1-2

 そして、貧しい出自はさておき。――はたには、現在のアリアは、実に真面目で理想的な巫女見習いだ。


 しかし、それは表向きの分厚い仮面。実際は、もうそうりょくたくましい先輩巫女たちからのくんとうを存分に受けた、根っからの創作系妄想女子だった。

 おまけに、神殿内にいくつかある秘密会には所属せず、身元をかくしてごうも使わず、『名もなきいっかいの書き手』――つうしょう「名もなき様」――として個人での執筆活動を続け、数々の小説本を発刊してきた。


(よかったぁ。楽しみにしてくれてる人がいるなら、書きがある!)


 先ほどまでのしらけた気分もどこへやら。うれしさに口元がむずむずするが、アリアは努めて何もこえていないふりで無表情を装った。気分だけは耳を五倍増しに大きく広げて、同輩たちの会話に全力でかたむけている。


「ああもう、名もなき様の過去作を全部読み直さなきゃ。次は何かしら。『ジークフリード戦記』の続編? 『我、王子として生をけ』の番外編なら、個人的に嬉しいわね」

「同じ気持ちよ! もちろん全くの新作でもてき。名もなき様といえば、ジークフリードものの最大手の書き手様だもの。どれでも楽しみだわ!」

(ありがとうございます! 今回は戦記の続編です!)


 こっそりと声に出さずにあいづちを打つ。もちろん、動揺をさとられないようにせわしなく羽根ペンはガリガリ動かし続けているが、慣れた文言と所作なので、目をつぶっていても、|なんならねむっていても書けるものである。


「わたくし、名もなき様の作品を読んでから、殿下を支持するようになったもの」

「まあ。いっしょ。わたしも……」

「今まで、王家の話題なんて単なる情報としてしか耳に入ってこなかったけれど、もう今となっては、名もなき様のお話の解釈でしか聞けないのよね」

「高貴で多才なのにむくわれないはっこうじょうさるわよね。こう……心臓に」

「わかる。ちょくげきね。流血ものだわ」

(わかる)


 私もです。

 内心で大きく何度もうなずきながら、アリアはこっそりと机の下でグッとにぎこぶしを作った。

 ジークフリード。――ジークフリード・イーライ!

 その名前は、アリアにとってあこがれそのものだ。


(そこ! そこなんですよ! ジークフリード殿下って、本当に心おどる要素のかたまりというか! 黒髪とせきがん、長身そうれるほど顔がいいという話の上に、せいれんひとがらで、けんの腕もべらぼうに立つとか! そんなにもてんのものにめぐまれているのに、幼少のみぎりにお母ぎみがじゅさつされてしまって、こっそり王宮の外へ逃がされるちゅうしゅうげきを受けてゆく不明になる、なんてうんわれているあたりがもう……もう……! ご無事だったからこそだけど、しゅりゅうたんとしては美味おいしすぎる!)

 アリアの脳内では、めくるめく早口で情報が高速ちんれつされていた。

 この「脳内早口」、実際に声に出して言うこともやぶさかではないのだが。何度かやらかしたところ、聞いた人間がれなくさーっと引き潮のごとくドン引いていくので、アリアはできるだけ控えていた。ほどよいちゅうようの口調を身につけることができなかった結果、たとえしゅが合う相手を見つけても、こうして誰の前でも感情を揺らさないふりをしつつ、てっぺきの無表情と無感動を装うことになってしまった所以ゆえんである。

 そしてアリアこと「名もなき様」は、数多あまたいる神殿内の娯楽小説の書き手たちの中でも、特に「ジークフリードもの」と呼ばれる一大分野を築き上げた張本人だった。

 ジークフリードものとは名の通り、ロッドガルドの王太子、ジークフリード・イーライを題にとった作品群である。

 内容は、実際のジークフリードのちや実績に、せいだいな妄想を加えて練ってたたいてつぶしてきゃくしょくを加えたものや、彼が王宮で送るおだやかで楽しい日常生活を周囲の登場人物を含め勝手に妄想してねつぞうしたもの、彼と関わりの深い人物との交流の有りようを妄想十五割で熱く書き綴ったものなど、さまざまだ。

 要するに、だいたい全ての作品が、妄想と捏造とはじこうこごりのようなものである。一応アリアの信条として、皿として下調べはきっちりとするが、上にのせるこんだては妄想とつくりごとだけで調理されている。……果たして妄想、何回言っただろうか。


(今は私以外にも書き手が増えて、いろんな人のジークフリードものを読めるのがありがたいよね! だってほんと、創作の素材がありすぎるおかたなんだもの。何より、ぐうの身から一転『王佐の大聖者』げいいだされて王子として王宮にかん、そのまま猊下のもとで

を受けつつ帝王学を学ばれていたとか! 年の差のてい関係と親子ものきにもやさしい要素が特盛すぎて、こう……すきがない!)


 ちなみに王佐の大聖者とは、三百年前にこのロッドガルドが建国された際、初代国王の補佐としてロッドガルド写本の編纂にたずさわったじんである。

 原典の『創世の稀書』に触れたてんけいでか、大聖者は、なんと三百年ものあいだ命をつなぎ続けている。普段は王宮内のさい殿でんに暮らし、ごくまれにあるらいりんのおりは必ずかおぎぬをつけているため、神殿内に顔を知る者はいない。


「名もなき様専属のさし様がまたいいのよね……」

「どなたなのかしらね」

(ありがとう……!)


 絵師をめる言葉も続いて、アリアは心の中で激しく同意のしゅこうを繰り返した。


(絵を担当してくれているのは、私の早口ちょうこうぜつを聞いても引かないでいてくれる、ゆいいつと言っていい友人セレスティーナです。セレスの絵、せんさいで優美で私も大好きです)


「こんな想像をしてはいけないのだけど……三百歳をえても生き続ける伝説の猊下と、

その養い子とも呼べるジークフリード殿下の義親子としてのきずなもうそ……考えるだけで、わたくし、神殿指定のカッタい黒パンがバターなしで十個は食べられますわ」

「わかる」

(わかる!!)


 彼女たちに、本当はあくしゅを求めたい。なんなら会話にじりたい。

 そわそわした気持ちを外に出さないように、アリアはさらに口元をむずつかせた。


(はあよかった。ほんと、生きててよかった……)


 実際に読んで楽しんでくれる人たちの、なまの感想を聞くことができた。今日はなんていい日なんだろう。全く書き手みょうきる。

 ――それにしても、まさか自分が書き物をして、それを本にして配る日が来るとは。

 もっともアリアにとっては、とある理由で、かつての貧民窟生活も決して悪い思い出ではないのだが。大神殿では、生きていくための一通りを身につけさせてもらってもいる。

 感謝してもし切れないし、人生何があるかわからないものだ。


(私なんかが聖女候補に、なんてとんでもない。私はここで、ジークフリードもの作品を延々と生み出していればそれで満足だわ。誰にもバレずに、ひっそりと)


 現実に生きている、それも我が国のえらじんを身勝手な妄想のじきにしているわけなので、もちろん後ろめたさも申し訳なさもある。人によっては、自分が書き手であることをこわだかに主張する向きもいるが、とりあえずアリアはちがった。

 活動を続ける以上は、あまりおもてにならず、何よりも絶対にジークフリード殿下本人にだけは関知されずにいたい。一生視界に入りたくもない。可能な限り、息を殺し、彼をおうえんする空気やかべてんじょうのような存在になりたい。

 そういうわけでアリアは、今の暮らしに十分すぎるほど満足していた。そして、ゆくゆくは巫女長になりたいとか、あまつさえ王妃と同義である聖女、、、、、、、、、、になりたいとか、特に出世願望があるわけでもない。別に、今までそうしてきたように、これからも、へいへいぼんぼんに真面目に聖務をつとめ、自由時間には人知れず思う存分妄想をさくれつさせて過ごすような、そんな日々が続くものと信じ切っていた。


はんは三日後って話よ。名もなき様用の寄進入れ箱は、中庭にある聖女ララティリアのお墓の上でしたわよね。対価の銀貨を用意しないと」

「楽しみがすぎるわ。眠れなくなりそう」

(わぁ……わぁ……価格設定いつも結構お高いのにありがとう……でもて……すいみん不足は健康にも肌にも悪いから……でも嬉しい……わぁあ……)


 興奮のあまり、いよいよ物理的に緩みかける頰を押さえようと、アリアが手をやった時だ。


「アリア。アリアセラ。そこにいますか?」


 げんに満ちた声とともに、巫女長が写本室に現れた。

 聖職の中でも高位の女性であることを示すうすい絹のコイフ巾で髪を隠した巫女長は、五十過せぎす、見た目も中身も厳格を絵にいたような女性だ。巫女見習いたちがあわててぴたりとおしゃべりをやめると同時に、名を呼ばれたアリアは顔を上げた。


「巫女長様。どうされましたか」

「大切な話があります。自分の写本を持って修練場に来なさい」


 それだけ言い置くと、巫女長はトゥニカの長い裾をひらめかせて出ていってしまった。


(な、何かやらかしたかな)


 見た目には感情になんの動きもない様子を装いつつ、アリアはしずしずとした所作で席を立った。筆記具を丁寧に文箱にしまったあと、使い慣れたあめいろかわびょうの写本を胸にき、戸口を目指す。

 巫女見習いたちは、巫女長の姿が見えなくなった途端に話を再開している。貴重な読者の意見、もっと続きが聞きたかったと後ろ髪を引かれる思いを押し殺しつつ、アリアは写本室を後にした。


(まあいいや。注意されるにしても何かお手伝いを命じられるにしても、そんなに長くはかからないよね)


 ――帰ってきてから、ちょっとでも趣味の執筆時間が取れたらいいなあ。この間、活版印刷のお店から受け取ってきた本も、乱丁や落丁がないかかくにんしたいし。

 なんて、アリアはのんに考えていたのだ。

 この時は、まだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る