『ふつーの殺人事件』

@usami-tori

『ふつーの殺人事件』



その日、喧しいサイレンの音で、僕は目を覚ました。


一晩中つけっぱなしにしていた、ミツビシのエアコンのリモコンを探して、

顔を枕に埋めたまま、枕元に放られた操作機器の山に手を突っ込む。


毎朝……朝……?毎日、起きた後に、いつも僕はこうする。

消したって、すぐにまたつけるのに。なんだかこうしないと頭が働かないから。


僕がそうしている間も、サイレンの音は鳴りやまない。

まだ今日はほとんど寝てないのに。一体何があったのだと、

僕はハンガーにかけられたジャケットだけを寝巻の上に羽織って、

寒空の直下のベランダへ乗り出した。



高めの手すり壁の上から覗き込み、まず目についたのは、目下に広がるブルーシート。

つぎに、その周辺を取り囲む、モノモノしい装備の男たち。

たぶん、警察だ。青いし。車はシロクロだし。



そこまで確認したところで、ぴんぽんと部屋のインターホンが鳴らされた。

この集合住宅のインターホンには、通話機能なんて高尚なものは搭載されてないから、

僕は床に散らかった昨晩の飲みガラをゴミ箱に放り捨てながら


「はい、今出ます」って、がらがらの声で応答した。



警察だった。


どうも、事情聴取に来たらしい。

「なんだなんだ、随分大ごとじゃないか」と僕が訊くと、警官は神妙な面持ちで理由を答える。


「人が、死んだんです」


死因は転落死。被害者は大柄な男性。

被害者の身元は不明だけれど、最低でも、この団地の住人ではないみたいだ。


「へえ。それはまた、大ごとでしたね」


「はい。事情聴取は任意なのですが、受けて頂けますか?」


「だいじょうぶです。ただ、寒いですし、部屋のなかでどうですか。独り身の汚い部屋ですが」


僕はわざとらしく震えて見せた。おどけたようだけど、これは本音。

さっきまで37度のぬくもりに包まれていた我が身には、玄関から吹き荒ぶビル風は少々堪えるのだ。


警官は頷くと、「お言葉に甘えて、失礼します」と、中に入ってきた。



テーブル(というか、ちゃぶ台)を挟んで、僕と警官は、問答を始めた。


「昨晩10時以降、あなたは何をしていましたか?」


「友達と飲んでました。ええと、男の友達です。良く飲むやつで、僕もつられて、結構」


「その友人とは、いつごろ解散したんですか?」


「いつごろ……いつごろだったかな。記憶があいまいなんです。かなり酔ってたから」


「なるほど、ここに帰ってきたのはいつ頃ですか?」


「あ、ずっとここにいましたよ。宅飲みだったんです。ネットで出会った友達で、仲良くなって」


「そうなんですか」


「そうなんです」


「飲んでる最中に、何かが落下した音を聞きませんでしたか?」


「覚えてないですね。聞こえるものなんですか?そういうの」


「聞こえるらしいですよ。俺が実際に聞いたわけじゃありませんけど」


「へぇー。グロテスクな音なんでしょうね」


「たぶんね。ええと、そうだ。ご職業を聞いても良いですか?」


「聞いちゃいます?平日の昼間まで寝てるやつに」


「一応記録しないとなので」


「無職です。一応、地主で、ほら、不労所得ってやつ?をいただいてて。のんびり」


「……恥ずかしがるようなプロフィールじゃなくないですか?」


「あはは。僕の趣味です。悪趣味な自慢が」


「良い趣味をお持ちで。ところで、一つ、お聞きするんですが」


「なんでしょう」


「殺人事件を起こすような人物に心当たりはありますか?どうやら、上は殺人で調査を進めてるみたいで」


「そうなんですか?」


「『自殺だとしたら、自宅でさえない建物から飛び降りるなんて妙だろ』と」


「ああ、そういえば言ってましたね。『被害者はこの団地の人間じゃない』って」


「ええ。そうなんです。どうですか?直近で、何か、トラブルとかあったりしませんか?」


「僕の記憶には無いですよ。井戸端会議とか、するタイプじゃないので」


「そうですか」


「そうですよ」


「ところで、『随分暑いですね』、この部屋」


「僕、寒がりなので。ベランダに出ますか?良い感じに冷えますよ」


「怖いこと言わないでくださいよ。ただでさえ、『ベランダから人が落ちたばかり』なのに」


「あはは。ブラックジョークです。遺体の位置的に、『ちょうど此処の列から』ですもんね」


「知ってらっしゃったんですか?」


「さっきベランダから。『ちょっと手すりが高いから、踏み台が無いと下が見えない』んですけど」


「本当だ。結構な高さがありますね。男を突き落とすには苦労しそうだ」


そう言って、少し警官は考え込んだ。

僕の部屋の中をじろり、と見渡して、最後に僕の顔をじっと見つめる。


「失礼なこと、考えてません?」


「ああ、ごめんなさい。考えてました」


そう言いながら、警官は空いたお酒の缶を一つ手に取って


「例えば、ですよ。昨晩、あなたと飲んでいた男性は、あなたと同じく、随分な量を飲んでいた。

『良く飲む奴』とあなたは称していましたけど、『強い奴』とは表現してませんでしたよね」


「たしかに、そうですね」


「あなたは寒がりで、暖房をがんがんにつけていた。そんな環境下で酒を飲めば、身体は火照って酷いでしょうね。

酔い覚ましで、どうやら『涼しい』らしいベランダに出るんじゃありませんか?」


「そうかもしれないです」


「男性の死亡推定時刻は、昨晩0時らしいですよ」


「……」


ふむ、10時に集合して飲み始めた僕たちからすると、とっても『それらしい』時間じゃないか


「なんのつもりですか?警官さん。さすがに、気分が悪いですよ」


僕は、ばんと机をたたいて、立ち上がる。

つらつらと警官が並び立てる理屈は、まるで、僕が……


「ごめんなさい。気分を悪くするつもりは──────」


ふ、と警官は僕に微笑みかけて、そしてすぐに、けらけらと笑いだした。


「あはは、はは、は。ブラックジョーク返しのつもりだったんです。

ベランダに男を出したところで、女性にはそれを突き落とすのは不可能だ」


「何故なら、この団地の手すりは『踏み台を置かないと、下が見えないほど高い』から」



そうして、立ち上がった警官は、僕の顔を上から見下ろして言った




「ね。『お嬢さん』」




「分かってますよ。言われなくても。僕には無理だし、僕の友達は大柄でもありません」


腹が立って、早口で捲し立てる。

どうみたって分かるだろう。僕は、身長152センチの、ガリガリの引きこもり女だ。

大柄の男を突き落とせるようなフィジカルは何処にもない。


「くく、はい。事情聴取はこれでおしまいです。ご協力、ありがとうございました」


恭しく一礼した警官の顔には、まだ悪戯っぽい薄ら笑いが浮かんでいた。

立ち上がり、部屋を出ていく警官の背中に、僕は手ごろなぬいぐるみを投げつけて叫ぶ。


「二度とくるなっ!」


「ええ、俺としても、それが望ましいですね」


────────────────────────────────────────────────


翌日、僕のちょうど1つ下の階の住民が逮捕された。


男子大学生で、大学のサークルの友人を家に招待していたらしい。

しかし、その友人と口論になり、衝動的に撲殺。


幸運にも出血が少なかった為、錯乱する頭で大学生は友人をベランダから放り投げた。


14階からの落下で、被害者の頭は粉砕。

身元不明の原因はこれか、と納得し、すぐに捕まった理由にも合点が行った。


これが、僕の身に起きた、何の変哲もない、ふつーの事件の体験談だ。

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