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 呼び出された先は、聖術の訓練に使われる中庭の修練場だ。

 庭木がところどころ残っただだっ広いくさはらは、古代の遺構を利用しており、崩れかけた石柱や、古いたいざんがいが点在している。


(巫女長様、こんなところで何をするんだろう?)

「アリアセラ。あなたのもっとも得意な聖術をろうしてみなさい。いえ……得意なものより、難しく力の大きなものが好ましい」


 相変わらず、どこかムッとげんそうな表情で、巫女長が命じる。

 ますます意味がわからない。アリアは不思議に思いつつも、なおに「はい。庭木の一本、姿を変えてもよろしいですか」と確認をとる。

 巫女長から「構いません」と返事を聞くやいなや、聖典の写本を開く。もう何度めくったか覚えてもいないそれは、手に伝わるかんしょくだけで何ページを開いているかわかってしまう。


「――〝第十三章四十節序。我が精神は我が物であり、なんじが支配を受けず、我が罪は我が物であり、汝がつぐないはらず、我が魂はめつにして死は我が手の上にあり〞……」


 よどみなく、アリアは聖典の一節を読み上げる。途端に、声はキラキラとした金色のかけらとなって集まり、幹がけて立ちれた古いやなぎに収束していく。数秒ののち――死にかけのていだった古木の傷は修復され、垂らした枝から若葉を数枚のぞかせていた。


「そこまで。らしい。聖典の中でもせいぎょが難しく使えきしゃが限られる『』の詩を、よく使いこなせましたね」

「ありがとうございます」


 表情は動かさないままだが、巫女長が手を叩いてしょうさんするので、アリアは素直に頭を下げて感謝をのべた。


(……ご用事って、これだけ? わざわざ私の技術を見たいということ? どうして?)


 できたら早めに解放していただいて、夕刻の消灯までにいた時間で次作の執筆を進めたいのだけど……とは、口に出せない心の声である。


「いかがでしょうか……」

「……確かに。これならたいこうできる可能性があるな」


 ――そこで、ふと。

 他に誰もいないと思っていた修練場に巫女長以外の声が聞こえ、アリアは首をかしげた。

 一人は神官長のものだ。こんじょうのローブと、金色のしゅうで本のしょうった肩布ストラを身につけられるのは、この敷地内に一人しかいない。巫女長も神官長も雲の上の存在であり、基本的には下々の巫女見習いになど関わらない存在なので、今日は異常事態がたくさんだぞと、アリアの方はたじろぎっぱなしである。

 そこでアリアは、神官長の隣に、黒いフード付きの長いがいとうをまとって顔を隠した、背の高い男が立っていることに気がついた。


(誰?)


 男性用のトゥニカを身につけていないから、聖職者ではなさそうだが。

 目をまたたくアリアの前に、黒い外套の男が静かに歩み寄ってくる。一見ぞうあしさばきだが、洗練されて隙がないなと、ふと思った。

 彼はアリアの前で足を止め、静かにたずねてくる。


「失礼。聖女候補アリアセラでちがいないか」

(! うわ)


 なんていい声の人だろう、と。

 不覚にもアリアはいっしゅん、心をうばわれた。


(い、いけないいけない)


 おくればせながら、男のなんでもないひと言にぼんやりと聞きれていたことに気づき、めずらしくアリアは赤面しそうになる。

 なんだか低さの中に深みがあって、やたらと耳によく馴染むのだ。のどを使い慣れている神官や神官見習いたちの聖句えいしょうでも、こんなふうにぼうっとのぼせてしまったことなど一度もないのに。アリアは自分におどろいていた。

 そして、――気のせいでなければ、おそらく彼はまだ若い。ますます正体不明だ。


「……はい。聖女候補とは誤りですが、確かに私の名前はアリアセラです」


 どうにか平然とした様子を取りつくろうと、問われるままアリアはあごを引く。フードの下で、男がかすかに笑う気配がした。


「誤りとは、なぜだ」

「身に過ぎますゆえ。このロッドガルドにおいて聖女とは、ことさらゆうしゅうで高位の巫女から選ばれる、いずれおうこくになられる方のこと。私などおよぶべくもございません」

「そこをなんとか、あなたに聖女候補になっていただきたい」


 やたらに広い、草むした修練場の中央で、たがいに向かい合って立つと、男の高いたけがよりきわここがした。相手はそのつもりがなくとも、ややあつかんすら覚える。神官長や巫女長がいる以上、しんな人物ではなかろうが――それでもアリアは、ややけいかいしてしまう。


「? どういう意味でしょうか。それより、あなたは……」

「アリアセラ。そのお方のぜんでは、言葉をつつしみなさい」


 あせったような調子で、巫女長に注意される。アリアはますます訳がわからなくなった。


(このお二人にうやまわれる立場の人って……本当に、誰? やっぱり、声は意外に若そうな気がするけれど)

 なんとなく気を張り、せいいっぱい見上げるようにするアリアに対し、相手はふとみをこぼすと、はらりとフードを取りけた。


「!」


 うっかり声を出さなかったことを、アリアは自分で褒めたくなった。

 なぜなら、目の前に立っていた青年には全く見覚えがなかったけれど――そう、見覚えなんてあるはずがないほどに、美しい男性だったのだ。

 年のころ二十歳はたち過ぎだろうか。少し長めに切られた黒髪、せいかんはくせきの顔立ちは、自然の造形としては出来過ぎなほどかん|璧《

ぺき》に整っている。何よりも目をくのは、その柘榴ざくろの実に似た深みを持つ、そうぼういろ


(まさに聖典の中の英雄みたい)


 すらりとした立ち姿には、ってはいないが質のい黒のしょうを身につけて――いやそれにしてもなんてあしが長い、バッタもびっくりだ――造形美のしんのような青年は、ぼうぜんとするアリアを見下ろして、堂々と名乗りをあげた。


「初めまして、アリアセラどの。ロッドガルド王太子、ジークフリード・イーライだ」

「え」


 セリフの意味が脳内をどおりしていって、しばしアリアは固まった。


(今なんて?)


 ジークフリード・イーライ、とおっしゃいませんでした?

 とっさに疑ったのは、げんちょうと聞き間違いとどうせい同名と白昼夢のどれかである。

 せんたくはしから消していくと、ロッドガルドでイーライを名乗っていいのは王族だけだ、同姓同名はあり得ない。残るまぼろしと聞き違いだが、目の前の人物のひとみあざやかな緋色をしていることで、可能性はついえてしまう。王族のみが受け継ぐ独特のこうさいそうこうと呼ばれるのは、小さな子どもでも知っている話だ。

 きわめつきに、左耳にはおおつぶの紅玉ときんぐさりのタッセルがついたみみかざりが下がっている。

おうかんいんねた指輪の他に、王国のもんしょうを石に刻んだそれをあかしとして着用するのは、直系の王統に連なる者の習いと聞いていた。


「神官長と巫女長に、この神殿の中で、今もっとも実直で勤勉で、聖術に優れた巫女をつくろってほしいとたのんだら、あなたの名前を挙げられた」

 白昼夢にいちの望みをかけ、後ろで指を組むふりをしてこっそりと手のこうをつねっていたアリアだが。

 一向に目が覚めないどころか、とんでもない続きを切り出された。


「無理を承知であなたに願いたい。どうか、俺の婚約者になってもらえないだろうか」

(待って、無理を承知で、――なんですって?)


 実直だの勤勉だのは、神殿の偉い人たちの手でだいぶ脚色が入っているとしか思えないので――その実態は、現実にいる貴人を題材にとって妄想まみれの小説を書きなぐってはさまに頒布しているよごたおした魂の持ち主である――さておき。

 とうの展開についていけず、アリアは完全にこおりついた。


(え? は? 待って? ちょっと?)


 この、おそろしく姿形の整った、そして必死に王室周りからき集めた『ジークフリード王太子情報』そのものの外見をお持ちの方は。

 やぶから棒のがしらに、一体何を言い出したかといえば。


「もちろん気持ちまではしばらない。けいやくじょうのもので構わない。改めて、アリアセラどの。婚約者けん聖女候補として王宮に同行してほし――」

「えっ無理ですお帰りください」


 とうけつが解除されたアリアが最初に発したのは、そくかつ力強いきょの言葉だった。

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