剣鬼所行
クマガラス
第1話剣鬼誕生
序章
時は平安中期。
朝廷の権力が翳りを見せ始め、貴族の中でも藤原氏が台頭していた。没落した権力者たちは武士となり、地方の有力農民も武装して勢力拡大を目指すようになる。
社会が揺れ動くこの時代、人々は日常の不安や恐怖を、目に見えぬ異形の存在に託すようになった。それを彼らは――「鬼」と呼んだ。
第一章 剣鬼誕生
正暦元年(990年)。
冴え冴えとした満月が夜空を照らす静寂の中、一族が暮らす館では宴が開かれていた。
だが、その喧騒は突如として血の匂いに塗り替えられる。酒の盃が落ちる音も虚しく、斬童丸の父は山伏の姿をした男の刃に倒れた。
「有らぬ疑いだった……」
斬童丸の幼い瞳に焼きついたのは、血に塗れた父の姿と、山伏の冷たい表情。それは、静かに営まれていた生活が音を立てて崩れる瞬間だった。
995年
近江国、天台宗総本山・延暦寺。
斬童丸は寺での修行を終え、五年間を過ごした山中に別れを告げる日を迎えていた。
「俺は、此処を出て行くことにしました。今まで育てて頂き、忝い」
畳に額をつけて深々と頭を下げる斬童丸。その顔はまだ少年のあどけなさを残しつつも、瞳には復讐への強い決意が宿っている。
対するは僧侶・悟真。柔和な顔つきの中にも、どこか深い悲しみを湛えた目をしている。彼の本名は藤原義懐――貴族の出自である。
「よい、分かっていたことだ。京に行くなら成房を頼るといい」
「俺を、止めぬのですか?」
悟真は丸い頭を撫でながら、静かに答えた。
「お主が我ら藤原家を憎む理由は、もっともだ。私も父と兄たちを続けて失った時は、心が張り裂ける思いだった。お主の悲しみには到底及ばぬだろうが、その胸の痛みが少しでも和らぐことを願っているよ」
その言葉に、斬童丸は静かに頷く。
「重ね重ね忝く思う。悟真殿、貴方は俺にとって二人目の父でした」
言葉を終えると、彼はそっと太刀を手に取り、延暦寺を後にする。
延暦寺を見上げる背中に、悟真は合掌し、念仏を唱えた。
「願わくば、この若者に救いの道が訪れんことを……」
平安京――
半日歩き、琵琶湖が見えなくなった頃、斬童丸は平安京へとたどり着いた。
京の都に初めて立つ彼の目には、朱雀大路の広大な通りや雅な建築が広がっている。だが、浮かれた貴族たちの牛車の影には、捨てられたように路上に座り込む庶民たちの姿もあった。
「此処が、日の本の中心『平安京』か……」
人々の暮らしの光と影を見つめながら、彼は足を早めた。
目指すのは西寺。延暦寺での繋がりを頼りに、彼はその夜の宿を確保する。住職に礼を述べつつ、夕餉をいただく間、彼は話を切り出した。
「頼光四天王の一人、貞光殿が吉田山に居ると聞きました。お会いするには?」
「吉田山か……確かに彼ならそこだろう。武芸に励んでいるそうだが、何か用かね?」
「――仇討ちだ」
そう心の内でつぶやきながら、斬童丸は静かに箸を置いた。
翌日、斬童丸は吉田山――別名「神楽岡」の鳥居をくぐった。その先に広がる境内に、彼の求める男が居る。
碓井貞光――源頼光四天王の一人。その逞しい体躯と鋭い眼差しが神殿に響く祈りの声と共に、斬童丸を迎える。
「俺は、大江山の鬼・酒吞童子の子だ」
静けさの中、言葉は鋭い刃となって貞光の胸を貫いた。両者の間に流れる空気は、瞬く間に緊張に変わる。
「その命、この刃で……」
斬童丸は太刀を抜き、五年間積み重ねた復讐の誓いをその刃に託した。
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