宇宙ドーナッツ?

「ねえ、キャプテン、この箱って何?」


副操縦士のユキが、補給物資倉庫の隅で怪しいパッケージを見つけた。


「『宇宙ドーナッツ?』……って書いてあるね。」


キャプテンのタカシが箱を持ち上げると、宇宙船内の薄闇の中で、まるで星屑を封じたかのような微細な輝きが揺らめく。


カサッ……開封するや、甘い香りが漂い、ユキは思わず小鼻をふくらませる。


「地球で食べた甘いスウィーツみたい……」


不意にやってきた、技術者のナカムラが耳をそばだてる。「なに、地球産のオヤツ!?そりゃ貴重品だ!」


頬を緩めたタカシは、笑みを浮かべながらドーナツをつまみ上げた。



「これ……ふわふわだ。信じられない。」


ユキが指先で生地を押し、感嘆の声をあげる。


「ホントか?ちょっと一口……」


ナカムラは待ちきれず手を伸ばし、その柔らかな甘さに舌鼓を打つ。「夢みたいだな、こんな閉ざされた宇宙船でドーナツなんて。」


タカシは深く息をついて目を閉じる。甘みが広がるたび、重苦しかった船内に薄らぎ始めた緊張の糸が緩み、遠い地球の風景が、霞んだ特殊ガラスの向こうに揺らめいているようだった。



搭乗員で大事に食べてはいたのだが、日が経つにつれ、ドーナツはみるみる減っていく。


「だれか夜中にこっそり食べてるんじゃないか?」


ナカムラがひそひそと耳打ちする。


「そんな訳ないでしょ……」


ユキは少しうつむいて唇を噛む。

タカシは困惑の表情で首を振った。「こんな閉ざされた世界で、たかがドーナツ一つが人を惑わすなんてな……」


船内は再び静まりかえり、甘い香りの残り香はどこか湿り気を帯びた空気の中で、細く長く沈殿していた。



目標の宙域が近づき、リング状のワープゲートが視界に入る直前、箱の中には最後の一つだけが転がっていた。


「……もう、これでおしまいね。」


ユキが声を細めて切り出すと、タカシは無言でそのドーナツを三つに裂く。


乗組員が口にする、その甘さは微かに変化している。地球の記憶とも違う、不思議な苦味とまるで星屑を噛んだようなザラリとした感触が混ざり合う。


ナカムラが目を細める。「なんだか……さっきよりも、どこか妙だ。」


彼らは黙り込む。わずかに漂う甘い香りに、何か得体の知れない気配が混じっているような……。


そのとき、船外の視界に、奇妙な光彩を帯びた小さなリング状の閃光がかすめる。まるでドーナツが、宇宙のどこかで彼らを嘲笑うかのようだった。


「宇宙ドーナッツ?」


タカシのその問いかけは、甘さと苦みの中に溶け、微かなエコーとなって闇に滲む。


いつの間にか箱は空になり、その存在すら不確かな記憶の泡となる。

宇宙船は静かに進む。だが、あの甘さを思い出すたび、乗組員たちはほんの少し、故郷とは違う、別の世界を覗き込んだような気がしてならなかった。


(了)

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