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  数十分っただろうか。 アデルはオーウェンにゆうかいされたということにしてそうさくすることにしたようだ。

 だがアデルは自分から出て行っており、置き手紙は子爵の手ににぎられている。

 そんな噓をつけばベーイズリー男爵家に報復を受けそうな気もするが……と考えながら、朝早くから働き通しのマグリットは、うとうととしながらねむあらがっていた。

 ふと視線を感じて顔を上げると、何故かネファーシャル子爵たちに見つめられていることに気づく。

 マグリットは後ろを振り向いてみるが当たり前ではあるが背後には壁しかない。

 何かいやな予感がしながらも、ゆっくりとネファーシャル子爵たちに視線をもどす。


「仕方ない、我々にはもうこの方法しかないんだ。とりあえずはネファーシャル子爵家の令嬢ならばいいだろう!」

「もしアデルが見つからなかったら……それしかないのね」


 ネファーシャル子爵の言葉にうなずいた夫人を見て、マグリットは無意識に首を横に振る。



「――マグリットをアデルの代わりに嫁がせるぞ!」


 マグリットはその言葉に大きく目を見開いた。


(わっ、わたしがアデルお姉様の代わりに嫁ぐですって)


 そしてマグリットが身代わりに嫁ぐことが決まってから、一週間が経とうとしていた。

 アデルたちの捜索は行われたが、彼女が見つかることはなかった。

 その間にベーイズリー男爵家にも説明を求めたが、我々は関与かんよしていない、責任はないと主張しているそうだ。

 つまりベーイズリー男爵もアデルたちの行き先を知らない。

 ネファーシャル子爵家から光が失われて、子爵たちの食欲はなくなりほそっていった。

 一方、マグリットはガノングルフ辺境伯へんきょうはくへ嫁ぐ準備を行っていた。

 ずっと働いてガサガサな指先に手入れのしていないはだは貴族の令嬢とはほどとおい。

 アデルを一目でも見たことがある令息ならば、すぐにバレてしまいそうではあるが意外にもそうはならないらしい。

 侍女のレイの話によればアデルが嫁ぐのは王弟……つまり国王の弟だ。

 両親の悲願だったアデルを王族に嫁がせることができる。

 それだけ聞けば、何故アデルがここまで抵抗ていこうする必要があるのかと問いかけたいくらいだ。

 年は二十八歳。アデルは十八歳なので貴族社会では珍しくない年齢ねんれい差だろう。

 彼は早々に王位継承けいしょう権を放棄ほうきして辺境の地へとおもむいた。

 今ではガノングルフ辺境伯の地位をたまわったものの、社交界には滅多めったに顔を出さない変わり者だそうだ。

 ガノングルフ辺境伯領は海や隣国りんごくに面しているのだが、船でも森を抜けた陸路でもベルファイン王国に立ち入ることはできない。

 彼が辺境の地に住み始めてから鉄壁てっぺきの守りをほこっているからだ。

 と言うのもガノングルフ辺境伯が使うこの国で唯一ゆいいつの魔法が畏怖いふの対象らしい。

 それが〝腐敗ふはい魔法〞だ。すべてを腐らせてしまうおそろしい魔法だそうだ。

 何もかも腐らせてしまい骨すら残らない。

 他の国からもガノングルフの名は恐れられているらしいが、そんな事情など魔法をまったく使えないマグリットが知るはずもない。


(そんなすごい魔法があるなんて。全然知らなかったわ……)


 だがネファーシャル子爵家にとっては、またとないチャンスと言えた。

 両親はアデルの気持ちよりも、子爵家の名誉めいよを選んだようだ。

 そして腐敗魔法をあやつる、恐ろしい辺境伯の下へ嫁ぐことは今まで甘やかされてきたアデルにはえられなかったということだろう。

 レイがマグリットのからまった髪になんとかクシを通そうとしながら口を開く。


「どうやらアデルおじょうさまの防壁魔法がガノングルフ辺境伯とあいしょうがいいと国王陛下は考えたみたいよ」

「相性がいい? 腐敗させる魔法と防壁魔法が?」

「何もかもを腐敗させてしまうというガノングルフ辺境伯は、アデルお嬢様の魔法があれば、万が一のことも防げると考えたんじゃない?」「ああ、防壁魔法で身を守れるってことね」

「それに二人に子ができれば珍しい魔法をぐこともできる……少し考えればわかることよ。アンタは相変わらず何も知らないのね」


 レイはいらちをにじませた声でマグリットに話している。


「チッ……なんで私がこんなことをしなくちゃいけないのよ」

 マグリットの絡まってゴワゴワになった髪をレイは舌打ちしながらとかしている。

 アデルの魔法は珍しくはあるが決して大きな力ではない。

 国全体や周囲にえいきょうおよぼすものではなく、自分の身を守れる程度の防壁を張れるだけだ。 最近ではそれを薄く膜(まく) のように伸ばせるようになったらしいがそれだけ。 だが腐敗魔法を防ぐことには使えると、国王は考えたのだろう。


だん様の話によればガノングルフ辺境伯を恐れて令嬢たちは誰も近づかないと言っていたわ……! 触れただけで腕が腐り落ちるなんてうわさもあるからね。そんな噂を聞けばアデルお嬢様だってこわがるに決まってる。だからアンタはごまなのよ。わかる?」

「へぇ、そうなの」

「チッ……精々、気に入られて殺されないように気をつけることね」


 そんなレイの話を聞いても実感がないからかまったくきょういてこない。

 ネファーシャル子爵家以外の貴族と会ったことがないマグリットは、ほとんど魔法を目にしたことがない。


(つまり色々と腐らせることができるのよね? ガノングルフ辺境伯は一体どんな方なのかしら)


 そんな時、タイミングよくマグリットのお腹(なか) が鳴った。 マグリットはお腹が空くのと同時に、いつも日本食の味を思い出す。


(腐敗魔法……腐敗、腐敗って、つまりは?)


 マグリットが腐敗魔法について考えているとレイの顔はどんどんと険しくなっていき、泣きそうになっている。


「アデルお嬢様、どうして私を裏切ったのですか……!あんな男についていっても幸せになれるはずがないと何度も言ったのに。もう少しでこんな生活から抜け出せると思ったのになんでよっ、クソッ」


 心の声がている侍女のレイとは屋敷で働くどうりょうのようなものだったが、ご覧の通り向上心が強く計算高い性格をしている。

 いつもマグリットのことを見下していて、このように世話をすることも彼女にとってはくつじょくなのだろう。

 レイはぼつらくした男爵家の令嬢で、少しなら魔法も使える。

 まったく魔法を使えないマグリットを下に見るのも無理はない。

 それにレイにはずっと馬鹿にされていたのにいまさら、お嬢様あつかいされても困ってしまう。

 いつの間にかマグリットのオレンジブラウンの髪は整えられてオイルでサラサラになっていた。

 日焼けした肌やガサガサの指先は一週間でどうにもならないが、何だかんだレイも優しいところがあると思ってしまう。

 少しでもマシになるようにとクリームを塗り込みながらレイの話に耳をかたむける。


「私はアンタについていくつもりはないからね!」

「別に構わないけど、あなたはこれからどうするの?」

「新しい就職先を探すに決まってんでしょう?アデルお嬢様に人生けていたのに、もううんざり。どんなところだってここよりマシよ。こんなところさっさと出て行ってやる……!」


 彼女はネファーシャル子爵たち同様にアデルを妹のようにわいがっていたしアデルに期待していた。

 アデルの侍女として嫁ぎ先についていけば自分の地位が保証されるからだろう。

 それにここの労働環境はお世辞にもいいとは言えない。

 レイはアデルがいなくなったことでネファーシャル子爵家から出て行くつもりのようだ。

 どうやらアデルが勝手な行動を取ったことでネファーシャル子爵家には波乱が起きそうだ。

 マグリットは慣れないコルセットに内臓が飛び出してしまいそうになっていた。侍女もいないため自分で脱げるセパレートタイプのドレスを着用しているのだが、あまりの動きづらさにを覚える。

 これでニコニコ笑ってパーティーに出たり、食事をしたりするなんてマグリットには考えられなかった。


(苦しい……やっぱり貴族の令嬢になんてなりたくないわ)


 マグリットはネファーシャル子爵たちに呼ばれてため息を吐(つ) きながら馬車に向かった。

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