第2話神仏の影、復讐の舞台
斬童丸の目の前に、碓井貞光が静かに正座していた。広い肩、堂々たる体躯、深い皺が刻まれた顔――彼は確かに、幾多の戦場を潜り抜けた老兵だった。だが斬童丸にとっては、ただ一人の「仇」だった。
腹の底から湧き上がる怒りが、斬童丸を突き動かす。手に握る太刀を大きく振りかぶると、目の前の男を討たんと決意を込めた。
「敵討ちか。残念だな」
貞光の静かな声が、境内の空気を凍らせる。突然、貞光は大きな手の平で畳を叩き、その音が乾いた銃声のように響いた。
――バンッ。
その瞬間、畳が浮き上がる。貞光は迷いなくそれを掴み、盾のように構えた。斬童丸の視界が遮られる。
「しまった……!」
怒りに身を任せた愚かさを悟る。目の前が畳で塞がれ、敵の姿が見えない状況に陥った。冷や汗が背中を伝う。
「だが――」
斬童丸は自らの膂力に頼り、畳ごと貞光に体当たりする。畳が崩れ、互いの体がぶつかる音が響いた。
「む、がっ!」
転がる貞光に追い打ちをかけ、太刀を横に振り切る。斬撃は貞光の胸を掠め、布を裂く音がした。
だが――手応えはない。
「落ち着け……焦るな」
斬童丸は深く息を吸い、吐き出す。太刀を握る手に力を込め、再び貞光を見据えた。
だが、貞光は本殿の奥に姿を消していた。斬童丸がその後を追おうとした瞬間、巨大な大鎌が天井を支える柱ごと襲いかかった。
――ヒュンッ!
「くっ!」
太刀を盾代わりに構えたが、大鎌の一撃は斬童丸を弾き飛ばす。背中を地面に叩きつけられ、砂利の冷たさが染み込む。
肩を見ると、血がじわりと滲んでいた。
ゆっくりと階段を降りてくる貞光の手には、輝く大鎌――その伝説の宝具があった。一振りごとに風が唸り、周囲に鎌鼬のような刃が生まれる。
「碓氷峠の毒蛇を屠った、宝鎌か!」
斬童丸の声が、かすかに震える。
「そうだ。この鎌で多くの敵を斬ってきた。そして、これからもだ」
貞光の瞳には静かな覚悟が宿っていた。彼は陀羅尼を唱え始める。
「オン、ダラダラ、ジリジリ……」
その声が奇妙に響く中、大鎌が風を切って動いた。鋭い火花が飛び散り、斬童丸の太刀と激突する。
「くっ、読めない動き……!」
だが、斬童丸の目は研ぎ澄まされていた。山で育った狩猟民としての本能が、貞光の間合いと動きを測る。
「今……!」
斬童丸は懐に飛び込み、太刀を貞光の胸元へ振り下ろした。
血飛沫が舞い、貞光は一瞬目を見開いた。そして、力なく崩れ落ちる。
「骸は……山に埋めてくれ」
「承知した」
斬童丸は静かに頷き、手負いのまま貞光を担ぎ上げた。
その夜、斬童丸はひっそりと山に貞光を葬った。だが、仇を討ったという達成感は胸に湧かなかった。
「仇を討っても、何も変わらないのか……」
空を仰ぎ、遠くに延暦寺の山々を思い浮かべた。肩の傷がじわりと痛み、再び歩き出す足を鈍らせた。
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