その恋には、顔が無い

たけすぃ@追放された侯爵令嬢と行く冒険者

第1話 その恋には、顔が無い

 その魔術都市には昼も夜も無く、現世と地獄も区別無く。

 故に夢とうつつの区別も無かった。


 無秩序で無思慮な超都市化により出現したその都市は、魔術技巧ウィズテクの最先端であり、またふちであった。

 かつて栄光を極めた覇権国家を蝕む病巣であり、心臓。


 吹き溜まりであり奈落アビス

 未来的なデザインのビルが乱立するも、その本質は塵一つまで魔術。


 都市の名前はヘカトリオス。

 街を埋め尽くす巨大構造体メガストラクチャはその破片一つで竜を殺しうる。


 *


 実に一か月ぶりの依頼人だ。

 アル・ブレンダーは応対用のソファに座った依頼人にお茶を出しながら思った。


 近所で何か事件でもあったのだろう、事務所の窓を巨大な蜻蛉トンボのような都市警が使う魔法生物が横切る。腹が空なので現場帰りだろう。

 アルは窓の外から手元に注意を戻す。そっとカップを置いたところで、依頼人の男が視力補正魔道具メガネごしに自分を驚いたような顔で見ている事に気が付いた。


 何だろう? アルは内心で首を傾げた。


「ああ、すいません」


 依頼人の対面に座る、雇い主ボスが口を開いた。


「彼はちょっと事情がありまして、マスクを外せないんです」


 ボス――、マコ・リュウキインの少し掠れたような声で、何故自分が見られていたのかアルは分かった。顔面を完全に覆い隠すマスクのせいだ。

 マコからは散々注意されているが、最近ではマスクを着けている事を忘れる程に慣れてしまっている。


 都市警察の払い下げ品であるマスクは、乳白色の地味な官製だが、スリットも無く目の部分が帯状に分厚くなっており、その仮面の下を窺う隙間は一つもない。

 確かに部屋の中でこんな物を着けている人間がお茶を出してきたら驚くだろう。


 まぁ外した方がもっと驚くことになるけども。


「御不快な思いをさせていましたらすいません」


 アルは謝りながら依頼主の対面、マコの隣に座る。

 リュウキイン魔術研究所の所長であり、自分のボスでもあるマコは、酷く細い印象を与えるその体躯を黒一色の服で身を包む。


 彼女はその服よりも一層深く黒い、長い髪に包まれた小さな顔をコクリと上下させる。

 陶器のように白く滑らかな肌、際立って整った顔立ちは、貴族種エルフであると言われた方が納得できる程だが、彼女曰く正真正銘の人間であるらしい。


「それで……」


 そしてその声は、見た目を裏切るようなハスキーさと、無邪気な少年を思わせるような響きがあった。


「本日はどのようなご用件で?」


 アルはそのアンバランスさに、マスクの下の頬が熱くなるのを自覚する。

 マコの静かな声は冷たく、しかしその冷たさは、真夏の日陰にある木肌に感じるそれだった。その声を聞くと、アルはどうしようもなく胸が高鳴るのだ。


 *


 魔術技巧ウィズテク全盛の時代で、しかもその最先端のヘカトリオスで聴くその一言は、何度聞いてもアルを困惑させる。


「幽霊に悩まされておりまして」


「私の所に来られる方は、おおむねそうおっしゃいますね」


 依頼人、眼鏡の男はマコの反応を意外そうな顔で見た。

幽霊等と言ったら馬鹿にされると思ったのだろうか? 

 その気持ちは分かる、“神”や“悪魔”といったが確認されているモノならともかく、幽霊に困っています、というのはいい歳をした大人が言うには勇気が必要だろう。


 魂や幽霊、それは魔術技巧ウィズテクが発展しても、その実在を証明できない――要は隠された知オカルトなのだ。


「ご安心ください」


 マコがその切れ長の目を細めて微笑む。


わたくし共はそういった問題の専門家ですので」


 それは優し気で見た者を引き込むような魅力に溢れた微笑だった。

 アルはマスクの下で吐きかけた溜息を飲み込んだ。


 見事な営業スマイルである。

 その微笑の下で何を考えているか、良く分かるだけに一層それを見事だと思う。


 微笑むマコが、男の付ける高級腕時計やブランド物のネクタイとシャツをしっかりと確認している。

 アルはもう一度溜息を飲み込んだ。


 *


「一か月ぶりの依頼よ!」


 果たして今のこのマコの姿を見たら、先程の依頼人は仕事を頼んだだろうか?

 先程までの神秘的で浮世離れした雰囲気だったマコの姿はそこには無かった。


「あんなに吹っ掛ける必要ありました?」


 うひょー!仕事だぁ! とデスクチェアでクルクル回るマコを見て、アルは呆れ顔で首を傾げる。少なくとも本人はそのつもりだった。


「自分の能力を出来るだけ高く売りつけるのは当然の所作よ」


 何故か片足を高く上げて奇妙なポーズを付けるマコ。


「マコさんはお金に困ってないじゃないですか」


 依頼人がもういないので、アルは遠慮なく溜息を吐く。


「それに撤去予定のビルに住み着いた地縛霊の除霊なんて、いつもならもっと安い料金で請け負ってませんでした?」


「良いのよ、相手は大手保険会社よ? 高い保険料を払ってるんだから、こういう時にこそしっかり払って貰わないと!」


 貴方が入っているのは格安の掛け捨て保険だけでは?

 助手としてマコと事務所の財務状況を把握しているアルは思った。


「そんな事より」


 そんな事で済ませて良い話だっただろうか?アルは首を傾げた。


「いつまでマスクを着けてるのよ」


 ああ、確かに。

 アルは自分がマスクを着けたままだった事に気が付いた。


 マコからはマスクを着けている事に“慣れるな”と言われているが、ついつい忘れてしまう。

 そのマスクはお前の顔ではない、そう何度も言われているが、人前に出る以上付けないわけにはいかず。


 そしてマスクを着ければ、他人からすればそれがアルの顔だ。

 慣れるなと言われても、ついそういう物だとアル自身も感じてしまうのだ。


 注意しよう、アルはそう思いながら都市警の特殊部隊が使っているタクティカルマスクを外す。一世代前の物なので少し重い。

 ヒンヤリとした事務所の空気を肌で感じる。


 アルは自分の頬を撫でた、つるりとした感触。

 その顔には何もなかった。


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