第3話 お前、本当にヒーローなの?

「お前、本当にヒーローなの?」

 ぽつりと、しかしはっきりと、集団の中の男の子が言った。嫌らしい口調だ。その言葉に目を覚ましたように、目を輝かせていた子どもたちがハッとした表情になる。

「お前、ヒーローじゃないだろ」

「あいつらの話は忘れた方がいい」

 俺は次郎と紅の背中を指さして、なんとか持ち直そうと試みる。

「とにかく。なにか困っていることがあったら教えてくれ。俺に助けさせてくれよ。そうすれば次こそ感謝状が……じゃなかった、君たちをハッピーにしたいんだ!」

 思わず本音を言いかけてしまった。小学生たちの目つきがいよいよ「なんだコイツは」という淀んだ光を放つ。ハッピーにしたいだなんて、やべえ露骨だったか。俺は慌てて取り繕いなおした。

「いや、あの、安心してくれマジで。俺、実は何日か前、小学生を助けてるんだよね。トラックが突っ込んできて、俺がこう……抱えあげて、ぽいっと歩道まで投げ飛ばしたりして、大爆発!!」ボンと言ってその様子を身体で表現する。「ってな感じで、キミたちも助けてあげることができるってわけ」

 親指を立ててウィンクしてキメてみせる。

 すると、一人の女の子が弱々しく呟いた。

「……こわい!」

 え?

 気付けば、その子はすでに泣きそうな表情をしている。

「みぃちゃん、大丈夫!」

 一人の男の子が勇ましく言って、その子の前に立つ。そしてさらに他の子たちが団結して俺を睨みつけてきた。まるでみなヒーローのように、女の子を俺から守るように布陣を組んでいる。俺から……俺から? 

 そしてヒーローたちが掲げるその手には――

 伝説の武器。

 色とりどりの聖なる防犯ブザー。

 いや、違う。

 俺はそんな……

 違う。

 違うんだ。

 俺は……

 俺は変質者じゃない。

 俺はようやく状況を理解した。

 いや、そうだ。

 俺はさながら変質者だ。

 でも違う。

 これは俺が感謝状を貰うための――


 しかし俺の心の弁明も虚しく、子供たちは容赦なく防犯ブザーの紐を引いた。

 けたたましい音が住宅街に響く。

 周囲の大人たちの視線が集まる。

 というかすでに大人は俺に怪訝な視線を向けていた。


 この状況は……ヤバい!

 考える間もなく、俺はその場から猛ダッシュして走り去った。

 ハァハァと息が上がる。

 まるで悪夢でも見ているかのようだった。

「捕まる……これは捕まる……!」

 感謝状どころか、警察に!

 心の中で叫びながら、俺は走り続けた。

 やがていつもの河川敷にたどり着き、その穏やかな水の流れ、夕日の揺らめきに、肩で息をするボロボロの自分がひどく惨めに思えた。その場にしゃがみ込み、はぁと息をつく。


 俺は変質者だった。


 すぐ後ろをランニングする人が通り過ぎていく。それだけで俺はビクリと反応してしまう。ドルフィンパンツを履いた綺麗なお姉さん二人が俺の動きにビビッて通り過ぎていく。すらりとした生足だった。また川を眺める。感情のない風が吹く。

 虚無。

 それからしばらく時間が経ったけれど、どのくらい時間が経ったかわからない。一分かもしれないし一時間かもしれない。太陽は沈んだかもしれないし沈んでないかもしれない。いや、普通にまだギリ沈んでなかったけれど。見ればわかる。ちょっと村上春樹みたいなことを思ってみたかっただけだ。そんな深刻なメンタルだった。

 そのとき、ふと気配を感じて横を見ると、制服姿の里衣が歩いていた。俺の視線に気づき、遠慮がちに近づいてくる。

「今日は朝から妙なテンションだね」

「……別に」

 クラスメイトに情けない姿は見せたくない。

 唯一気を許せるのは次郎くらいだ。

「うっ……うっ……」

 しかし俺の思いとは裏腹に、急に涙が溢れだしてきた。言葉がうまく出ない。

「……うまくいかなかったんだね」

 里衣が「隣いい?」と聞いて、横に座る。俺は首を振ったが、里衣はたぶん見えていないフリをした。

 太陽がゆっくり街の最果てに沈んでいく。

「最悪だよ」ようやく出せた声は、最高に情けなくてカッコ悪い、俺の気持ちの吐露だった。「俺はだれかを助けたいだけなのに、今度は変態扱い。警察どころか子どもにすら感謝されねぇ」

 情けない声が出る。

 里衣は体操座りでスカートの裾押さえながら、じっと俺のことをみていた。

「なんだよ」

「ねぇ、結詩くん。たしかに人を助けるって行動は尊いことだけど、だれかに感謝してほしくて行動するっていうのは、ちょっと違うんじゃないかな」

 里衣の言葉は優しい。

 それでいて、グサッと核心を突く。

 俺はなにも言い返せない。

「結詩くん。結詩くんってさ。なにになりたいの?」

「特別な存在」

 ぐすっと鼻をすする子供のような俺。

「それって、感謝される存在じゃない場合もあるよね?」

 里衣の声は、まるで俺の頭を撫でてくれているかのようだ。

 そして瞬間、理解した。

 顔をあげる。

 太陽が沈みきったあとの茜色の空、夜に向かうグラデーションがカクテルみたいで綺麗だった。

「それを証明するものがあってもなくても、実際はあんまり関係がない」

 確かに、初めは人を救うために命を張ることが俺の理想だった。それが俺の中の特別だと気付いた。でも俺は一瞬のうちに〝感謝状〟という手頃な評価を得たいという欲求に負けた。そして、無理矢理な行動を起こしてしまった。

 里衣は小さく笑う。

「結詩くんが本当に欲しいものって、たぶんもっと大きくて、もっと輝いているんじゃないかな。暗闇の先――形あるものが包み込んだその奥底に、小さく脈打つ光、心がある。みんなの気持ちがある。結詩くんは、そういうものを求めてるような気がするんだよな」

 文学的な言葉。

 少し恥ずかしい言葉。

 でも不思議と、里衣が言うと自然だった。

「焦らないでいいよ。結詩くんの良さは、結詩くん自身が気づくより前に、ちゃんと見てる人はいるよ」

 里衣は立ち上がって、俺の肩を軽く叩く。

「がんばれ」

 穏やかで、心を包み込むかのような温もりが込められた、里衣の言葉と所作のすべて。しばらくボーっとして、ふと横を見ると、もう辺りは暗くて、里衣はいなくなっていた。

 夜の街の光が川面にキラキラと鱗を反射させている。

 ごろんとその場に寝転がって、空を見た。

 街が明るすぎるので、星はよく見えない。

 里衣。

 ありがとう。

 そんな星に、少しだけ、俺は親近感を覚えていた。

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