夏陽ハルについて

 いつもの放課後。

 いつものブレイク部の部室。

 いつものようにハルは畳スペースで漫画雑誌を読んでいた。

 もちろん、チュー以上のことはほぼしない少年漫画雑誌を。


「ハル君。もう少ししたら行きますからね」

「……お、おう」


 電話を終えたフユが廊下から戻って来る。

 それを見て、ハルは漫画を読むのを辞めた。

 お気に入りの漫画を読んでいる途中だったが、それでも漫画雑誌を閉じてゴロゴロと畳の上を転がる。それも明らかに頭を抱えて。


「そろそろ覚悟を決めてください」

「だって嫌なものは嫌なんだよ‼」


 ハルの様子を見て、喝を入れるフユ。

 彼女はハルがなぜ頭を抱えているのか。

 その理由がわかりきっていた。

 しかし他の部員たちは違う。


「どうしたんだい? ハルっちが頭を抱えるなんて……もしかしてボクとの将来に悩んでるのかい?」

「わかりました。出入りですね。オレもお供します‼」

「きっと頭の病気だな。これはもう手遅れだ」

「……ハル先輩もお昼寝する?」


 一名だけ寝言を呟いた人物も含め、総勢四人が今のハルの様子を見て、各々が自分勝手な推理を述べる。それを聞いてフユは呆れたように溜息を零し、ハルを見たまま答えを述べようとする。


「実はですね、ハル君――」

「おっと。お前の親父からメールだ。ナニナニ。今日は寄り道せずにフユと一緒に帰って来い? 了解。了解。というわけでフユ、今日は寄り道せずに真っ直ぐ帰るぞ」

「ハル君。すぐバレる嘘を吐かないでください。そもそもお父さんからも言われてるんです。ハル君が逃げないようにちゃんと私が付き添って行くようにって」

「断る。言っておくけどな、あんなのただの拷問だからな‼」

「ちゃんとした治療です。全くもういつになったら慣れるんですか?」

「一生慣れるか‼ そもそもどう考えても治療には見えないだろ‼ 人の体の一部を削るんだぞ。それも一切麻酔もなく、アレで金を取るなんて詐欺だ‼ 俺は犯罪には加担しない‼」


 嘘を吐いてでも。これから行く場所にいる人間を貶してでも逃げようとするハル。

 それを見て、フユはもうまともに相手をする気を無くしていた。

 彼女が知る限り、いつもそうだったからだ。


「全くもう。歯医者さんへ行くぐらいで大袈裟です」

「だって仕方がないだろ。怖いもんは怖いんだから‼」

『…………』


 歯医者という単語を聞いて、ハルとフユ以外の四人(一名昼寝中)は言葉を失う。

 それはあまりにも思い掛けない単語だった。


「ハルっち。まさか歯医者へ行くのが怖いのかい?」

「当然だ。人の口の中にドリルを入れるんだぞ‼」

「夏陽ハル。お前、僕と同じ男だよな?」

「当然だ。この超格好いい俺のどこが女に見える?」

「いやいや。ハルっちはどこからどう見てもキュートなショタさ」

「黙れ、このショタコン男装女‼」


 うっとりとした表情の姫乃ヘ怒声を浴びせ、ハルは自身の右頬を押さえる。

 今日のハルの右頬はやや腫れていた。それも本当に少し。幼馴染のフユでしかわからない程に。


「朝からどうも変だったんです。朝ご飯もお昼ご飯もほとんど残して。いつもは甘いジュースを飲んでいるはずが、今日に限ってはミネラルウォーター。それで大体虫歯だとわかりました」

「そうだね。ハルっちは超が付くほどの甘いもの好き。そのハルっちがいちご牛乳を飲まないなんて、それはもう何かの病気としか思えないね。ところでハルっち、今の腫れた顔を写真に撮ってもいいかな? ボクのハルっちアルバムをさらに潤したいんだ」

「お前、虫歯が治ったら覚えてろよ。すぐにそのふざけたアルバムを見つけ出して燃やしてやる」

「お嬢様に何たる暴言‼」


 勇がハルの右頬を人差し指で突く。

 するとハルは畳の上で蹲った。

 プルプルと体を震わせるハル。

 恨めしそうに睨みつけるその先には勇がいた。


「そうだ、夏陽ハル。今日はお茶菓子にケーキを焼いて来たんだ。お前も食べるか? すまない。そういえば虫歯だったな‼」

「主が主なら執事も執事だ。お前ら本当にいい性格してるよな」


 ハルが姫乃と勇の主従コンビへの復讐を胸に抱いた直後。

 畳に蹲るハルに駆け寄る少女がいた。

 彼をアニキとしたる犬子である。


「大丈夫ですか、アニキ~」

「大丈夫だからお前は近寄るな」

「どうしてですか‼ オレ、アニキのためなら何でもします‼」

「おう。だから俺に近づくな。わかったら今すぐ俺から離れろ」

「そんなこと言わないでください、アニキ‼」


 犬子は今にも泣き出しそうな顔でハルの体を揺らした。

 その振動は体を伝い、頬を伝い、虫歯の奥まで伝わる。

 犬子以上にハルが歯の痛みで泣きそうになっていた。


「誰でもいいからこのバカを止めてくれ。痛みで頭がどうにかなりそうだ‼」


 ハルは叫ぶ。何度も叫んで助けを求めた。しかしフユは自業自得と言い、姫乃は写真撮影、勇は悪い笑みを浮かべていた。つまり誰一人として、ハルを助けようとする人物はいなかった。

 そんな時だ。普段、部活中に一切ソファーから離れない少女がソファーから離れたのは。


「犬子。ハル先輩が嫌がってる。本当に尊敬してるなら、辞めるべき」

「お姉ちゃん‼ アニキが虫歯に殺される‼」

「誰が虫歯如きで死ぬか‼ 確かに死ぬほど痛いけど‼」

「安心して。ハル先輩は虫歯じゃ死なない」

「そうだぞ。俺が虫歯如きで殺されるか」

「先輩を始末するのは犬子に無責任に手を出した時。私が組の人間に頼んで始末させる」

「お前は相変わらず物騒なことをサラリと……なんで起きてる時の方が夢みたいなこと言ってるんだよ‼ というか頼むから嘘だと言ってくれ‼ そもそも俺は犬子をそういう目で見たことは一度も――」

「ウチの犬子に魅力がないってこと? なら今すぐ海に沈める手筈を整える」

「魅力的です‼ お宅の妹さんは大変魅力的で俺……僕、今もすごくドキドキしてます‼」

「それでいい」


 満足した様子で子猫はソファーへ戻って行く。

 一方で犬子はハルの『魅力的』という発言に頬を赤らめていた。


「アニキがオレのことを魅力的……魅力的だって。それはつまりオレを自分の女にしたいってことで……」


 ある意味、ハルは小猫により救われていた。

 そのおかげで虫歯以外での、命の危機が加速していたが。


「ではハル君。そろそろ予約の時間なので行きますよ」

「うッ。本当に今日行かないとダメなのか? 明日でも――」

「ご飯もまともに食べられない人が何を言ってるんですか」

「でも明日になったら、良くなっている可能性も――」

「それは単なる勘違いです。それに虫歯なら、遅かれ早かれ歯医者さんに行かないと解決しませんから。もう大人しく諦めてください」

「……なら手を。治療中、俺の手を握っていてくれ」

「……それで逃げませんか?」

「当然だ。俺が一度でもお前の前で逃げを選択したことがあったか?」

「そうですね。先を往くハル君の背中は何度も見てきましたが、逃げる後ろ姿を見たことはほとんどありませんね。わかりました。仕方がないので、今日だけ手を繋いでいてあげます。でも次からはもう絶対に手は繋ぎませんからね」


 その後、ハルはフユに連れられ、ブレイク部の部室を出て行った。

 これは余談だが、子供の頃からいつもハルは歯医者へ行く際、フユに同行を頼む。そしていつも一悶着あり、結果的に治療中はずっとフユがハルの手を握っていた。今ではもう行きつけの歯医者も疑問に思わないほど、見慣れた光景である。


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 ブレイク部解説 部員編① 夏陽ハル①

 ブレイク部の部長にして創設者。

 身長一一〇センチの高校二年生。

 副部長の秋月フユとは日本へ越して来た頃からの幼馴染。

 フユの父親は元ハルの育て親。

 現在はフユの隣の家で一人暮らしをしている。

 勉強と運動は得意だが、家事全般が苦手。食事の用意や家の掃除は全てフユに任せている。

 趣味は漫画とラノベ。自宅地下室に自分の実験室を持ち、時折怪しい薬や迷惑な発明をしている。

 チュー以上のことに恐怖を抱き、水着姿の女の子も直視できない純情少年。

 甘いものが好きで家でも部室でも良く食べているが、そのため虫歯になりやすく何度も歯医者に通っている。それでも未だに歯医者は苦手で、治療中ずっとフユに手を握ってもらっている。

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