第2話 フラッシュバックメモリー1

 ベッドから降りて木製デスクの前にある椅子に腰を掛けた。

 十四歳の頃は日々このテーブルで教科書とノートを広げ勉強をしたり、卓上ミラーを何十分と飽きずに眺めながら理想の前髪を模索していた。

 卓上ミラーに映る二十六歳になった自分の顔を見つめてみる。目鼻立ちは十四歳の頃と何も変わらない。

 でもどこか人相が悪い方向へと変わっているのがはっきりと分かる。

 明確にどこが変わったのか言葉にすることは難しい。

 それでも無理矢理に言葉にするならば、何か人生というものをまともに生きる事を諦めているかのような、沈鬱な人相をしている。

 これまでの私の人生に何があったのだろう。

 父と母の様子のおかしさもさることながら、自分自身の変わりようにも恐ろしくなってきた。


 十四歳の頃の私は何に興味を持ち、何に夢中になり、何を楽しみに、何を不安に思い日々生きていたのだろう。

 その事に想いを馳せたとき、真っ先に思い浮かんだのは、日比谷真梨子ひびやまりこという少女の存在だった。

 真梨子は近所に住む同い年の幼なじみだ。

 小さな頃から常に一緒にいた。

 小学校でも中学校に入ってもずっと一緒に行動していた。

 柔和な雰囲気を持った、ショートカットの、控えめな印象だが目鼻立ちが整った美人だった。

 笑うと右の頬にえくぼができ、目が無くなってなだらかな曲線が二本描かれた。かわいくてかわいくて思わず抱きしめたくなる笑顔の持ち主だった。

 性格も良かった。ありのままの私を常に受け入れてくれていた。

 色んな所に一緒に遊びにいった。

 私は真梨子が好きだった。恋心を抱いていた。

 その気持ちに気づいたのは中学一年の夏休み、夏祭で真梨子の浴衣姿を見た時だった。

 ぎこちない挙動を繰り返し、まともに真梨子の顔を見れなくなったことを覚えている。いつも通りあくまて友達同士のじゃれあいとして手を繋がれたが、心臓が胸を突き破りそうだった。

 でも真梨子は男の子に恋心を抱くタイプだった。

 私とは違った。

 二人のお互いに対する想いは、十四歳の誕生日の頃には絶妙にすれ違っていた。

 私の想いは報われない事をその時にはちゃんと理解していたと思う。

 真梨子は今どこで何をしているのだろう。

 二十六歳になった真梨子を一目でいいから見てみたい。真梨子に会いたい。

 そう思うと胸の奥がぎゅっと激しく縮こまり、切ない痛みを再燃させた。それと同時に全身に熱がほとばしった。

 

 真梨子!

 そう心の中で叫んだ瞬間、卓上ミラーが勢いよく転がりながら床の上へと落下した。

 地震があったわけではない。大きな揺れなどまったく感じなかった。部屋の窓も締め切っているから風の影響でもない。

 卓上ミラーは見えない力に動かされたように、ひとりでに落下したのだ。


 何が起きたのか理解が追い付かないうちに、背後にあるベッドがガタガタと揺れる気配がした。

 後ろを振り返った瞬間、毛布が透明な大男に持ちあげられたかのように猛スピードで天井へと打ち上がると、そのままの勢いでベッドへと落下した。

 異常な事態が起きていた。明らかに超自然的な現象だ。

 

 何が起きてる? なんでこんな事が起きている? いったい私はどうなってしまったのだろう。

 幻覚か? 頭がおかしくなってしまったのか?

 訳が分からない。ただひたすらに得体の知れない恐怖に私は全身を戦慄かせることしか出来なかった。

 ここから逃げないと。そう思って立ち上がった瞬間、床に落ちていた卓上ミラーが痛みに悶えのたうち回るようにデタラメに蛇行しながら、カラカラ音を立てて回転を始めた。 

 それを見た瞬間初めて悲鳴が口から飛び出した。

 

 私はこの部屋から逃げようと、慌てて出入口へ向かった。

 出入口の側にある姿見に私の全身が映し出されたのが横目で見えた。

 感じたのは違和感だった。

 姿見に映っているのは自分じゃない。真梨子だ。

 私は姿見と向き合う。

 お腹から血をダラダラと流している裸の真梨子が私をじっと見つめていた。

 真梨子に会えた嬉しさは沸き上がらなかった。

 沸き上がってきたのは恐怖と、こんな形で再会したくはなかったという落胆だった。

 

 静かで不穏な音が耳に飛び込んでくる。

 姿見の鏡面にヒビが入った。

 稲光のように、ジグザグの乱暴な模様が鏡面の最上部から最下部まで一気に縦断した。

 そして鏡面は粉々に砕け散った。

 その瞬間────


 私の脳裏に記憶の一部が蘇ってきた。


 十四歳の誕生日の夕方。

 私はこの部屋で真梨子と一緒にいた。

 真梨子はベッドに横たわり目を閉じて眠っている。

 私の手は何かによって真っ赤に染まっていた。

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