第2話 その顔には、記憶が無い

 エルフやドワーフ、竜人ドラゴニュートや獣の耳や尻尾が生えた獣人、そして普人種ヒューマン

 かつて支配種だった貴族種も、それ以外だった者達も、今や魔術技巧ウィズテクの発展と資本主義の波に飲まれ、区別なくギラついたネオンに照らされた路地を肩を並べて歩く。


 この街はある意味でとてもシンプルだ。

 金か権力、それが無ければ皆等しく搾取される側だ。

 日が落ちた貧民地区の繁華街を、アルとマコは雑踏を縫いながら移動する。目的地は件の取り壊し予定のビルだ。


 アルは前を歩くマコの背中を追いながら思う。

 自分はこの街ではその搾取される側ですら無いと。


 マコ曰く――、自分は何かに呪われたそうだ。

 顔と記憶の大半を無くし、どうしたら良いのかすら分からずに街を彷徨っていた。


 ちょうどこの辺だったはずだ、アルは奇妙な懐かしさを感じながら、派手なネオン看板に挟まれた小さな路地を見る。

 呪いという、魔術技巧ウィズテクでは解明不可能な理不尽オカルト


 それに蝕まれたアルは、都市管理精霊システムからも認識されなくなり、都市においてはまさにのっぺらぼうノーフェイスだった。

 そのままでは本当に野垂れ死ぬしか無かった、それを救ったのがマコだった。


 ボロ布で顔を隠した自分を、地縛霊と勘違いした彼女が声を掛けてきたのだ。その声は今でも思い出せる。

 遠慮がちで、そのくせ無思慮な優しさに満ちた声。


 自分はその声に救われたのだ。

 そう……その声に。


「てめぇ! 今なんつったこのエルフ長耳野郎!」


 その声に救われたんだけどなぁ。

 同じ声で紡がれる罵声に、アルは顔を顰める。顔は無いが。


 少し物思いに耽っただけなのに、マコがエルフの酔っ払いと喧嘩を押っ始めている。

 アルは慌てて止めに入った。


 *


「仕事前に喧嘩とか止めてくださいよ」


 アルは溜息を吐きながら言った。止める時に殴られた脇腹がまだ痛い。


「あのエルフ長耳野郎が私の杖を馬鹿にしたんだから仕方がなかったのよ」


 仕方がない、が有っただろうか? アルは首を傾げた。

 アルはマコが持つ杖を見ながら思う。確かにこの魔術技巧ウィズテク全盛の時代に杖等という前時代の遺物を携える彼女の姿は仮装コスプレと揶揄されても仕方がない。


 仕方がないと言うなら、むしろ馬鹿にしてきた方に分があるような気がする。


「まぁそれはそうと」


 今度会ったら蹴りをお見舞いしてやると、何故かシャドーボクシングをするマコを無視して話題を変える。


「どこのビルかと思ってましたけど、ここだったんですね」


 アルが見上げるビルは、この街ではどこにでもある貧民向けの集合住宅だ。

 ネオンで薄ぼんやりと明るい空に、天高くそびえる異様はこの都市ではありふれた物だ。


 ただし、外見から分かる程に大きく破損している。

 外壁には所々に内部から爆発したかのような穴が空き、ビル全体に大きなヒビが走っていた。


 巨大構造体メガストラクチャの頑強さを考えれば、その破壊に使われた力の凄まじさが想像できる。

 本来ならば自動で働くはずの修復魔法すら働いておらず。その破壊が魔術的なレベルまで達していた事を、その傷は物語る。


竜火炉喪失事件ロスト・ドラゴンロア


 アルは傷跡を見て呟く。ツルりとした外観のせいか、まるで割れた卵のようだと思いながら。

 ヘカトリオス全域の電力を供給する発電所、その心臓たる竜火炉が消えた事件。


 突然現れた“ギーク”と名乗る凄まじい魔術の使い手。出身地や年齢が全て不明、この謎の魔術師は企業から竜火炉を奪い――、そして伝説となった。

 今もその企業は竜火炉喪失により発生した被害と、その補填を巡っての訴訟を山ほど抱えている。


 謎の魔術師“ギーク”は企業に一発かました、として伝説となって姿を消した。

 この都市で伝説となったという事は、つまりはそういう事なのだろう。詳細は知らないが、アルはそうだろうと思っている。


 そしてその現場がこのビルだと言われているのだ。

 エントランスを抜けて非常階段を上っていく。


 マコの頭上を追尾する、浮遊照明フェアリーライトの明かりで照らされる内部は意外な程に綺麗だった。壁に走る破壊の跡にさえ目をつむれば、今も人が住んでいると言われても信じられる。

 それ故に人が居ないのが異常だった。


 エントランスには立ち入り禁止のテープは既に無く、にも関わらずビルには浮浪者ホームレスもチンピラの姿も無かった。

 つまりここは相当にヤバいのだ。


「駄目かもしれない」


 アルはマコの言葉にギョッとした。


「膝が痛い」


「運動してください」


 マコが杖をまさしく杖替わりにして、階段をヨタヨタと上る。


「運動嫌い、酸素は大事な資源、運動する奴は環境破壊テロリスト」


「滅茶苦茶な事を言ってないで頑張ってください、あと二階ですから」


 そんなに辛いのなら、自分のように身体強化の魔法が組み込まれたジャケットを着れば良いじゃないですか。

 喉まで出かかった言葉を飲み込みながらアルはマコを励ます。


 言ったところで自分のボスが、“身に着けるタイプ”の魔術技巧ウィズテクの産物を使わない事を知っているからだ。

 ほらあと一歩! 行ける! マコさんなら行ける! 限界超えるなら今!


 ワイワイとマコを励ましながら目的の階にマコを押し上げたアルは思った。

 コイツはヤバいと。


 階段の後一段が凄まじい圧を飛ばしてくる、これ以上はヤバいと。

 呪いを受けたせいで敏感になった自分の五感が、総力を挙げて危険信号を連打する。


 空気を求め喘ぐように顔を上げると、マコと目が合った。口も目も無いが。

 先程まで死にそうな顔をしていたはずのマコが、困ったような顔をして一段先の踊り場から自分を見下ろしている。


 痩躯のせいか、彼女の身長は実際よりも高く見える。

 その影がヌラぁと踊場へと伸びる。


 陰影が作る艶めかしい彼女のシルエット。

 それに惹かれ、思わず追ったアルの視線が捉えたのは、ひしゃげ曲げ潰れた防火扉の残骸。

 足元に転がる防火扉とアルの顔を見てマコは言った。


 まるで家の鍵をかけ忘れたと告げるような気軽さで。


「依頼料の桁一つ間違えたわ」


 闇の中から飛んできたそれは致死であった。

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