第3話 その声には、敵意はない

 巨大構造体メガストラクチャに良く使われる建材、コンクリートの祖は古く。四千年以上前に覇を唱えた古代国家、クインツ帝国で使われていたクインツコンクリートまで遡る事が出来る。

 魔物を焼いた灰が偶然混ざった事で、その強度が飛躍的に向上した事から、クインツ帝国の発展に大きく寄与したという。


 咄嗟とっさにマコの腰にタックルして押し倒したアルは、壁にめり込むコンクリート塊を見て益体やくたいの無い事を考えた。

 過去の記憶が曖昧なアルが、自分を落ち着かせる為に編み出したちょっとしたまじないだ。


「マコさん大丈夫ですか?」


 壁にめり込んだコンクリート塊から、目が離せないまま問うたアルに返ってきたのは囁きのような彼女の声だった。


「オン・ソウ・ユラ・フレイ」


 マコの視線が防火扉の向こう側、目を向けるにも勇気が必要な闇を探るように動く。


「フラベ・フラフラ・オン・シン・コーム」


 今時どころか、魔法の暴発防止以外では使われなくなって久しい呪文。

 それを詠唱するとなると、大陸全土を探して何人いる事か?


 ヒュン!

 その長身に匹敵する長さの杖を、器用に振り回してマコが空間に魔法陣を描く。


 ましてや彼女の唱える呪文は――。


「ソハ・カクテイシタリ・トク・ナゲケ」


 異界の呪文である。

 破片一つで竜を殺しうる。


 そんな物騒な塊が五つ飛んでくる気配。

 無駄と知りつつマコを庇おうと反射的に動いた体が、肩に置かれた彼女の形の良い顎で抑え込まれる。


 自慢げに吐かれた鼻息が首筋に当たってくすぐったい。


「少しは自分のボスを信じなさい」


 不可視の壁がコンクリート塊を打ち砕く。

 助かった――、アルが安堵する間もなくマコが耳元で舌打ちする。それに胸が高鳴る自分の業の深さにアルはおののく。


「掴まれたわ」


「はい?」


 意味が分かる前に凄まじい勢いで闇に引きずり込まれた。

 踊り場を抜け、共用部分の廊下を引きずられる。


 まるで見えない手で、マコの張る結界ごと掴まれたようだ。

 せめて盾になろう。


 アルはマコの小さな頭を両手で抱えこみながら、引きずられる先にあるポッカリと空いた扉を見た。

 五感の全てが死を覚悟している。


 貧困層向けの巨大構造体メガストラクチャの一室に、マコと一緒に引きずり込まれたアルは、それを見て怖気だった。

 ――黒い影、致死の塊。


 結界ごと壁に叩きつけられる。

 結界を抜けてきた衝撃で息が詰まる。口は無いが喉はある。


「あの保険屋め、今度会ったらマジで殴る」


 同じものを見たはずのマコが、平然と保険屋に対しての悪態を付く。

 一瞬、流石だなと思いかけてそんな場合ではないと、アルは横に転がってマコから離れる。


「地縛霊じゃなくて生霊じゃない」


 左手に杖、右手で印を結びながらマコがボヤク。

 だが彼女は笑っていた、嫣然えんぜんと。


 *


 隠された知オカルトとはよく言った物だと、アルは思う。

 アルは呪われて、その世界が見えるようになった。


 薄皮一枚で隔たれた非日常ファンタジー、重なる様にそこにある世界。

 おぞましく、そしてそれ以上に憐れで悲しい未練で満ちた世界。


 そこに生きたままで入り込む程の”思い“とは何なのか?

 アルはその黒い影を探るような目で見てしまう。


 やはり怖気が走る、どうしもうなく。

 何より恐ろしいのは、その影には敵意が無い事だった。


 アルが感じるのは――、何だこれ?

 何故か痛む自分の胸にアルは戸惑った。


「まったく嫌な仕事を引き受けてしまったわ」


 マコが右手の印で空間を斬るような仕草をする。

 リュウキインが代々受け継いできた魔術。魔術技巧ウィズテクとは全く違う術理。


 現代でも過去でもなく、異界を祖とする魔術。

 外魔法アウターマジック


「オン・リィン・リィプル」


 マコが唱えた呪文を聞いて、それは確かに人の顔をした。

 希求、後悔、最早それは無いのだと、存在しないのだと、打ちのめされた者の顔。


 黒い影にしか見えなかったそれが、部屋に残った調度品を弾き飛ばしながらマコに肉薄し、そして結界に阻まれて止まる。

 只の黒い塊にしか見えなかったそれが人の姿を得る。


 人の両腕、頭部には角らしき物、背後に揺らめくそれは、尻尾だろうか?

 聞こえてきた声にアルは顔をしかめる。顔が無いだけに、そう思わせるだけの感情が籠った声に眩暈を起こしそうになる。


『もういない!』


 声を聞くたびに、鳩尾みぞおちを無理やり掴まれたような痛みが走る。


『彼はもういない!』


 自分に顔が無くて良かった、目が無くて良かったとアルは思う。

 膝をついてしまいそうになる程の、哀切、後悔、のだという後悔。


 それらに晒されアルは思う。

 顔があったら子供のように泣いただろう、この生霊の為に。


「成る程、本人は異界に渡ったか」


 マコが杖で床を叩く。

 その表情はなんですか?


 アルは呪文を唱え始めるマコの顔を見て思う。

 冷淡にも見える平坦なマコの表情、だがアルには分かる。その下にはひどく複雑で曖昧な感情がある事を。


 それはかつて路地裏で自分を拾った時の顔で――、アルはその正体がひどく知りたい。


『ここにいた! 彼はここにいた!』


「そうね、その彼は、ここに“いた”のでしょうね」


 そう言ってマコが小さな魔道具ウィッチクラフトを足元に放り投げたのが見えた。

 瞬間、森の香りが部屋を満たす。


 何を? 首を傾げそうになっていると、マコが自分を見ている事にアルは気が付いた。


「ねぇアル君。彼女を助けたい?」


 何故それを自分に訊くのですか?

 そう思いながら頷き返すアルに、マコが満足気な笑みを浮かべる。


 もし自分にマコのような力があったなら、迷いなく救おうとしただろう。なのでアルは頷く事自体に躊躇はない。


「それでこそ、私の助手よ」


 その微笑ほほえみを見て、アルは自分の頬が紅潮するのを自覚した。


「良かったわ。複製体クローンとはいえ世界樹の根を伸ばそうとするには、私だけでは無理だったから。助手の了承が得られて本当に


 自分は何をされるんだろうか? 早まったかもしれない。


「えっと……マコさん?」


 アルは自分の足に絡みついた木の根を指さし首を傾げた。

 マコは言った。


「魔力を頂戴?」


 何故に疑問形!?

 墜落する感覚に顔を青くしながらアルは思う。

 顔は無かったが。

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