タクシー15分100円

@mtmynnk

タクシー15分100円

母が父との離婚を決意して「離婚届を貰いに行こう」と言った。

外は生憎の雨。気温は低く、役所に近い駅前行きバスはいつもより遅れていた。

母に抱かれた弟がグズっている。赤ん坊は寒さの我慢が出来ない。幾らあやしても幾ら服を着せても、北風には勝てない。

母の顔を覗き込むと、諦めたような顔をしていた。

雨は一層冷たくなり、弟の泣き声は大きくなる。

「今日はもう帰ろうか」と母が言う。

今日帰れば次はないと思った。母は離婚を諦めるだろう。


その時、一台のタクシーが俺達の前に停まった。

運転手のお爺さんが窓を開け、俺たちに話しかける。

「こんな寒い中待ってたら風邪ひいちゃうよ!乗って行ったら?」

母はもじもじと運転手に「タクシー代がないんです」と返した。

運転手は笑う。

「お金なんか要らないよ!いやアタシね、一仕事終えて後は駅前のタクシー乗り場に戻るだけなんだ。だからどっちにせよ駅前行くんだよ。タダで乗りなよ!」

母は警戒していた。

それを運転手は理解していた。

「お金を取らないのが怖いなら、子供さんのバス料金で良いよ!子供のバス代って今幾ら?」

俺は運転手に賭けた。

「子供のバス代は赤ちゃんが無料で、俺だけで片道80円です!」

「80円か!じゃあ80円……いや、大人も含めて100円で乗せよう!100円あるかい?」


俺は日頃から母に「大切な時にしか使っちゃダメだよ」と言われ、小学校の名札の裏に100円を忍ばされていた。

母は道に迷った時や誘拐された時に電話する事などを想定していたようだが、大切な時は今だ。


「100円あります!」


名札から俺は100円を取り、素早く運転手に渡す。

運転手はドアをグイっと開けて俺に言う。

「乗って乗って!」

俺は素早く後部座席の奥に滑り込み、母に言った。

「お母さんも乗って!弟が風邪ひいちゃうよ!」

母は思い切ってタクシーに乗り込んだ。


運転手は暖房を上げて俺達に話し掛ける。

「暖房が暑すぎたら言ってくださいね。お金を貰ったからには、あなた方はお客さんだ」

温まった弟がキャッキャと喜んでいる。

運転手は訳ありな俺達の事情を全く聞かなかった。

「今日は本当に寒いですねぇ。雨が冷たくて困ります。窓もね、ほらすぐ曇っちゃうの。こまめに拭いてるんですけどねぇ。」

そういう事をただ話して、気付けば駅前だった。

すぐそこに役所がある。

俺達は運転手にお礼を言ってタクシーを降りた。

離婚届は念のため2枚貰った。


俺が人生の中で唯一神様と話した日だった。

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