ。人の腕力ではどうにもなりません。


 やがて、どこからか聞こえてくる微かな呻き声。

 それが獣のものなのか、人間のものなのか、あるいは、ただの風の音なのか。

 判別できませんが、これはいつものこと。だからこれくらいのことは既に慣れています。慣れてしまっています。とりわけ恐怖はありません。


 ですが、今日はいつもと何かが違うようでした。

 何か、……

 そう、外の様子です。


 いつもはわたしと同じような小さな子供の叫びが聞こえるだけなのに、何故か今日は大人の叫びも聞こえてくる。まるで何かに襲われている時に発する恐怖を訴えるような叫び。


 今までとは違う状況に不安になりました。

 今まで一度もなかった状況に恐くなりました。

 数日間同じの部屋に閉じ込められていた名前も知らない子供を呼んでも、何も返事はありません。


 もう一度、呼んでみました。

 やはり、どこからも返事はありませんでした。

 何度繰り返しても結果は変わりません。


 当然のことでした。今ここにいるのは、ここに残っているのは、もうわたし一人だけだったのですから。


 聞こえるのは外からの叫びだけ。

 心臓が早鐘を打つ。息がどんどん荒くなる。

 どのような痛いことにも耐えてきたけれど、それができたのは自分と同じような子供が側にいたから。


 でも、今はいません。

 自分がひとりなのだと分かったその時、ついに恐怖に耐えきれなくなりました。

 ただ一人の小さな子供として声をあげて泣くことしかできませんでした。


 ──すると鉄の扉が突然破壊されたのです。


 眩しい、真っ赤な光が入ってくる。

 目が熱い。息がしづらい。


 直後、誰かが入ってくる。

 その人物の姿は後ろの真っ赤に燃え盛る炎によって影となりよく見えません。


 その影はわたしに向かって近づいてきます。

 そして、影はわたしに対して声をかけました。

 それは今までの声とは違いました。


 今までの大人は冷たく感情のない声でした。

 でも、これは違いました。はっきりと見えなくても確信を持てます。


 ここに来た人はいつもとは違う人だ。

 その声はとても暖かくて優しい声でした。

 懐かしく思えるほどの人間の声でした。

 

『安心しろ。今、助けてやるからな』


 わたしはその言葉の意味をすぐに理解できませんでした。

 そしてわたしはその影に抱きかかえられ、その影の顔が近づく。

 その影は、その男の人は声と同じように優しい目をしていました。



 ──これが今までのわたしの終わり。

 しかし、それは同時にこれからのわたしの始まりを告げていた。


 悪夢のような現実。

 絶望が希望へと変わろうとする瞬間。

 決して忘れてはいけない過去の終焉。

 思い出す。あの人が言ってくれた言葉を。


『大切な人を助けるのに理由がいるのかよ。俺は自分の命に変えてでもおまえをここから連れ出してやる』


 もし自分の大切な人が絶望の淵に立たされているとき、あなたはその人のために命をかけてその人を救うことができるか、と質問されたらやはり迷ってしまう。


 いや、ただ迷っているんじゃない。

 すでに結論は出ている。それを軽々しく口に出すことはできないだけで。

 命をかけて人を救うなど、並大抵にできるはずのないことは十分に分かっている。

 問題は、あの人がしてくれたように今度はわたしが同じようなことをできるのか、というところ。


 正直、今のわたしには見当もつかない。

 だから、口に出すのが躊躇われる。

 でも、この魔術師による事件を解決へと導くことができたのなら、わたしは、


 ──できるよ。


 そう自信を持って言えるだろう。

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